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第百六十四話 対等を望んだのが間違いだった

 空間転移の奇妙な浮遊感が終わり、歪んだ視界が元に戻ると、俺は先ほど姿見に映した丘の上にぽつんと立っていた。


 真夜中だが月明かりのおかげで視界は悪くない。

 首を巡らすと右手にさっきまでいた王都の姿が小さく見えた。左手はすぐに下り坂になっており、その先には広大な荒野と巨大な爆発跡(クレーター)が見える。


 そしてその荒野を走って逃げていく少女の背中が一つ。いつもの女中(メイド)服ではなくシンプルな黒いワンピースを着ているため、夜の闇に溶け込んで視認しづらいが、間違いなく彼女だ。


「待ってくれ!」


 声をかけるが、アザレアさんは振り向きもしない。


 俺は転がるようにして丘を下り、彼女を追いかける。

 無論、そのままでは到底追いつけないのでラヴィから【影歩き(シャドウステップ)】を借りる。[怪盗(ハイドシーフ)]の奥義である短距離高速移動術だ。


 《短距離瞬間転移(ショート・テレポ)》にも似たそのスキルで何度かショートカットをしてアザレアさんに接近すると、気配を感じたのか彼女は走りながらこちらを振り返り、不平の声を上げた。


「スキル使うなんてズルくない!?」


「ズルくない! 逃げる方がズルい!」


 叫び返して、俺は最後の【影歩き(シャドウステップ)】を使った。視界が一瞬暗くなった後、アザレアさんのすぐ後ろに出る。すぐさま某球技(ラグビー)の選手のように飛び込んで、走っているアザレアさんの右足の太腿(ふともも)にしがみついた。


 当然、アザレアさんはあっけなく転んで。


「ぐえ」


 と、カエルがつぶれたみたいな声を出した。


 そのまま二人で絡みあったまま何度も転がったが、俺は彼女の足を離さなかった。

 止まったところで、アザレアさんは空いてる左足で俺の頭をゲシゲシと蹴ってくる。


「離して!」


「離さない!」


「はーなーしーてー!」


「離さない! ってか逃げる気ないだろ。逃げたきゃ《瞬間転移(テレポート)》を使えばいいんだ。そもそもブータの《覗き見(ピーピング)》も気づいてたんだろ? 俺が来る前に逃げられたはずだ。そうしなかったのは本気で逃げる気がない証拠だ」


「あーもー」


 アザレアさんはうんざりした様子で(うめ)いて、降参するように手を挙げた。

 彼女の右足からゆっくりと両腕を離す。


「はー。口の中、切っちゃったよ」


 アザレアさんは全身についた砂を(はた)いて落としながらそんな風にぼやき、膝を抱えて体育座りの姿勢になった。

 その顔をまじまじと見る。あまり寝てないのか、スゥのように目の下に薄い(くま)ができていた。いつも活力に溢れているこの人のこんな姿を見るのは初めてだった。


 俺は彼女の隣で胡坐(あぐら)を掻いてから、同じように服から砂を落とした。


「アザレアさん、ここ一週間、どこにいた?」


「魔術で姿を変えて山奥の温泉郷でのんびりしてたよ。カーナーヴォンの奥の方のとこね」


「……その服は?」


「これ? 実家のタンスから《物体召喚(カムヒア)》で取り寄せたの。けっこう前にお母さんからもらったんだけどサイズが合わなくてね。でも今はぴったり」


 アザレアさんは黒いワンピースの裾を両手で広げて見せた。かなり古い物のようだが、上等な品なのは一目で分かる。


「あー、その、ご実家にはまだ何も話してない。下宿先やら学校やらには王の女中(メイド)の仕事で遠出してるって伝えてあるけど」


「それはどうもありがとう。ところでなんでミレウスくん寝間着なの」


「寝るとこだったんだよ……色々あって急にブータと一緒にアザレアさんを探すことになって、こうして来たんだ。着替えてる暇はなかった」


 揶揄(からか)うようなアザレアさんの視線から逃げるように、少しだけ身を反らす。

 薄手のシャツとハーフパンツ。真夜中の外出には相応しくない恰好だし、同級生にまじまじと見られて嬉しい恰好でもない。


 彼女の姿を見返す。ワンピースの胸元は大胆に開いており、中等学校(ジュニアハイ)の頃と比べるとずいぶんと成長した胸部の谷間を拝むことができた。


 最後に見たとき、そこは血まみれだった。しかし今は()き卵のようにつるつるで、シミ一つない。


「ギルヴァエンにやられた怪我は?」


「なんか治っちゃった。……魔王だからかな。さっき切った口の中もこの通り。便利だね」


 アザレアさんは胸の谷間に人差し指を()わせて冗談めかして言うと、子供のように口の両端を指で引っ張り、口腔内を見せてくれた。健康的な赤い舌と白い歯、粘膜で覆われた口蓋(こうがい)はどこか(なま)めかしく性的で、危うく目を奪われそうになる。


 しかし彼女が発した重大な一言を聞き逃しはしなかった。


「やっぱり、自分が魔王化現象(アーチ・エネマイズ)を発症したって気づいてたんだな」


「まぁね。さすがに?」


 手で口元を隠してクスクス笑うアザレアさん。


「一月くらい前に、スゥさんの管理者の卵を見せてくれたことがあったじゃない。ほら、ギルヴァエン討伐作戦会議やった後に。あの時、ホントは卵の中見えてたんだ。ミレウスくんたちが言う黒い(もや)とかいうのは私には全然見えなくて」


「……自分の姿が映っててびっくりしただろ」


「心臓止まるかと思ったよ。この島を滅ぼしかねない脅威の存在なんて言われてたからね。でもそのあと色々調べて、自分が魔王化現象(アーチ・エネマイズ)を起こしてるかもって気づいたときは、()に落ちたような気分でもあったかな。こんなに強くなれるなんて運が良すぎるって、ずっと思ってたし。まぁ、だからギルヴァエンに刺された後、死んだはずの状態から目覚めてすぐに思ったんだ。『ああ、やっぱり』って」


 アザレアさんは両手で膝を抱えて、膝小僧の上に顎を乗せる。


「どうして私なんだろうねー。確率だけで言うなら聖剣に選ばれて王様になるよりも上でしょ? この島じゃ魔王になった人は今まで一人もいなかったって話だったし」


「……いや、それがそうでもないんだ」


 目をぱちくりして見返してきたアザレアさんに、俺はレイドから聞いた魔王化現象(アーチ・エネマイズ)を起こしやすい人の三つの傾向と、二百年前に狂人ジョアンが起こした事件、そしてジョアンと彼女の実家であるアンソール家のつながりについて話してやった。

 その間、アザレアさんは何度も相槌を打ったが、最終的には口をあんぐりと開けていた。

 思いがけぬ己のルーツ。そしてそれが自分の身に降りかかった現象の原因かもしれないと言われたのだ。驚くなという方が無理がある。


「いやー、まさか私が四大公爵家の遠縁とは。びっくり仰天だよ」


「俺だってびっくりしたよ。貴族様って言ってもホントにぎりっぎりって話だったから気軽に接してたのに」


「ふっふっふ。まぁ今までの不敬は寛大な心で許しますよ、国王様」


 目を細めてそんな冗談を言ったあと、アザレアさんはふいに真剣な表情になって空を見上げた。


「ミレウスくん、誰かに見られてるね? お師匠様かな」


「……いや、たぶんレイドだな。見届けるって言ってたし」


 俺も空を見上げる。恐らくレイドも《覗き見(ピーピング)》の魔術を使っているのだろう。聖剣の鞘(レクレスローン)の絶対無敵の加護はあの魔術には反応しないので、俺だけであれば映すことも可能だ。音声も俺のものは聞こえているはずだから、アザレアさんとどういう会話をしているか、アイツはおおむね分かっているだろう。 


「でも、そっか。レイドさんはずっと私のこと疑ってたんだね。リクサさんと一緒に攻撃されたのはびっくりしたけど、ああ、なるほどって感じ」


 本人からすると思い当たる節があったのだろう。アザレアさんは特に恨みのような感情もにじませずに呟き、空から俺の方に視線を戻した。


 誰に見られていたところでやることは変わりない。

 俺は本題を切り出した。


「アザレアさん、これからどうするつもりだ」


「んー、色々考えたけど、どっかの孤島でサバイバル生活でもしようかなって。それでダメそうなら地の底(アビス)にでも行こうかな。とりあえずこの島からは出るつもり。この島の人たちに迷惑かけられないし、それに――」


 アザレアさんをじっと俺の目を見つめてきた。まるで嘘は許さないとでもいうように。


「私の扱いについて円卓の騎士の皆さんと話し合ったでしょ。殺すべきだって意見が出たんじゃない?」


「……ああ」


「やっぱり。そういう意見だったのはリクサさんとレイドさん、あとはスゥさんあたりかな。どう? 当たってる?」


 アーサマ山の(ふもと)で行われたあの会議を見てきたかの如く、アザレアさんは言い当てた。

 誤魔化しても仕方がない。俺は(かぶり)を振って渋々認めた。


「他のみんなは反対してた。殺さないでもいいんじゃないか。殺さないでくれって。俺もそっちの意見だ」


「嬉しいけど。でもミレウス君たちの方が間違ってるよ。国のことを考えたらリクサさんたちのように考えるのが当然だよ」


「リクサたちだって、本当は殺したくなんてないんだ」


「分かってるよ。みんないい人たちだもん」


 それから俺は一週間前に円卓の騎士のみんなに指示した内容を話した。

 アザレアさんはそれをほとんど期待していないような顔で聞いていた。


「私が見つかるまでは魔王化現象(アーチ・エネマイズ)をどうにかする方法を探せ、ね。私、見つかっちゃったけど、どうする? 悪性魔王にならない方法でもいいって話だけど、そもそももう悪性になってるかもしれないよ?」


「少なくとも今はまだ人格が変わってるようには見えない」


「私も自覚はない。けど正直自信はないな。そういうのって、自覚がないまま進むものだと思うし。でもミレウスくんがそういうならまだ変わってないのかも」


 アザレアさんは、くすりと笑った。


「前にミレウスくんの人格が聖剣に変えられてるんじゃないかって疑ったことあったよね。今度は私が疑われる番だね」


 俺は笑えない。

 どう答えたらいいかも分からない。


 そのうちにアザレアさんは立ち上がり、尻についた砂を払った。


「ミレウスくん、私ね。不運だったとは思ってないんだ。魔王化現象(アーチ・エネマイズ)にはむしろ感謝してる。もし二年前に戻れるとしても、またこうなることを望むよ。だってこの力のおかげで、ミレウスくんと対等になれたんだから」


 魔王と王。確かに対等な関係かもしれない。

 でもこんなのが彼女が望んでいた形のはずがない。


「俺とアザレアさんはずっと対等だった。俺が王になる前もその後も、ずっとだ」


「……嘘だ」


 冷たく返してきたアザレアさんは真顔になっていた。眉根に少しだけ力が入っている。本気で怒っているときの顔だ。これまでこの表情は何度か見てきたが、そのどの時よりも本気のようだった。


「ミレウスくん、大事なことは黙ってた。円卓の騎士の責務のこと、私に話してくれなかった」


「そんなの……そんなのアザレアさんだって同じじゃないか。魔王化現象(アーチ・エネマイズ)のこと、ギルヴァエン戦の前に気づいてたんだろ。だったらどうして話してくれなかった!」


 言い返しながら、俺も立ち上がる。


「対等な関係でも隠し事くらいある。当たり前だ。何でもかんでも話せるはずがない。中等学校(ジュニアハイ)の頃だって、俺は君に隠し事をしてた」


 例えば俺がこの少女のことをどう想っていたかとか。

 言えるはずがないことは、いくらでもあったのだ。


「隠し事はあったかもしれない。それでもアザレアさんは俺を助けてくれただろ。王になってからのこの二年間、俺が君にどれだけ助けられてきたか分かってるのか? 分かってないだろ!」


 アザレアさんは表情を崩さず、答えもしない。

 ただしばらく黙り込んだ後、周囲の荒野を見渡した。


中等学校(ジュニアハイ)の修学旅行の帰りに寄ったんだよね、ここ。ミレウスくんが聖剣抜いて王になっちゃったから、私一人で見ることになったけど」


 もちろん一人だったわけがない。クラスのみんなが一緒だったはずだ。人気者だった彼女が一人寂しく見たはずはない。

 だが、そういう意味で言ってるわけではないのは、俺にも分かる。


 アザレアさんの視線は無残にも(えぐ)れた丘の一部に向けられた。二年前にこの地で起きた戦いで破壊されたものだ。


「これ凄いよね。決戦級天聖機械(オートマタ)のアスカラくんだっけ。あと少しで王都が消し飛ぶところだったんだってね」


 その(えぐ)られた箇所に向けて、アザレアさんは右手の手のひらを向ける。


「でも今の私なら同じことができるよ」


 アザレアさんの姿が突然掻き消えた。無詠唱の《短距離瞬間転移(ショート・テレポ)》だ。

 転移した先はすぐに分かった。彼女は丘の上に立っていた。

 決別の意志を宿した双眸(そうぼう)で、俺を見下ろしている。


「帰って、ミレウスくん。もうどうしようもないんだよ」


「だったらどうして王都のそばにいた。本当は止めて欲しかったんじゃないのか」


「未練だよ。島を出てく前に、最後にミレウスくんに会いたかった。でもそれももう叶っちゃった。私は殺したくないし、殺されたくもない。だからやっぱりこの島にはいられない」


 やはりレイドの友人のように、殺してくれなんて頼むような人ではない。その点は安心した。

 問題は、彼女の中でこれからどうするかを、もう決めてしまっている点だ。こうと決めたら絶対に譲らないその性格が、今は大きな障害となっている。


「本当にそれでいいのか」


「仕方ないよ。私が出ていかなかったら、本当にこの島滅ぶよ」


「もしも君が悪性魔王になって暴れても、俺たちが止めてみせる」


「無理だよ。絶対に無理。もう誰も止められない。……今の私ならミレウスくんだって簡単に殺せるんだよ?」


 可視化されたどす黒い魔力が彼女の全身を包む。この世界の外に広がる魔力の海から流れ込んでいるのだろうか。

 その汚染された魔力は際限なく膨れ上がっていくかのように見えた。


 彼女の背後に目を刺すような紅い輝きが次々と生まれる。

 その数はあっという間に数十にも及んだ。


 あの一つ一つが上級難度(ハード)の魔術、《火球(ファイアボール)》の種だ。たった一つでも民家を丸ごと吹き飛ばすほどの威力がある。もちろん聖剣の鞘(レクレスローン)の加護がなければ、俺もひとたまりもないだろう。


 酷い寒気が全身を襲う。

 生殺与奪の権利を握られているのだと本能が告げている。

 魔神将(アークデーモン)と初めて相対したときよりも、遥かに強い恐怖心が沸き上がる。


 相手はこの世界の絶対君臨者(オーバーロード)

 他のあらゆる生物にとっての死そのもの。




 俺たちは本当に、対等になったのだろうか?




「ミレウスくん、どう? 私のこと、怖い?」


 俺の心情を見透かしたかのように、魔王アザレアは妖艶な微笑を浮かべてみせた。

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[一言] ミレウス君!男を見せる時だ!
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