第二百十五話 隠し事はもうないと思っていたのが間違いだった
気づいた時、俺の体は高々と宙を舞っていた。
視界がぐるぐると数えきれないほど回った後、背中から勢いよく地面に激突する。
「ぐえっ」
と、声が出たのは肺が潰れたからだ。
聖剣の鞘の絶対無敵の加護が発動していない。めちゃくちゃ痛いが、それは肉体を持って十二の月が巡る大地に帰還できた証拠でもあった。
「も、戻って、来られたの……か?」
何度も浅い呼吸を繰り返してから、上半身を起こす。
目が回っていたが、辺りが黄金郷の跡地であることは確認できた。それと少し離れたところからみんなが俺の方に駆けてくるのも。
イスカは人間形態に戻っていたし、レイドも元のザリガニ姿に戻っている。スゥの完全魔神化もアザレアさんの魔王化も切れている。ナガレの機動兵器もすでにないし、ヤルーが召喚していた精霊たちもいない。もちろんシエナが降ろしていた女神アールディアもだ。
しかしどうやら俺が滅びの女神に時の狭間へ連行されてから、それほど時間は経っていないようだ。
「ミレくーん!」
と叫びながら、両手を広げて最初にやってきたのは【影歩き】が使えるラヴィだった。彼女が減速せずに胸に飛びついてきたので、俺は再び地面に背中を打ち付けるハメになった。
その後ろから駆けてくる連中も、やはり俺のことを呼んでいた。呼び捨てだったり、敬称がついてたり、呼び方は様々だったけど。
精霊界から帰還した時のことを思い出す。あの時もこんな感じだった。もっともあの時よりもずっとみんなの反応は大げさだ。
当然と言えば当然だ。あの時と違って今回は、俺が死んだと思ってただろうから。
「ミレくんー、心配したよぉー、うぇぇー」
ラヴィが大泣きしながら俺の胸に頬ずりをする。
少し遅れてやってきたリクサが、シエナが、アザレアさんが、ナガレが俺の体の空いてるところを見つけて、飛びつくように抱き着いてくる。
「陛下、よくぞご無事で!」
「主さま! よかったぁ!」
「ミレウスくんのバカぁ! 最後の最後で油断しないでよ!」
「勝手に死ぬんじゃねーよ、このバカミレウス!」
四人が口々に言うのはどうにか聞き取れた。後ろの二人の台詞はほとんど罵倒だったが、それが心配の裏返しであることは考えるまでもなく分かる。
みんな涙ぐんでいた。
さらに後ろからやってくる面々は多少冷静ではあった。だがやはり、いつもよりはずっと感情的だ。
「みれうすー! ぶじかー!」
「ふむ。なんともなさそうだな、王よ」
「信じられない幸運っスねぇ」
「やっぱ悪運つえーな、ミレちゃんはよぉ」
イスカとレイドとスゥとヤルーだ。喜びの発露か、あるいは異常がないか確かめるためか、四人は僅かに残った俺の体の空いてるところを笑顔でバシバシと叩いてくる。
嬉しくはあったが、痛い。主に右腕と右肩と背中が。
「か、肩が脱臼してるな、これ。あとたぶん肋骨と背骨がイッてる」
どうにか呟くと、俺に抱き着いていた四人はようやく離れてくれた。
すぐにシエナが《治癒魔法》をかけてくれる。
それを受けている間にとぼとぼとやってきたヂャギーとデスパーが、二人揃って申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「ごめんなさいなんだよ!」
「ちょっと力を入れすぎたデスね」
「えーと……アレか? もしかして俺が宙を舞うことになったのって君らのせいか?」
苦笑いしながらたずねると、二人はすぐさま首を縦に振った。
しかし詳細は教えてくれない。
代わりに短い脚をひょこひょこ動かして最後にやってきたブータが、俺のそばに屈みこんで答えてくれた。
「陛下と滅びの女神が消え去った後にこの辺りを探したら、見たこともない形の魔力の乱れがあったんですよぉ。ひょっとしてと思ってそこを押し広げてみたら、次元の断層のようなものがあって……それで、みんなでそこに向かって陛下のことを呼んだんです。そしたら返事があって」
「……返事?」
「はい。陛下の声で『生きたい』って。……おっしゃいましたよね?」
「あー」
そういやみんなの声がする方に行くとき、そんなことを考えていた。それが声になって届いていたようだ。
ブータは照れ笑いをしながら、右腕をぐっと伸ばすようなジェスチャーをする。
「それで、その断層から人の手みたいなものが見えたので、みんなで手を入れて掴んで、引っ張ったんです」
「で、大根みたいに引っこ抜かれた俺の体は宙を舞ったと。……なるほどなぁ」
話している内に《治癒魔法》が効いてきたのか、だいぶ痛みはマシになった。
シエナに礼を言って上半身を起こして、ヂャギーとデスパーの肩を叩く。
「ありがとう、助かったよ。力ずくで引っこ抜いてくれなきゃどうなってたか分からないしな。ブータもありがとう。魔力の乱れとかいうのに、よく気づいてくれた」
「えへへ。でも正直、上手くいくなんて思いませんでした。次元の断層の向こうに陛下がいたとしても、こちらに戻って来れる確率なんてゼロに等しいですから。大海原の真ん中で遭難して、たまたま出発した港まで漂流してくるようなもんですよ。ほんともう物凄い偶然ですよ。さっすが陛下、豪運ですねぇ」
「……いや、ただの偶然じゃないし、幸運とかでもないんだ」
俺は自分が吹っ飛んできた方向を向いた。たぶんあの辺りに次元の断層とやらがあったはずだ。
今はもう、何もない。
「ウィズだ。女神ウィズが俺を助けてくれたんだ」
ブータもみんなも、きょとんとした。
無理もない。意味不明だ。ウィズはずっと俺たちの大敵だったのだから。
時の狭間での奇妙な邂逅とそこで聞いたすべてを、俺はみんなに話した。
滅びの女神の誕生の秘密。自身の肉体を追い出された大地創生の女神が、神の座から俺たちを守護していたこと。彼女が手助けしてくれたおかげで、俺は時の狭間から帰って来られたこと。
まったく想像もしていなかった内容だろう。
みんなは終始目を見張って話を聞いていたが、終盤になるとその表情は複雑なものに変わっていった。
それぞれに思い当たるところがあるのだろう。
話を聞き終わって最初に唖然とした顔でうめいたのはリクサだった。
「まさか、私を[天意勇者]にしたのは……?」
「ウィズだったんだろうな」
肯定の意を込めて、俺は頷く。それはウィズから話を聞いたときに真っ先に思い浮かんだことだ。
続いてシエナが震える声で呟く。
「ひょ、ひょっとして、これまで蘇生魔法が異常な確率で成功してたのも?」
「たぶんね」
やはり俺は頷いた。
スゥがイスカの頭を撫でる。過去を回想するような目をしながら。
「あーしら初代の時も都合がいいことがたくさんあったっス。あれもいくつかは大地創生の女神さんのおかげだったんスかねぇ」
「そうだね。たぶん」
それも俺が思い当たっていたことだ。
二百年前――オークネル近郊の山中で、スゥが魔神との契約の儀式で生け贄として捧げられた時、統一王の一行がギリギリのタイミングで駆け付けたのはただの偶然だったのだろうか。そう考えられないわけではなかったが、大地創生の女神が見ていたというのなら、そちらの可能性の方を信じたくなる。
他にも疑わしい統一戦争期の出来事はいくつもあった。例えば修復の眠りについていたイスカがあの時代にたまたま目覚めたというのも、偶然にしてはできすぎている。
もちろん確証などありはしないのだが。
「どこからどこまでかは分からないけど、ウィズはずっと俺たちを後押ししてくれてたんだ。……僅かな助力しかしてないって彼女は言ってたけど、たぶん、そんなことはないよな」
俺のその言葉を最後に、しばし沈黙が続いた。みな、遥か未来へと消えた二人の女神に思いを馳せているようだ。
今度こそ、すべてが終わった。
もう油断してもいいだろう。安心してもいいだろう。
己の使命を全うした充足感と達成感を噛みしめて立ち上がり、俺はみんなに笑みを向けた。
「帰ろう。俺たちの国に」
☆
行きは半日以上かかった旧地下水路だが、帰りは一瞬だった。滅びの女神が未来へと去ったことで、その魔力で阻害されていた《瞬間転移》が使用可能になったからだ。
地上へと凱旋した俺たちを、王城の防衛隊は総出で迎えてくれた。
ただの奇跡か、あるいは大地創生の女神の加護か、防衛隊に死者は一人もいなかった。少なくとも蘇生魔法で蘇れなかった死者は。
俺たちは互いの生存を喜び、健闘を称えあい、城の倉庫の食料と酒樽をすべて解放して、勝利の味を分かち合った。
そこでは身分も職も信じる神も善悪も、すべてが無関係だった。
永続睡眠現象で眠りについた人々が目覚めるまで、あと数日はかかる。
この島と、この国と、この世界を護り抜いた千人の戦士たちの宴は、その戦いと同様に他の誰にも知られることなく、ボロボロになった王城でいつまでも、いつまでも続けられた。
そして夜が更け、日付が変わり、ようやく宴の熱も最高潮を越えた頃――。
スゥが、それはもう本当に申し訳なさそうな顔で円卓の騎士を集め、最後の最後の――これが正真正銘最後の隠し事を、俺たちに打ち明けてくれた。
またまたお待たせしてすいません。
あと2話で完結です。
頑張ります。
作者:ティエル




