エピローグ 間違いだらけの物語は終わり――
白い帆に追い風を受けて、大海原を船が行く。
空は快晴、波は穏やか。真上から降り注ぐ日差しがやけに眩しい。
俺は船尾の手すりから身を乗り出し、手をかざして船の後方を眺めた。
どこまでも続く青い海原。そこには僅かな陸地も見受けられない。代わりに船と並走するように飛んでいる大型の海鳥の群れに目を奪われる。
ウィズランド島が水平線の彼方に姿を消してから、だいぶ経つ。三年ほど前にこの船、傭兵ギルド所属の小型輸送船白鷲獅子号で同じように南海へ繰り出したが、あの時に到達した海域はかなり前に越えていた。
滅びの女神がウィズランド島を覆うように構築した大障壁――それが存在していた地点も、つい先ほど越えていた。
一年近くに渡って外界と隔絶されていたあの島は、きちんと解放されたのだ。俺たちはそれを確認した最初の人間となった。
この船は俺たちが大陸に渡るために出してもらったものだが、ウィズランド島の解放を世界中に伝える使者の役目も兼ねている。
「黄昏れてますねー。ミレウス陛下」
背後から届いた女性の声で振り返る。声の主はこの船の船長である傭兵ギルドのイライザだった。
首を伸ばして彼女の向こうに目をやると、傭兵たちが船のあちこちで操船作業をしているのが見えた。彼らはみな、昨日の王城防衛戦とその後に夜通し行われた宴に参加したはずだが、疲労や眠気を感じさせないきびきびとした動きで働いている。
その統率者であるイライザも、もう一晩くらいなら軽く働けそうな余裕の表情をしていた。仕事柄なのだろうが、たいした体力である。
「舵はいいのか?」
「ええ。この波と風なんで部下に任せてきました」
「そっか。……ああ、陛下はやめてくれ。もう王様じゃないんだ。敬語もやめていい」
「おや、そうですか?」
イライザは肩をすくめて、おどけて見せる。
「私としてはタメ口でもいいけどね、ミレアスさん? その場合、こちらの方が年上だから、君に敬語を使ってもらうことになるけど」
「うっ、それは……やりづらいな。というか三年間も誰にも敬語使ってこなかったしな。上手く話せる気がしないよ」
「あはは、そうでしょう、そうでしょう。今までどおりでいいんじゃないですか? 陛下は陛下ですよ。円卓の騎士の皆さんもそのまんまだし」
笑いながらイライザが船首方向に首を巡らす。そちらから、ちょうど話に上がった円卓の騎士のみんなが――正確には元円卓の騎士の十二人が、談笑しながらぞろぞろと歩いてきた。先ほどまで下で船内での部屋割りについて揉めていたのだが、どうやら上手くまとまったらしい。
真っ先に俺たちの姿を目に止めたのはナガレだった。小走りでやってきて、旧知の仲であるイライザの肩に腕を回す。
「よっ、こんなとこで何話してんだ?」
「みんないなくなっちゃうから寂しくなるわーって話。ナガレも薄情よね。円卓の騎士やめたら島を出なきゃいけないこと、ずっと黙ってるなんて」
「それはオレらもついさっきまで知らなかったんだっての! 文句ならこいつに言えよな」
ナガレは顔をしかめながらスゥの手を掴んで引っ張ってきて、身代わりのようにイライザの前に突き出した。
そのスゥの頭をヤルーが後ろからわしわしと撫で回す。さも愉快そうに、けらけらと笑いながら。
「最後の最後までこんな秘密を隠してやがるなんて、たいしたタマだぜ、スゥちゃんもよぉ」
「ホント申し訳ないっス。でもこれでもうホントのホントに隠し事は残ってないから許してほしいっスよ」
スゥはしばし諦観の表情でされるがままであったが、突如として眼を見開くと毅然とした顔でヤルーの手を振り払った。両目の下にあった不眠症の隈は、もうすっかり薄くなっている。
「いや、冷静に考えるとあーしは悪くないっス! 円卓の仕様はあーしが決めたわけじゃないっスから、あーしを責めるのはお門違いっスよ! 責めるならアーサーさんたちを責めるべきっス!」
「けっけっけ! 開き直りやがった!」
手を叩いて大笑いをするヤルー。再びスゥを撫でようと手を伸ばしたが、それはスゥに叩き落とされ、阻まれた。
「まー、スゥちゃんはこんくらいの方がいいかもな。ちゃんとやらなきゃって気負いすぎてっから隈なんてできんだよ。ミレちゃんも見習うべきだぞ、この辺の姿勢」
と、ふんぞり返って偉そうに人差し指を突きつけてきたので、余計なお世話だと俺はその手を叩き落とした。
元の話題は――そう、責務を終えた円卓の騎士の島外追放だ。
あらためて思い返してみるとだが。
「後援者の中に気づいてそうなのはいたよな。古参の連中は特に」
これにはやはり、リクサとシエナが食いつくように頷いた。
「そうですね。叔父様は恐らく」
「た、たぶんヌヤ様も……」
コーンウォール公エドワードとアールディア教会の前最高司祭のヌヤ。あの二人は先代の円卓以前から後援者だった。円卓の騎士と王が責務を終えた直後に姿を消すという事態を経験するのも、今回が初めてではない。
先代の失踪から四十年余り。先々代の失踪からはその倍。考える時間は充分にあった。
その間にそれぞれ答えを導き出していたのだろう。後援者たちには今朝、王都を発つ直前に俺から事情を説明したが、あの二人は驚いた素振りを見せなかった。
もっとも別れの際には二人とも寂しそうな表情を浮かべていた。エドワードはリクサを、ヌヤはシエナを実の娘のように可愛がっていた。前から覚悟はしていただろうが、こんなにも長く遠い別離は簡単に割り切れるものではないだろう。
「ネフ姉さんは完全に寝耳に水って感じでしたねぇ」
ブータが刺繍入りの高そうなハンカチで額の汗をぬぐう。あれはネフが餞別としてくれたものらしい。
「エルさんとアールさんもびっくりしてたね」
「そうだね!」
アザレアさんが親交の深かった勇者信仰会の修道女たちの名前を出し、ヂャギーがそれに元気よく同意する。
「うちの妹もさっぱり気づいてなかったデス。ぜんぜん驚いてなかったデスけど」
と、話したのはデスパーだ。こいつも島外追放の件をスゥから聞いた時にぜんぜん驚いてなかったので、人のことは言えない。
「スチュアートとマーサ・ルフトは『前から知ってたぜ』って感じでドヤ顔してたけどさー。スゥちゃん、いったいいつ、あいつらに教えたのよ?」
ラヴィがあの盗賊ギルド幹部のモノマネをして口を尖らせる。
彼女に肩を小突かれたスゥは、記憶を探るように視線を空に泳がせた。
「一年くらい前……あーしの正体を皆さんに打ち明けた後くらいっスね。ホントはあーしが円卓の騎士に選ばれた時点でやるべきだったんスけど」
「円卓管理者の仕事を引き継がせたんでしょ? あの二人でへいきかなー? 心配だなー」
「きっと大丈夫っスよ。信じるっス。あーしが引継ぎの依頼をしたときも、二人は想定通りって顔してたっスから。後援者の情報操作を長年務めてきただけあって頼りになるっスよ」
俺もスゥと同意見だった。腰に帯びた聖剣の鞘に手を当て、あの島の未来を想う。
「円卓からの指示を受け取るあのアイテムも二人に託してきたんだろ? なら心配いらないんじゃないかな。今は後援者みんなが前より多くのことを知ってるわけだし、協力して上手くやってくれるだろ。な、イライザ?」
「いや、そんな期待されても困りますけど……傭兵ですから、もらうもんもらえばその分は働きますけどね」
眉を八の字にしたイライザは『やれやれ』とため息をついて、船の甲板で働く部下たちの方に目をやった。
「まー、とりあえずは私ども傭兵ギルド一同でしっかり大陸まで送り届けますから、元国王様ご一行は快適な船の旅をごゆるりとお楽しみくださいませ。順風なら二週間、逆風でも一月。いずれにしても私たちとはもうしばらくの付き合いですね」
そう言って慇懃に頭を下げたのち、イライザは手の平をひらひらさせながら船首の方に去っていった。
☆
みんなでイライザの背中を見送り――しばらく何とも言えない気まずい沈黙が流れたのち。
「……見慣れすぎてアイツは気づかなかったみたいだけどよぉ」
ぽつりと呟いたのはナガレだった。
「どう考えてもおかしなことが、一個あるよな?」
ナガレは半眼で俺の腰のあたりをジロジロ見ていた。
みんなも同じところを怪訝そうな顔で見ている。
「なんで聖剣と鞘まだ持ってんだよ!!! 返してきたはずだろ!!!」
そこを指さし、ナガレが吠える。
そう、イライザが見過ごしたのは無理ないし、みんなが甲板にやってきた時点でツッコまなかったのも無理はない。
即位してから三年間、肌身離さずにいた装備品だ。つけてない俺を見る方が違和感が湧くだろう。
みんなの唖然とした顔に満足し、俺は鞘に収まったままの聖剣の柄を自慢げに手で叩いた。
「ちゃんと返してきたよ。聖剣も鞘も時を告げる卵も匿名希望も財政出動も……国から借りたものは全部ね。これは偽聖剣と偽聖剣の鞘。滅びの女神と戦ったときに、円卓からとんでもない量の魔力が俺に流れ込んできただろ? なんでもできそうな気がするくらいの量の魔力がさ。あれの一部が体の中に残ってることについさっき気づいて、それで作ってみたんだ」
「作ってって……んな簡単に作れるもんなのかよ?」
うさんくさそうに聖剣を眺めるナガレ。たぶん本物との差異を探しているのだろう。
「もちろんまったく同じのが作れたわけじゃない。見た目はそのまんまだけどね。円卓からの魔力供給がないから無尽蔵には使えないし、機能自体かなり制限されてる。スキルのレンタルや親密度能力は使えるけど、好感度表示とかはできないね。……アレは使えると面倒なことになりそうだから、なくていいけどさ」
聖剣を鞘から抜いて、例の好感度表示の呪文を唱える。
だが聖剣は何の反応もしない。
「ほら、デスパーが叶えるもののレプリカ作っただろ。あれを参考にしたんだ」
「おー、賢い。さすが王サマ」
鍛冶師の血が騒ぐのか、デスパーは感心した様子で聖剣を見ていた。
しかしふいに口端をニィッと上げて鮫のような鋭い歯を見せると、ポンと手を打った。
「そうデス。ついにあの約束を果たすときが来たようデスね」
「約束?」
「王サマに斧を作ってあげる約束デス! 王サマを辞めたら作ってもらうっておっしゃったの、忘れてないデスよ」
「……言ったなー。言った。確かに言った。……そうだな……頼むか。もちろん実際に作ってもらうのは大陸ついてからになるけど」
観念した。今までなんやかんやと履行を先延ばししてきた約束だが、さすがにこれ以上は引っ張れまい。
作ってもらった斧を使うかどうかはさておき、デスパーがにっこり笑って幸せそうにしてるから、ひとまずはこれでいいだろう。大陸に着いた頃にはまた忘れてくれてるかもしれないし。
「そう。俺たち、大陸着いてからは完全にノープランなんだよな。みんな、これがしたいとか、あそこへ行きたいとかあったりする?」
他の連中に聞いてみる。
間髪入れずにリクサとブータが返事をした。
「私は勇者の国の勇者本家へ、ご挨拶に行きたいです!」
「ボクは賢者の国の大賢者様のところに、留学の時のお礼を言いに行きたいですねぇ」
挙がったのはどちらも大陸の大国の名だ。勇者の国は大陸の北方、賢者の国は大陸西岸の果てのはず。両方回るのは相当時間がかかるが、暇を持て余している俺たちには問題にならない。
「ふむ、我も王と約束したのを思い出したぞ」
レイドがザリガニのようなヒゲをいじりながら目を細める。
「ウィズランド島での戦いが終わったら、共に魔王化現象を根絶する術を探すと約束していただろう。……王よ、よもや忘れてはいまいな?」
「ああ、覚えてる、覚えてる」
頭の片隅にではあったが、ホントに覚えてはいた。歴史上、誰も成し遂げていない難題だが、レイドは生涯すべてを捧げてでも達成しようとするだろう。
「私も手伝いますよー。他人事じゃないですしね、私の場合。あはは……」
アザレアさんが渇いた笑顔で広げた右手を挙げる。
そう言ってくれると信じていたとでもいう風に、レイドは口元を綻ばせて深く頷いた。
「オイラは実家に帰りたいな! もう長いこと帰ってないし!」
次に手を挙げたのはヂャギーだ。ヂャギーの実家は大陸の西方にあると聞いた覚えがある。本人の談ではごく平凡な中流家庭らしいが、正直あまり信じていない。この巨漢の家族が実際どんな人たちであるのか、俺も見てみたいと思っていた。
「実家かー。別にオレは帰ろうって気はしねえけど、こっちの世界で元気にやってるってのは、おばさんや妹にどうにかして伝えてぇな。もう七年か八年か行方不明だから、死んだと思われてるだろうし」
ナガレがほとんど期待してないような顔で空を見上げて、ぼやく。
あちらの世界に連絡する方法を探すのも相当な難題だろう。だがレイドの新しい目的よりかはなんぼかマシなはずだ。
「案外簡単に見つかるかもよ? 人間が行き来してるんだから不可能ではないだろ、たぶん」
「……かもな」
ナガレは俺の楽観的な意見を鼻で笑った。だがその表情は晴れやかで、口元には微かに笑みも浮かんでいる。
「俺っちも久方ぶりに実家に顔出すかねぇ。親父殿にぶっ殺されるかもしんねえけどよ」
今度はヤルーがへらへら笑いながら言った。
この男の実家は大陸東端にあるサイアムとかいう小国の王家らしい。王子という身分とその肩に背負う責務を放り捨てて出奔した身としては、帰国するにはさぞかし勇気が要るだろう。
「世界を救ってきたって話せば、親父さんだって許してくれるんじゃないか?」
「いやいやミレちゃん、誰も信じねえってそんな話」
まぁそれはそうだ。俺だって当事者でなければ信じない。
「しかし意外だな。円卓の騎士の退職金もらっただろ? てっきりヤルーはしばらく豪遊するとか言い出すと思ったのに」
「あ? もうねえよ、そんなもん。世話んなってたじーさんばーさん家に置いてきちまった」
「ええ!?」
最後の驚愕の声は俺だけのものじゃない。ヤルーの人となりを知る全員が声を出していた。
『へっ』とヤルーは鼻の下をこすって、さわやかに白い歯を見せる。
「心を入れ替えたんだよ、俺っちは。これからは世のため人のために尽くすんだ」
「う、嘘だろ……」
唖然として言葉を失う。
だが俺より付き合いの長い連中の驚きようはそれ以上だった。
「し、信じられません……」
「ぜ、絶対に嘘ですよ、主さま! 何かの詐欺の手口です! 騙されちゃいけません!」
リクサとシエナの顔は驚愕のあまり青ざめてすらいた。それこそ歴史の真実を知ったあの時以上の驚きぶりである。
一方、ラヴィは動じていなかった。達観したような顔で手すりに頬杖を突いて、ウィズランド島の方をぼんやりと見つめている。
「アタシも屋敷の執事さんやメイドさんたちで分配するようにって残してきたから無一文だよー。ホントは退職金で豪華な新しい別荘買おうと思ってたのにさー。ウィズランド島追い出されるんじゃ買っても意味ないじゃん?」
再び一同に動揺が走った。黄金郷での最終決戦で頭を強く打ったんじゃないかと心配するものまで出る始末。
その反応を見てヤルーとラヴィは得意げにしていたが、ややあってから顔に後悔の色が浮かんできた。
「いや……冷静に考えると全額やる必要はなかったか? 早まっちまったかなぁ」
「ああーそだねー、せめて半分は手元に残しとけばよかった。あー、しくじったー!」
頭を抱えてうずくまるヤルーとラヴィ。
周りの連中はその姿を見て呆れたりはせず、むしろ安心していた。
俺たちの話が聞こえていたのか、甲板の中ほどからイライザの声が届く。
「ナガレも私に退職金くれていいのよー」
「やるわけねーだろ アホ!」
即座に言い返されて、イライザは声を上げて笑った。その後ろで傭兵ギルドの面々も釣られて笑っている。
おかしくなって俺たちも笑った。
それからみんなは大陸についたらやりたいことを競うように挙げていった。
ちょっとしたもの、大がかりなもの、時間がかかるもの、馬鹿馬鹿しいもの。あるいはレイドの新たな目的のように、どう実現すればいいのか見当のつかないものもたくさんあった。
だが俺は思う。どれも決して絵空事ではないと。
今朝、この船に乗っている全員を王都から南港湾都市まで一括で《瞬間転移》してくれたのはブータだ。もちろん膨大な魔力がかかった。昨日までのこの少年であれば、多少は疲労の色を見せただろう。しかし今はケロっとした顔で話をしている。
理由はブータが――いや、俺以外のみんなが、昨日の最終決戦でまた一段とレベルアップしたからだ。
滅びの女神とその眷属たちから得られた経験値は桁違いの量だった。元々大陸の大国でも一人いるかいないかというくらいの高レベルだったみんなが、数えきれないくらいレベルアップするほどに。
世界を滅亡から救い、更なる成長を遂げた今のこの十三人にできないことが果たしてあるだろうか。
最終決戦で円卓から魔力供給を受けた時にも負けないような万能感を、俺は今覚えていた。
「みんな、たいりくついてからもいっしょにいるつもりなんだなー」
ふいにイスカが機嫌よさそうに呟いた。
ガヤガヤと騒いでいた他の連中はそれを聞いてピタリとおしゃべりをやめた。それから気恥ずかしそうに互いに顔を見合わせた。
確かに俺たちにはもう一緒にいなければならない理由は何もない。六代目の円卓騎士団はすでに解散しており、俺たちは同僚でもなければ主従関係でもない。
しかしイスカの言うとおり、大陸に着いてからも行動を共にすると当然のようにみんな思い込んでいた。元々は生まれも生き方もまったく違う十三人であったというのに。
「ま、今更じゃねーの。こいつについてった方が面白いだろうよ」
代表するようにヤルーが言う。
他のみんなから異論は出ない。期待されれば応えたくなるのが俺の性だ。こいつらが何を面白いと思うかはさっぱり分からないが、やってやろうじゃないか。
「みーくんはどう? 三年ぶりの一般人だよ! なにかやりたいこととかないのかな!?」
ヂャギーに問われ、腕組みをして思案する。
すぐに答えは出てこない。答えが出そうな雰囲気さえない。
「そうだなぁ。王様辞めた後にどうするか、何度か考えたことはあったけど、その日その日を生き抜くのに精一杯だったから、そんな真面目に考えたわけじゃないんだよな。……ま、これからじっくり考えるさ。船の旅は長いし、そのうち何か思いつくだろ」
今もまだ未来について考えられるような気持ちにはなっていない。当然だ。世界の滅亡との戦いから解放されて、まだ一日も経っていないのだから。
きっとこれからゆっくりと、そういうことを考える気持ちの余裕が生まれてくるだろう。
☆
そんな俺の言葉を最後に、なんだかしんみりとした空気が流れたのち。
「そうだミレくん、考えると言えばだけどさ。あのときの返事聞かせてよ!」
手を打ち、目を輝かせたのはラヴィだった。
「あのときの?」
「ほらー、一昨年の夏に二人で大冒険したでしょ? あの後に話したアレ!」
ラヴィは踊るようにくるくる回転しながら近寄ってきて、俺の右腕にひしと抱き着いた。
女性陣の一部から、非難めいた視線が飛んでくる。
ラヴィはそれに構わず、きらきらした目で俺の顔を見上げてきた。
「あの時あたし、ミレくんに告白したでしょ? 返事は王様辞めるまで保留でいいからって言ったけどさ。ほらほら、今がまさにその時じゃん? まさか忘れたなんて言わないよね?」
もちろん忘れてなどいなかった。だが覚えていないふりをしていたし、意識して考えないようにもしていた。
ラヴィは俺の胸に額を寄せ、いじらしく指で首筋に触れてくる。
芝居がかってはいるが、抗いがたい魅力を感じる仕草だ。
「一番だとは言ってくれなかったけど、あの時ミレくん、あたしのこと『好きだ』って言ってくれたよね? あたし、ミレくんの一番になれるように頑張るって言ったよね。……どうかな、ミレくん。あたしすっごく頑張ったつもりだけど……ミレくんの一番になれたかな?」
潤んだ瞳を向けてくるラヴィ。
破壊力は抜群だ。もし二人きりの場面であったなら、コロっと都合のいい返事をしてしまったかもしれない。
だが、今そんな返事をしたらどうなるか分からないほど、俺は馬鹿ではない。
「へ、陛下、ラヴィとそんなやりとりをしてたんですか!? し、しかもそんな前に。……よもやそこまで進んでいようとは……」
見ると、リクサが顔面を蒼白にしてカタカタと体を震わせていた。しばらくそのまま酸欠の金魚みたいに口をパクパクしていたが、そのうち俺とラヴィの間に肩をぶつけて強引に割り込んできた。
「あ、あのですね、陛下。前にコーンウォールにある私の実家に来ていただきましたよね? あれは、ええ、そのラヴィとのやりとりより前だと思いますが、あそこに滞在した最後の夜に、私の部屋で私が申し上げた希望を覚えておいででしょうか」
「希望? ええと、『生涯貴方のそばでお仕えしたい』ってやつ?」
「それです! その、迂遠な言い回しでしたので、もしかすると上手く伝わらなかったかもしれませんが――」
リクサは顔を真っ赤にして言いよどむ。青くなったり赤くなったり、忙しい人だ。
「あ、あれは陛下を心からお慕いしているという意味で……つ、つまりは愛の告白だったのです! 陛下のことが好きだという意味だったんです!」
リクサは目を閉じたまま一息に言い切った。
その後も目は閉じたままである。恥ずかしくて仕方がないのだろう。
先ほど押し出されたラヴィはめげることなく、今度は俺の左腕に抱き着いてくる。
「リクサさぁ、そんな遠回しな言い方で伝わるわけないじゃーん。てゆーか後付けでしょ、それ。どーせその時はそんなつもりで言ったんじゃないでしょ」
「あ、後付けなどではありません! ……そ、それにラヴィ、貴女は知らないでしょうが、その時私と陛下の間には婚約の話も出たのですよ、ふふん」
リクサは誇らしげに、というより強がるように胸を張る。
ラヴィが疑わし気な眼差しを俺に向ける。
確かにそんな話は出ていた。が、それは彼女の母親がそれとなく俺にプレッシャーをかけてきただけのことである。
そう思いはしたが、口には出さない。
リクサは耳まで赤くして、自身の唇に人差し指で触れる。
「そ、それに私はあの時、陛下に接吻もしていただきましたし!」
「知ってるよ。てゆーかリクサが自分で教えてくれたんだけどね、それ。泥酔してたから覚えてないか」
ラヴィも負けじと唇に指を当てる。淫魔のように魅惑的な笑みを浮かべながら。
「それにキスだったらあたしもしたからね。それもムード最高のシチュエーションで。ふっふーん」
ショックが許容範囲を超えたのか、リクサは白目を剥いて気絶した。俺の腕の中にいたから、倒れはしなかったけど。
「あ、主さまとキスしたのはわたしが最初のはずです!」
今度はシエナがビシッと手を挙げて参戦してきた。
即位一年目の夏休みにオークネルへ里帰りした際のアレについて言っているのだろうが、アレはキスというより人工呼吸だった。しかし二人でノーカンではないと取り決めたので、嘘をついているわけでもない。
思いがけぬ伏兵の登場に唖然とする一同。
シエナは彼らを見渡して自慢げに微笑み、頭頂部の獣耳をピンと立てた。
「皆さん知らなかったでしょうけど、実はわたしは主さまと幼い頃に会っているんです! つまり一番付き合いが長いんですよ! これはもう最も固い絆で結ばれていると言っても過言ではありませんね! ね、主さま!」
「あ、うん、付き合いが長いのは確かだけど……なんやかんや言ってなかったのに、ここで言うんだな、それ」
俺の返答が不服なのか、シエナは俺の前まで飛んでくると頬をぷくっと膨らませた。
その口から文句が飛び出す前に、今度はスゥが横から手を挙げた。反射的にって感じで。
「付き合いの長さで言うなら、あーしの方が上っスよ。ミレウスさんをウィズランド島に連れてきたのは、このあーしなんスから」
「シャー!!!」
尻尾を逆立て、鋭い犬歯を見せて威嚇するシエナ。
スゥは薮蛇だったと顔をしかめて、すぐに引っ込んだ。
離れたところで事態を静観していたレイドが、隣に立つナガレをちらりと見る。
「ふむ。ずいぶん余裕そうだな、ナガレ嬢よ。ナガレ嬢も王と、その……いい関係なのだろう?」
「あん? へへ、まぁなー。でもオレは別にそんな焦るような立場じゃねーから」
「ほう。と、言うと?」
「なんかキスがどうだのとか低レベルなとこで争ってるけどよぉ。オレなんてミレウスと行為寸前までいったからな。いや、ありゃもう九割シたようなもんだ。王様やめたら続きするって約束もしたしな」
ナガレは俺に向かって意味ありげに片目を閉じて見せた。
今度はシエナが白目を剥いて気絶した。
咄嗟に俺はラヴィを離し、フリーになった左腕を伸ばしてシエナを抱きとめた。
ラヴィが不服そうに唇を尖らせる。
いや、仕方ないだろう、甲板に激突させるわけにもいかないし。
「ふ、不潔です!」
いつから意識を取り戻していたのか、リクサが俺の腕から離れながら喚く。
そちらもそちらで宥めなければなるまいが……先ほどから気になっているのは、一番静かで、一番怖い人の視線だ。
アザレアさんである。
「うんうん。こんな感じになってるとは薄々思ってたけどねぇ、ミレウスくん?」
アザレアさんは笑っていた。ナガレと同じように。だが、その意味するところはだいぶ違う。
中等学校の頃、俺がクラスのほかの女子と仲良く談笑した後にもこんな風に笑っていた。しかしあの頃よりも百倍は怖い。
「まぁこうなるっスよねぇ。やっぱ前の王さまたちも島出てから修羅場ったんスかねぇ……」
端の方でスゥが大きなため息をついている。
前にこんな感じに修羅場りかけた時は、俺の母親的存在として自分が認めた女性でなければ交際相手として認めないみたいな話をして場をおさめてくれたが、今回はそんなことを言いだす気は起きないらしい。
「みんなでつがいになればよくないかー? イスカもみれうすのことすきだしー」
イスカが首を傾げながらスゥの袖を引く。
スゥはよしよしとイスカの頭を撫でるだけで、返事はしない。
「今の陛下は一般人ですからねぇ。一夫多妻は難しいんじゃないですかねぇ」
「そうデスね。どちらにせよ、この場はビシっと答えを出さないとダメそうデスよね」
巻き込まれるのを恐れてか、ブータとデスパーが一番遠くに退避して何やら話している。
ラヴィ、リクサ、ナガレ、アザレアさんの四人がずいっと俺を囲う。
俺の腕の中で意識を取り戻したシエナが、彼女らの火に油を注いだ。
「わたしは主さまと同衾もしたことあるんですよ! それも何度も!」
それは子供の頃の話だし、シエナは狼形態だっただろう――と、言い訳する間はもちろんない。
リクサが半泣きになりながら、俺の腕にすがりつく。
「わ、私にはそんなことしてくださらなかったじゃないですか! 私とは遊びだったのですか!?」
「遊びじゃない! 本気だ! 待て、アザレアさん、治癒阻害の短剣に手をかけるのはやめろ!」
黒い刀身が視界の端にちらりと見えた。
アザレアさんは無言のまま短剣から手を離す。にんまりと笑っている。魔王化した彼女をアスカラの地上絵に迎えに行ったあの夜よりも、遥かに怖い。
「他の奴らとはまだシてねぇって言ってたよなぁ? ありゃ嘘か、ミレウス?」
ナガレも先ほどまでとは打って変わって鬼の形相になっていた。いつの間に召喚したのか、木刀を肩に担ぎ、出会ったあの頃のような殺気を含んだ目で俺を睨んでいる。
「よーし、それじゃあミレくんにハッキリ言ってもらおう! 誰のことが一番好きなのか!」
ラヴィが手を叩いて提案をする。
「私は信じてるよ、ミレウスくん」
「し、信じてますよ、主さま!」
「へ、陛下! わ、私ですよね……?」
「オレだよなぁ? ミレウス」
他の四人もそれに乗った。
全員が全員、自分が本命であると信じている目をしている。
これはある意味、これまでの俺の好感度上げが完璧だった証拠とも言えるだろう。この中のどの女性とも結ばれる未来があり得たわけで――少なくとも俺はウィズランド王国の王としては有能だったわけだ。
人としてはTHE・クズって感じもするが、俺だって好き好んでこんな状態に持って行ったわけじゃない。
両手を前に出して、みんなを制する。
目を閉じ、大きく深呼吸をする。
いずれこういう日が来ることは分かっていた。先代王から聖剣の使用条件を聞いたあの夜から。
「分かった。答える。答えるから、少し下がってくれ」
五人はごくりと息を呑んで、言われるままに俺から一歩離れてくれた。
その向こうにいる連中も固唾を飲んで見守っている。
充分に時間をかけて、心の準備をした。
この決断は間違いではないはずだ。
「俺の答えは――」
こんなの、最初から決まっているのだ。
ごく短い呪文を唱える。
一瞬の暗転ののち、視界が切り替わる。
先ほどまで立っていた船の後方甲板が眼下に映った。
上から見下ろす形で、みんなの姿も確認できた。突然消えた俺の姿を探して、右へ左へ首を動かしている。
俺が《短距離瞬間転移》したのは主帆柱の上。
無論この狭い船の中だ。すぐにバレる。
「あーーー! ミレくん、逃げたなぁー!」
いち早く見つけたラヴィが俺を指さし、非難の声を上げた。
他のみんなもこちらを向いて口々に罵ってくる。
「嘘でしょミレウスくん! 普通この状況で逃げるぅ!?」
「へ、陛下! 情けないですよ!」
「ミレウス、テメェー! 降りてこいコラァ!」
「主さま、卑怯ですよ!」
知ったことではない。
「うるせー! こっちはここ三年、好感度上げるために必死だったんだっての! 一人に決めるとか考える余裕はなかったんだっつーの! だから俺はまだ返事する気なんて、まったくないからな! まったく! これっぽっちも! ないからな!」
反撃されるとは思ってなかったのか、五人はあんぐりと口を開けて固まってしまった。
が、それも一瞬で、すぐに先ほど以上の罵声を飛ばしてくる。
他の連中は笑っていた。特にヤルーは腹を抱え、目端に涙を浮かべて大笑いしている。
「けっけっけ! ミレちゃんのやつ、開き直りやがった!」
「お前が言ったんだろうが! 気負いすぎるな、もっと適当にやれってよ!」
無責任すぎるあの男にイラっときて怒鳴る。いや、こんなことをしている場合ではない。
五人が俺を追い詰めようと主帆柱の下に殺到するのが見えた。
「シエナ! ヤルーに手を出すなって言ってた件、もう無効だぞ!」
「おい、ミレちゃん! なんてこと言いやがる!」
シエナが瞳をきらりと輝かせ、ショートソードを鞘から抜く。
それと同時にヤルーが一目散に船首方向へと逃げ出すのが見えた。
ほんの一瞬、二人の動きに他の連中が気を取られる。
その隙を突き、俺は主帆柱から飛び降りた。
そして甲板に着地するや否や、振り向きもせず、やはり船首方向に走り始める。
ぽかんと事のなりゆきを眺めている傭兵ギルドの連中の横をすり抜け、とにかく走る。
船は狭い。大陸に着くまで二週間だか一月だかは海の上。逃げ切れるとは到底思えない。
生き残るには追ってくる連中を一人ずつ、なだめ、すかし、説得していく他にすべはない。
俺ならできる。きっとできる。何もかもを先送りにしてきた俺が、この程度の苦境を先送りできないはずがない。
このメンバーで平穏な旅ができるなんて、はなから思っちゃいなかった。仮にここを切り抜けたとしても、きっとこれから先もこれと同じような渾沌とした日々が俺を待っている。
望むところだ。
さっきのヤルーの言葉を返すようだが、大陸に着いてからもこいつらと一緒にいる方が絶対に面白い。
甲板に響く怒号と悲鳴と笑い声。
一つの物語の終わりと新たな冒険の始まりを予感し、俺は雲一つない青空を見上げて腹から声を出して笑い、走った。
☆
かくして俺の間違いだらけの物語は幕を閉じた。
のちに伝え聞いた話では、眠りについていたウィズランド王国の民はすべて、このあと数日のうちに目覚めたという。
もちろん少なからぬ混乱が起きたらしい。だが後援者が行った事情説明と情報操作により、そう時間もかからずに国は平常へと戻ったそうだ。
すなわち、ほとんどの期間は王が不在である奇妙な王国の姿に。
俺たちにとってただ一つ誤算だったのは、ウィズランド王国民があの最終決戦を夢という形で目撃してしまったことだ。
国民たちは顔を合わせれば、首を傾げて話しあったという。共に見たあの不思議な夢のことを。
あの夢はいったいなんだったのか。
王と円卓の騎士は何と戦っていたのか。
あれは何のための戦いだったのか。
答えをくれる者はいない。
だが確証はなくとも、人々は直感的に理解していた。
あれはただの夢ではなかったと。
あれはきっと、自分たちを救うための戦いだったのだと。
そして俺たち六代目円卓騎士団は、人々を魔の眠りから解放した王と騎士たちの伝説としてあの島で永く語り継がれることとなり、俺には“解放王”という尊称がつけられた。
聞くとなんともこそばゆくなるその名には、もう一つの意味が込められているのではないかと仲間の誰かが推察していた。つまり、神話の時代に本来と真逆の役目に縛り付けられた大地創生の女神を、その呪縛から解放した王という意味が。
ありえなくはない。それが真実だとすると、その名をつけたのは後援者の誰かということになる。
いずれにしても、あの島のほとんどの人はそこまでしか俺たちの足跡を知らない。
そこから先の大冒険――大陸に渡ったのち、強大無比な拡散魔王と死闘を繰り広げたり、大森林の根源精霊を討伐したり、先代の王と騎士たちにばったり出くわしたり、世界の命運をかけた大戦に巻き込まれたりと、長編叙事詩がいくつも作れそうな壮絶な紆余曲折を経てから、最後にたどり着いた新天地で自分達の新たな国を建国したことを語るのは……また別の機会にしよう。
お疲れさマッコオォォォォォイ!!!!
これにてダメ卓完結です!!!!
最後の最後に長いことお待たせしてしまい、まことに申し訳ありません。
『ハーレムラノベ書きてぇなぁ。合法ハーレムがいいなぁ。……せや!』
と、思い立ってから、ちょうど四年半。
色々大変でしたが、どうにか最後まで書きあげることができました。
すべてはひとえに応援してくださった読者の皆様のおかげです。
本当にありがとうございます。
想定していた文量をかなりオーバーしてしまいましたが、書く予定だったものはすべて書くことができました。また回収する予定だった伏線もすべて回収できたと思います。
新たな発見もあると思いますので、ぜひブックマークはそのままに、時々最初から読み直していただけると嬉しいです。
今後もなろう等で色々書いていくつもりです。モチベーションアップにつながりますので、ダメ卓の感想、評価、レビュー、お気に入りユーザー登録等をしていただけると、とても嬉しいです。
(良かった点、好きだったキャラや展開、驚かされた点などを教えていただけると特に喜びます)
別の機会に語るとか最後に書きましたが、この物語の後のミレウスたちのことを(彼らの視点で)書く予定は今のところありません。
ただ同一世界の話を書く予定はありますので、そちらにちらっと出てくるかもしれません。
他にもダメ卓を完読していただけた方にはより楽しんでいただけるような作品をいくつか書くつもりですので、ぜひ次作以降も読んでいただけると嬉しいです。
というわけで、あとがきも終わりです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
今後も応援よろしくお願いいたします。
作者:ティエル




