第二百十六話 理想郷を信じたのが間違いだった
王都郊外の療養施設から運び出されたその女性は、王城にある俺の寝室のベッドの上に仰向けに寝かされていた。
俺の育ての母、セーラ・ブランド。
歳は三十を少し過ぎたくらいのはずだ。滅びの女神の永続睡眠現象で眠りについた人々は代謝が極端に落ちているため加齢はしないが、俺も半年ほど精霊界にいたからそれほど追いついてはいない。
親子というには年が近すぎる。しかしまぎれもなく俺の母だ。
ベッドの脇に椅子を置き、久しぶりの母の寝顔を見ながら俺はじっと待った。
体を覆う毛布が微かに上下している。呼吸をしているのだ。こんな当たり前のことさえ、この人は長いことしていなかった。
いくらでも待つつもりでいた。
だが結果として、それほど時間はかからなかった。
義母さんが二つの瞼をゆっくりと開ける。呆けたような顔でベッドの天蓋をしばし見上げた後、首を動かしてこちらを向いた。
自分の涙腺が緩みかかっているのを自覚した。
喉を震わせ、かすれる声をしぼり出す。
「おはよう、義母さん」
「……おはよう、ミレウス。あら、ここアナタの部屋?」
首を巡らせて義母さんが部屋の中を見渡す。
明かりは点けていなかったが、半壊した壁から月明りが差し込んでいる。互いの顔を見るのに支障はないし、部屋どころか城全体が崩壊寸前なのを見て取るのも容易だ。
城の広間で行われている宴の喧騒が僅かに耳に届く。
それが逆に、この部屋の静けさを際立たせていた。
育ての母の右手を両手で包んだ。
暖かさを感じる。
涙があふれだしそうになっているのを隠すため、俺は頭を下げた。
「義母さん、驚かないで聞いて欲しいんだけど……義母さんはね、一年近く寝てたんだ。義母さんだけじゃなくて、国中の人が眠りについていた。どうしてそうなったかこれから話すけど、質問するのは最後まで聞いてからにしてほしい。……すごく時間がかかる話なんだ」
俺がいつになく真剣なのが伝わったのだろうか。
義母さんは目を丸くして、上半身を起こした。
「いいけど。ミレウス、アナタまた少し背が伸びた?」
そう見えるだろうか。そうかもしれない。
それから俺はこれまで秘密にしていたすべてを、一つも余すことのないよう慎重に義母さんに話した。
歴史の真実、円卓の騎士の責務、聖剣とその鞘の力、国民の目が届かぬところで行われていた滅亡級危険種たちとの戦い、スゥやイスカの正体、俺がオークネルに来たのは偶然ではなかったこと、円卓の中で見た歴史の真実の最後の断片、終末戦争の真相、この島で眠っていた滅びの女神の存在、永続睡眠現象の発生と原因と解決法、そして昨日この王都で行われた円卓防衛戦と、黄金郷で行われた円卓の騎士と女神の決戦――。
あらかじめ整理してきたつもりだったが、話は本当に長くなった。
その時間はこの三年間を回想するようであり、胸に熱い何かがこみあげてくるような感覚があった。
義母さんは最初に俺が頼んだとおり、途中で何の質問も挟まなかった。
とくに驚いた顔もせず、ただ黙って俺を見つめて話を聞いており、すべて聞き終えた後も――。
「やっぱり」
と、小さく一言発しただけだった。
この人は、俺たち円卓の騎士が何か危険なことをしていると勘づいていた。元々大らかで放任主義の人だ。だから、この反応も意外というほどではないけれど。
「全部、信じてくれるの?」
「夢で見たのよ。アナタと円卓の騎士の皆さんがどこか――廃墟みたいなところで戦ってるのを。もの凄く大きな女神様みたいな女と、見たこともない怪物たちが相手だった。……変な夢を見るなぁって思ってたけど、あれは本当にあったことだったのね」
そういえば、そうか。
最終決戦の最中に円卓が伝えてきた。俺たちの戦いの様子を、永続睡眠現象で眠りについている人々が夢で見ていると。義母さんも当然、あの中に含まれていたはずだ。
ゆっくりと義母さんが片手を伸ばしてくる。
細い指が、俺の頬に触れる。
「大変なことをしてたのね、ミレウス」
「……ああ。でも、もう全部終わったんだ」
知らぬ間に、俺は再び頭を垂れていた。これだけのことを黙っていた負い目がそうさせたのだろう。
十年も一緒に暮らしたのだ。こんなことで怒る人ではないとよく分かってはいた。
しかしやはり、この続きを話すのは気が重い。
「それでね。……実はもう一つ、義母さんに話さなきゃならないことがあるんだ。こっちは俺も、ついさっきまで知らなかったんだけど」
これはスゥが隠していた最後の秘密だ。彼女がこれを俺たちに打ち明けるには大きな勇気が必要だったはずだ。それこそ俺に自身の正体を告げたあの時よりも、ずっと大きな勇気が。
もう一人の母の気持ちを慮りながら、俺は再び口を開いた。
「役目を終えた王と円卓の騎士は……もうこの島にはいられなくなるらしい」
義母さんが僅かに目を見開いた。
それに気づかなかった振りをして、俺は説明を始める。
「円卓と円卓の騎士をつなげている魔力回路。これが重要なんだ」
円卓は聖剣の各種好感度能力や聖剣の鞘の絶対無敵の加護を働かせるための魔力供給源の役割を担っている。
また王を除く円卓の騎士たちは聖騎士との二重職になっているが、そのクラススキル――【瞬間転移装着】や聖馬召喚などの消費魔力も円卓が肩代わりしている。
そういったことが可能なのは、王や騎士が円卓の自分の席に最初に座った瞬間に、両者をつなぐように魔力回路が自動接続されるからである。
問題は、その魔力回路が一席につき、常に一本だけであるということ。
それとその接続は王や騎士が辞めても、この島にとどまる限り、解除されないということ。
滅びの女神は未来へ去ったが、この地に戻ってくる滅亡級危険種はまだまだ残っている。円卓の騎士の責務がすべて終わったわけではないのだ。
これから数十年後には次代の王と十二の騎士が選定され、俺たちがこの三年間してきたような戦いに身を投じることになる。
「その時に円卓から出る魔力回路がきちんと彼らに接続できるようにするために、俺たちは島を出ていかなきゃいけないってわけ」
話し終え、俺は大きく息を吐いた。
義母さんは口元に手を当てて、目を細め、苦笑らしきものを浮かべている。
「命がけで国を守った報酬が追放だなんて、あんまりね」
「まぁね。『全部終わった後にそんなこと明かすなんて詐欺だ!』ってヤルーは憤ってた。けど、口元は笑ってたから演技だろうな。アイツのことだから、たぶん薄々感づいてたんだと思う。円卓の騎士の他のみんなも納得はしてた。……俺もまぁ先代以前の王や騎士は全員、やめた直後に失踪したって話を聞いてたから、腑には落ちたよ。スゥも黙っていたくて黙っていたわけじゃないし、責める気にはならなかった。初代の連中だってわざとそんな仕組みにしたわけじゃないらしいしね……」
スゥから秘密を打ち明けられたときに思い出したのは、だいぶ前にリクサから聞いたあの話だ。失踪した先代以前の王たちはウィズランド島の遥か南東にある理想郷で幸せに暮らしているとかいう、眉唾物のあの噂。
その理想郷というのは大陸だったというオチなわけだ。
「別にずっと帰って来られないわけじゃないんだ。たまに顔を見せに来るくらいなら大丈夫。ただ、まぁ、長時間留まるのは魔力回路の接続が復活しちゃうみたいなんでダメだし、最初の数年はまったく戻らないようにしないといけないらしいんだけど」
「そう」
義母さんはそっけなく言うと、窓の外へ目を向けた。
夜の帳は降りたまま。
しかし夜明けは遠くない。
「いつ出るの?」
「今日、今から。みんなと話したけど、へたに残ると未練が湧くからって。それに今のうちに出れば、色んな後始末は後援者連中に押し付けられるしね。……実はまだ他の国民は寝てるんだ。数日もすれば全員自然に目覚めるらしいけど、義母さんにだけはきちんと俺の口から話しておきたくて、ブータとシエナに無理言って少し早く起こしてもらって、ヂャギーに頼んでここまで運んでもらった。……これがたぶん、俺が使う最後の王様特権だろうな」
冗談めかして言ってみる。
義母さんは微笑みを浮かべてくれた。
「本当に立派になったわね、ミレウス。でもアナタがどれだけ立派になっても、どれだけダメになっても、私の子供であることには変わりないのよ。……そうでしょ? アナタが王様になってもそれは変わらなかったんだから。世界のどこへ行っても、それは同じ」
義母さんがベッドから身を乗り出した。
華奢な両腕で頭を抱きしめられる。
「助けてくれて、ありがとう」
堰を切ったように両目から涙があふれた。
この人の息子でよかったと、心から思う。
義母さんの背中に手を回し、そのぬくもりをしっかりと記憶して、俺は義母さんに別れの言葉を告げた。
☆
夜明け間近。
一人、王城を出た。
陽はまだ昇らないが、東の空が僅かに白んできている。
歩きなれた一番街を南へ向かう。
戦場となった王都は見る影もないほど荒廃していた。
ありとあらゆる建物が崩壊している。火災もあちこちで起きたのだろう。木造家屋はほとんどが炭になっていた。
無傷で残っている建物は一つも見当たらない。
まるで戦争に敗れた国の都のようだった。
だが昨日の戦で死者はいない。ただの一人も。
だから俺たちの勝利だ。
やがて目的地が見えてきた。
王都の中心――俺の物語の始まりの場所、聖剣広場。
広場の中央にある小さな丘は奇跡的に昨日の戦闘の被害を受けていなかった。
ほんの数歩で登れる小さな丘だ。三年前のあの日のように、一気に駆け上がる。
両の足で頂上に立つと、腰に帯びた聖剣が最後に俺が為すべきことを教えてくれた。
聖剣の柄に額を押し当てる。
そこに俺の残留思念が宿ったのが直感的に分かった。
次の王はどんなやつだろう。
七代目の王はまだ生まれてもいないはず。
男か女か。
戦士か、あるいは俺のような一般人か。
だけどまぁそれがどんな奴だろうと、きっと俺と同じように与えられた大きすぎる役割に面食らい、苦笑いを浮かべながら愚痴を言い――それでも使命を果たすのだろう。
なにせ、あの円卓が選ぶ王なのだから。
聖剣を鞘から引き抜き、三年前とは逆に丘の頂上に刺す。
すると聖剣の鞘が忽然と姿を消した。俺がアレを手に入れた場所――裏の即位式を行う、あの玉座の間の下の隠し通路へと帰ったのだろう。
懐に手を入れてみると、そこに入れていた時を告げる卵も消えていた。きっと、この島のどこかで眠る魔術師マーリアの元へ帰ったのだろう。
朝日が昇る。
胸中に去来したのは爽やかな解放感と一抹の寂しさ。
俺は今、ウィズランド王国六代目国王から、ただの一人の人間に戻ったのだ。
三年間共に戦った相棒に頭を下げて、丘を下りる。
下では旅立ちの支度を整えた仲間たちが俺を待ってくれていた。
円卓の騎士から、ただの人間に戻った十二人の仲間たちが。
お待たせしました。
次が最終回です。
作者:ティエル




