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小話

 女性の身体はおよそひと月に一度、不調に見舞われる。幸いにもアディナは軽い方で、薬を頼ったことすらない。平素と変わらない生活を送っているつもりだが、不思議とルカにはお見通しで、いつもさり気なく気遣われている。初めの頃は抱いていた恥ずかしさも、今ではすっかり消え失せ、有り難く甘えることにしているが、今回の本題はそこではない。

 アディナは男性にも、様子がおかしくなる日があることに気が付いたのだ。具合が悪そうとか深刻なものではなく、ただ「何となくいつもと違うような…?」と薄っすら感じる程度である。気が付けたのは本当に偶然だったが…


 それはある日の真夜中のこと。

 一度眠ったら多少のことでは起きないアディナにしては珍しく、不意に目を覚ました。とはいえ、意識が浮上してきただけで、瞼は閉じたままであった。数分後には二度寝しているだろうと、アディナ自身も寝ぼけながらに思ったその時。


(………え?ルカ…?)


 後ろからやんわりと抱きしめられる感覚が体を包んだので、アディナは目を閉じながらおっかなびっくりしていた。隣で寝ているのは最愛の夫しかいないのだから、お腹のあたりに巻きつく腕がルカのものであることは決まっているが、アディナが驚いた理由は別だ。何せルカはアディナと違って、肌を許す夜でもなければ必要以上に触れてこない。触れるにしても視線なり言葉なりで「いいですか?」とやや躊躇いがちに許可を求めてくる。だからこんな風に一切の断りもなく、好き放題に触ってくるとは非常に稀…というより初めてである。


(どうしたのかしら?)


 まるで小さな子供が大事な人形を愛でて眠りにつくような。決していやらしくない、そんな触れ方だった。アディナは別にいやらしく触られるのもウェルカムだが、こうやって至極優しく触れられるのも悪くない。悪くないが、ひとつの疑問が残る。


(わざわざ寝静まるのを待たなくたっていいのに…)


 触りたければ昼でも夜でも堂々と、真正面から抱きしめてくれればいいではないか。少なくとも、アディナならそうするし、何なら既にやっている。


(……もしかして毎晩?)


 アディナがぐっすり眠りこけ、ちょっとやそっとでは起きない質なのをいいことに、ルカの気が済むまで抱き枕にされているのだろうか。それは何というか、そこはかとなく悔しい感じがする。頼まれれば喜んでいくらでも抱き枕になるのに。


(まさかわたし…ルカに信用されていない!?)


 アディナが怒るから迂闊に触れないとでも思われているとしたら、非常に由々しき事態だ。旦那様への愛はその程度ではないことを知らしめなければ。

 かくして、謎の行為の真相を突き止めるべく、アディナの奮闘が始まった。


 まずアディナが調べたのは、行われる頻度である。毎晩抱きつかなければならないほど欲求不満なら、こちらから服を剥ぎ取ってやるわ!と息巻いたのはいいが、これを探るのは大変骨が折れた。何故ならアディナは眠気と闘うのが苦手だからだ。ルカが手を出してくるまで起きていなければならないのは、苦行の一言に尽きる。

 そして最大の難関は、どうしてか昔からルカに寝たふりを見破られてしまう事だった。だがしかし、アディナは途轍もなく諦めが悪い上に、無駄に努力家であった。謎の行為の裏に隠されたルカの思惑が知りたくて、来る日も来る日も寝たふりの特訓に精を出した。妹がお昼寝している姿を、真顔で延々と観察する姉など不気味でしかない。

 厳しい闘いの果てに、とうとうアディナは無意味すぎる特技を習得してみせた。その甲斐あって、抱き枕にされる頻度はあまり高くない事が判明する。結論を言えば、一ヶ月の間に二回あるかないかくらいであった。


 頻度が判れば、次に知りたいのは動機だ。

 常時のアディナなら、マーニャやブレンダあたりに相談しそうなものだが、今回は一切口外しようとせず、自分ひとりで解明しようと決めていた。

 真夜中にこっそりと触れてくるくらいだ。あまり知られたくない理由なのかもしれないと、彼女は考慮したのだ。ルカの与り知らぬところで思わぬ思慮深さが発揮され、彼の恥ずかしい話が公にならずに済んだのは、神のみぞ知る秘密である。

 さて、アディナが異性の行動を学ぶためにすることは何か、尋ねるまでもない。恋愛小説を読破することだ。彼女は自分達と似通った場面の描写を思い起こしては、本の山から探し出し、黙々と読み漁るという、いつもとさして変わらない作業に没頭した。

 いやに熱心に読書をしているアディナを見て、さすがのルカもおや?と思いはしたが、いつもの事かと流していたので、心置きなく調べ物ができた。日頃の行いが良いのやら悪いのやら。

 結構な日数をかけて、ようやく導き出された仮定は『無性に甘えたくなる時がある』であった。どうやらケダモノにも、弱った時や疲れた時、あるいは突発的に人肌が恋しくなり、甘えたくなる瞬間があるそうだ。しかし、惚れた相手に弱っている姿は見せたくないというプライドも持ち合わせているらしい。


(乙女心も複雑だけど、男心も負けてないわね)


 一つ賢くなったと、アディナは神妙な面持ちで頷く。

 恋愛小説が絡むとポンコツ令嬢になるのがお約束だが、今回に限っては良い方向に転がっていた。彼女が立てた仮説は、そのものずばりであったのだ。


(このまま黙っておくのもいいけれど…どうせなら目一杯、甘やかしてあげたいわ)


 そう考えて、アディナは更に恋愛小説を読み込んだ。その結果、彼女は二つのポイントを見出したのだった。それは『心音』と『頭を撫でる』である。

 とある小説の描写によれば、鼓動の音は人を落ち着かせる効果があり、また背の高い男性は頭を撫でられるのに弱いそうだ。素晴らしい知識を会得したら、早速実践してみるのがアディナの性だった。


「……ふっふっふ」

「??」


 美味しい紅茶を片手に読書をする姿は優雅だが、悪者のような笑い方はいただけない。密かにルカから「読んでいるのは、本当に普通の恋愛小説なのか」と疑念を抱かれていたのを、本人だけが知らないでいた。




 ついに、隠れた努力が発揮される夜がやって来た。いつも通りベッドに入ったアディナは、達人級の寝たふりをしながら、ルカの動向を窺っていた。今までのパターンでは、アディナが背中を向けていないとルカは動かなかったため、一瞬でも気を抜けばタイミングを逸することになる。アディナは目を閉じながら、これから眠りにつく人間とは思えないほどの集中力をみなぎらせていた。

 そしてルカがこちらに手を伸ばそうする動きを察知した瞬間、アディナは素早く寝返りをうって、彼と向き合う形にもっていく。向かい合わなければ『心音』と『頭を撫でる』の二点は実行できないからだ。

 カーテンの隙間から漏れる月明かりでも、ルカが目を見開いているのがわかった。驚きで固まっている数秒が勝負の分かれ目だった。その機を逃さず、彼女は自分の心音が聞こえる位置にルカの頭を抱き込んだ。


「…!?」


 ただ抱き寄せたつもりのアディナであるが、とんでもない。ルカにしてみれば突然、豊満な胸に溺れたのだ。何というご褒美かと歓喜するよりも吃驚が先にきた。

 しかしそれも、アディナが第二作戦に移るまでの話だった。ゆったりとしたテンポで、優しく頭が撫でられ始めると、ルカの硬直がだんだんと解けていった。それだけでなく彼の方からも腕を回して、アディナを抱きしめ返した。諦めたのか、快感に負けたのか。真相は文字通り闇の中である。間違いなく言えるのは、アディナの術中にまんまと嵌ったという事だ。


(ルカって格好いいだけじゃなくて、こんな可愛らしい一面もあったのね)


 ルカは十分と経たないうちに、アディナの胸に埋もれたまま寝入っていた。すやすや眠る可愛い夫に、アディナは母性本能をくすぐられ、自然と頰が緩むのであった。


 でもまだ、これで終わりではない。微笑ましい一夜が明けると、アディナは作戦の仕上げかかる。


「おはよう、ルカ」

「…おはようございます、アディナ様」


 いたって普段通りなアディナを、ルカは直視できない様子だった。こっそり甘えるつもりが、あろうことか妻の胸の中でがっつり堪能してしまった。それを鮮明に覚えているルカの羞恥は計り知れない。


「アディナ様、その…昨夜のあれは…」

「なんのこと?」

「えっ。覚えておられないのですか?」


 作戦の締めは知らん顔をする事。

 一連の行為は、男性にとって知られたくないことなのを、アディナは忘れていなかった。だから揶揄ったりはおろか、余計な言葉すら挟まず、何も覚えていないと貫き通すのだった。


「わたし、寝ぼけて何かやらかしたのかしら?」

「…いいえ」


 アディナがルカの密かな気遣いを察しているように、恐らく彼もこれが覚えていないふりであるのを感じ取っているだろう。


「とても良い夢を見ていたようです」

「あら。羨ましいわ」


 昨夜の出来事は都合の良い夢。

 二人の間では、そういうことになった。互いに解っている癖に、薄っぺらい演技である。だがきっと、それで良かったに違いない。


「ところで、今日も読書をなさいますか?良い茶葉が手に入ったんですよ」

「すごく魅力的なお報せだけど、今日はデート日和だと思わない?」

「自分から言っておいてなんですが、実は俺も同じ事を考えていました」

「ふふっ!じゃあ急いで準備するわ」

「のんびりでいいですよ」

「のんびりデートがしたいから、準備を急ぐのよ」


 アディナが弾む声でそう告げると、ルカは「そうですか」と幸せを噛みしめるように笑っていた。




 同じような夜を繰り返すうちに、アディナはわざわざ寝たふりをして待ち構えていなくても、ルカが甘えたくなる日がわかるようになるし、またルカの方も遠慮が無くなり、自分からアディナの柔らかな胸へ溺れにいくまでになる。

 それでも、日の出と共に忘れ去る"ふり"をするのは、何年経とうと変わらないのであった。

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[良い点] こんにちははじめまして!最後まで読んでしまいました…二人の別れのシーンはいつ読んでも泣いてしまいます(;_;)初見のときは自分でもびっくりするくらい心臓がキュゥゥとなりました。とても好きな…
[良い点] テンポよく合いの手が入り、最後までとっても楽しく幸せ気分で読めました。 [気になる点] 夜のルカさん大人バージョンが読みたいとゲスな感想を持ってしまいました。 [一言] 漫画化してほしいで…
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