第百六十三話 天才魔術師の成長に気づかなかったのが間違いだった
円卓の塔でのレイドとの会話の後、俺は王城内の廊下を早足で歩いて自室へと向かった。
光明は見えた。ほんの微かな光だが、試してみる価値はある。
問題はアザレアさんに会えなければ、どうにもならないという点だ。
これは時間との戦いかもしれない。時が経てば経つほど勝率は下がる。陽が昇ったらすぐに円卓の騎士の面々を招集して、彼女の居場所を探す方法をもう一度考えてもらおう。
そんな風に思案しながら自室近くまで戻ってくると、扉の横に子供くらいの小さな人影があった。
レイドのような異形ではない。だが、ただの人間でもない。
コロポークル――宝石のような瞳にやや尖った耳、小さな潰れた丸い鼻を持つ愛らしい顔の亜人の少年だった。
ぶかぶかのローブ姿のその少年は壁に背を預けて膝を抱えて座っており、俺がすぐそばに来るまで気づかなかった。
「ブータ。どうしたんだ、こんな夜更けに」
「へ、陛下ぁ……」
かすれた声で返事をして顔を上げたブータは、今にも泣きそうな面をしていた。
「ど、どうした? 何かあったのか?」
狼狽しつつたずねてみるも、ブータはただ左右に首を振るだけで答えない。
廊下を見渡すが、相変わらずひと気はない。誰かに見聞きされる心配はなさそうだが。
「えっと、とりあえず中に入るか。何か話があるんだろ?」
こくりと頷くブータ。
彼を連れて部屋に入り、中央に据えられた丸テーブルの椅子の一つに座らせて、落ち着かせるために聞いてみる。
「紅茶でも飲む? もう泊まり込みの女中さんたちも寝てるだろうから、俺が淹れたのになるけど」
ブータは即座に首を横に振り、それからどうにか震える声を絞り出した。
「も、申し訳ありません、ミレウス陛下」
「……何がだ?」
「ボクのせいなんです。ボクにもっと勇気があれば、こんな事態にはならなかったかもしれないんです」
何について謝られているのか、見当がつかなかった。しかし軽い気持ちで言ってるわけではないのは、その態度からひしひしと伝わってくる。
かつてブータは南港湾都市で、《覗き見》という自分の悪事がバレたと思い込み、土下座をして俺に謝ってきた。あの時のように土下座をしないのは――さらに言えば頭を下げもしないのは、保身が目的ではないからだろう。ブータは純粋な罪悪感に突き動かされてここへ来て謝罪しているのだ。
では、何について謝っている?
「もしかして、アザレアさんのことを言っているのか?」
ブータははっきりと頷いた。その目尻には大粒の涙が浮かんでいる。
俺は隣の椅子に座り、慰めるように彼の華奢な肩に手を置いた。
「アザレアさんが魔術の道に入ったのは、確かにブータが魔力測定したのがきっかけだ。でもそれは俺がそうするように頼んだからだし、アザレアさんを弟子にしてやってくれと頼んだのも俺だ。だからブータが責任を感じる必要は一切ないよ」
「ち、違うんです。そういうことではなくて」
ブータは慌てたように顔をぶんぶんと左右に振った。
それじゃあと俺は少し考えてから、また口を開く。
「アザレアさんの中で魔王化現象が進行しているのを見抜けなかったことを気にしてるのか? だったらそれこそブータのせいじゃない。疑ってたレイドがおかしいんだ。それ以外の誰にも分かるはずなかったんだよ、あんなこと」
「分かってたんです! ボクには!」
少年の突然の大声に、俺は思わず仰け反った。
ブータは下を向いて、まくし立てる。
「先月、陛下から管理者の卵に映ってる靄の人物を探せって命じられた時、ボクもレイドさんのように拡散魔王が誕生するのかもって思ったんです。それで魔術師ギルドの大図書館で調べて、魔王化現象を発症しやすい人の傾向を知って、ずっと前にアザレアさんから聞いた話を思い出したんです。アザレアさんが最初に姿欺きを見破ったのは、いつかって話を」
背筋がぞくりとする。俺もそれがいつかは知っていた。
姿欺きの魔力が付与された腕輪、匿名希望。今から二年以上前、この国の王に即位した翌日に、俺はあれを装着してラヴィやリクサと共に王都で遊んだ。まだ中等学校の修学旅行で王都に滞在していたアザレアさんはそれを目撃した。姿欺きを見破って。
ブータは涙でくしゃくしゃになった顔をこちらに向けた。
「その話を思い出して、もしかしてって思ったんです。アザレアさんは生まれつき見破る力が強かったから陛下の姿欺きを見破れたんじゃなくて、陛下の姿欺きを見破るためにその力が強くなったんじゃないかって。姿欺きがかかった陛下の姿が視界に入って、拡散魔王の力が無意識に目覚めて、それで見破る力が飛躍的に成長したんじゃないかって」
「……まさか」
ブータが言ってることはすべて憶測にすぎない。証拠は何もない。
だがあの時のアザレアさんが最も必要としたのが、その力なのは確かだ。
心から強く力を欲すること。
それが魔王化現象を発症しやすい条件の一つだと、ギルヴァエン討伐戦の後、アーサマ山の麓でレイドが話していた。
いや、違う。あの時、レイドに代わってそれを言ったのはブータだった。あの条件をこの少年が知っていたのをレイドも驚いていたが、そういう経緯で知ったのか。
ブータの懺悔は続く。
「二年前に魔力測定をしたとき、アザレアさんの内蔵魔力が少なかったのは確かなんです。だからそれから凄い勢いで成長するのを見て、おかしいなとは思ってたんです。でもそういう例がないわけじゃないから深く考えてなかったんですけど……陛下の姿欺きを見破った件を思い出したとき、アザレアさんが拡散魔王である可能性は十分にあると思ったんです。でも、誰にも言うことができなくて」
当然だ。二年以上育てた自分の弟子が魔王かもしれないなんて、人に言えるはずがない。
きっとその疑念を抱くようになってから、ブータはずっと思い悩んでいたのだろう。アーサマ山の麓の天幕でこの子がずっと俯いて震えていたのは、それを言えなかった罪悪感のためか。
すべてをぶちまけて少しは落ち着いたのか、そこでブータは初めて俺に向けて頭を下げた。
「本当に申し訳ありません。ボクが勇気を出して話していれば魔王化現象が進行するのも防げたかもしれません」
「……仕方ない。レイドだって疑ってはいたが確信には至ってなかった。実際あいつも、アザレアさんが拡散魔王に目覚めるまでは何の行動もとらなかったんだからな」
もっともレイドやブータが何かしていたとしても、どうにかなったとは思えない。
アザレアさんが魔王化現象を発症していると証明するのはあの時点では不可能だったし、ギルヴァエン戦に彼女を出さなかったとしてもいずれは拡散魔王として覚醒していただろうから。
ブータは肩を震わせ、再びボロボロと涙を流した。
「ボクは自分が情けないです。こうして謝りに来るのさえ、こんなに遅くなってしまった。取り返すチャンスがあるなら、なんでもします。命だって懸けます。だから……だから、陛下。お願いです。アザレアさんを殺さないでください」
ブータは本気だ。
自分が悪性魔王になったら討伐してもらう覚悟があるというリクサのように、ブータも本当に命を懸ける覚悟がある。リクサとは真逆の、アザレアさんを護る覚悟だが。
この子がアザレアさんと交流するところを二年間見てきた。もちろん俺が見ていないところでもたくさんの時間を共に過ごしてきただろう。ラヴィや他のみんなもそうだ。知らぬ間に、俺がびっくりするくらいアザレアさんと親しくなっていた。
こんな状況なのに、俺は少しだけ嬉しくなってしまった。
そうだ、アザレアさんは大勢の人が死なないでほしいと願うような人だ。レイドもリクサもスゥも、その気持ちはきっとある。
彼女を救おうという気持ちを新たにした俺は、聞き逃されないよう、ゆっくりと告げた。
「一つだけ、助けられるかもしれない方法がある。でもそのためにはまずアザレアさんを見つけなきゃいけない」
ブータは息が詰まったような顔をしてから、ローブの袖で涙をぐいっとぬぐった。
それからその宝石のような瞳に強固な意志を宿し、前のめりになる。
「ボクを技能拡張してください。《覗き見》の魔術で探し出します」
「……魔術での探索は不可能だって、前にブータ自身が言ってただろ。拡散魔王には勇者や魔神将さえも凌駕する魔力抵抗があるからって」
「そうです」
「世界的に見ても拡散魔王の抵抗を突破できた人間は記録されてないとも言ってたじゃないか。実際、魔女であるマーリアが作った魔力付与の品でさえ映せてないんだぞ?」
「分かっています」
「それに――そうだ。ブータが《覗き見》を使えばアザレアさんは絶対に気づくだろ。アーサマ山での時みたいに《瞬間転移》で逃げられるかもしれない」
「それも分かってます! それでもやってみる価値はあるはずです。アザレアさんが悪性でないのなら逃げないかもしれません」
決然と答えるブータ。どうやらその意志を曲げるつもりはなさそうだ。
確かに他に方法を思いついているわけでもない。試してみるのは悪くはない。
それにしても、ブータはこんなに強い子だっただろうか?
俺と同じお調子者の端くれで、期待を寄せられればそれに応えられる子だったが、自発的にこんなに意志を示せるタイプではなかったはずだ。
驚きで俺が言葉を失っていると、ブータは席から降りて床に立った。
「ミレウス陛下は以前、自分とボクは似てるって仰いましたよね。でも全然違うって、ここ二年間、ミレウス陛下のことを見てきてボクは思ってたんです。陛下は強い人です。円卓騎士団の誰よりも勇気があって、優しくて、自分が傷つくことを厭わない。……ボクも陛下みたいに強くなりたいです。それでアザレアさんを助けて、胸を張って師匠としてもう一度会いたいです」
みんなから弟のように可愛がられてきた少年は、いつの間にか立派な騎士の佇まいをしていた。
何体もの滅亡級危険種と死闘を繰り広げてきたこの二年の間に、この子もまた大きく成長していたのだ。
「分かった。やろう、ブータ。俺たちでアザレアさんを見つけ出そう」
ブータは頷き、手を差し伸べてきた。
その手を借りて、俺も床に立つ。
魔術の発動体である杖を両手で構え、集中を始めるブータ。
俺はその隣に立ち、鞘に入ったままの聖剣の剣先を天井に向ける。
技能拡張。
恋愛度を消費するこの聖剣の力をブータを対象に使うのは、これが初めてではない。かつて南港湾都市に現れた魔神将、百影のグウネズを倒すために、《存在否定》の魔術をこれで多重化したことがある。
深呼吸を幾度かしてから精神同期を開始する。
今回も感覚はあの時と同じだった。
既存の五感が新たなものに塗りつぶされる。ブータの膨大な内蔵魔力と接続した結果、魔力に対する感覚が鋭敏になり、この少年と同じ五感で世界を感じ取れるようになったのだ。
凄まじい全能感が沸き上がってくると共に精神同期が深化していき、やがて互いの思考がダイレクトに伝わるようになる。
だがブータはきちんと声に出して宣言した。
「いきます」
それから彼が短い呪文を唱えると、俺たちの前方の空中に楕円形の大きな姿見を出現した。その鏡面は当初、普通の鏡のように光を反射して俺たちとこの部屋の様子を映していたが、ブータが念じると黒い靄に覆われて何も見えなくなった。
アザレアさんを探知しようとしたが、拡散魔王の魔力に抵抗されたのだ。
《覗き見》は術者が頭に思い浮かべた場所や人物を映し出す魔術だ。通常使用で映すことができる範囲はそれほど広くなく、それ以上遠くを映すためには効果拡大が必要になる。
だが、今は拡大するまでもなく抵抗にあった。ということはアザレアさんは現在、王都からそれほど離れていない位置にいるわけだ。それなら後でその場所へと転送してもらうときに《瞬間転移》を多重化する必要はない。
俺はありったけの恋愛度を注ぎ込み、《覗き見》の魔術を多重化した。
姿見の数は一つのまま。
しかしそこではアザレアさんへの接近工程が八十個以上、同時並行的に行われている。その内のたった一つだけでも抵抗を突破できればいいのだ。それでも難易度は極めて高いと言わざるを得ないが。
横目で見ると、ブータは歯を食いしばって姿見を凝視し、ぶつぶつと追加の詠唱をしていた。杖を握る両手が白くなるほど力んでおり、極限まで集中しているのが見て取れる。
姿見の靄はときおり薄れて、また戻った。それが何度も何度も繰り返される。ブータの魔力とアザレアさんの魔力が干渉しあっているのだろう。
靄が薄れるタイミングではその向こうにアザレアさんらしき人型の影は見える。だがその背後の景色は確認できない。彼女が今どこにいるかは分からない。
アザレアさんは探知を受けていることに、すでに気づいているだろう。だが動いていない。逃げる気はないのだろうか。
一進一退の状態は長く続いた。
その間俺にできたのは鏡面を見ながら技能拡張を切らさないように集中し、ブータの邪魔をしないために黙っていることだけ。
感覚を共有しているのでブータの疲労は伝わってくる。荒い息遣いも聞こえてくる。
こんな長期戦になるとは思っていなかった。ブータの体力は最後まで持つだろうか。
俺は心配になって横を向き、ブータの顔を見て、ぎょっとした。
鼻や口、耳から両目に至るまで、ブータは顔中の穴という穴から血を流していた。長時間の魔術の行使で体に負荷がかかりすぎているのだ。
それでもブータはまったく変わることなく鏡面に視線を固定して集中を維持し、詠唱を継続している。
限界はとうに超えているはずだ。このままではブータの身が持たない。下手をすれば本当に命を落としかねない。
「ブータ、これ以上はもう」
無理だと声をかけようとした。
だがその前にブータは首を振り、詠唱の合間にかすれた声で返してきた。
「あ、あと少し……あとほんの少しなんです」
体が震えた。やはりブータの覚悟は本物だ。
俺はシエナから《治癒魔法》を借りてブータにかけた。技能拡張中にスキルを使うのは初めてだったが、ブータの懸命な姿を見ているとなぜだかできるような気がしたのだ。
《治癒魔法》は疲労にはほとんど効果はない。だがそれでもないよりはマシなのか、精神同期を通じて届くブータの苦痛はほんの僅かではあるが和らげられたように感じた。
それが功を奏したというわけでもあるまいが――鏡面の靄が唐突にくっきりと晴れた。
そして映しだされたのは、どこかの丘のようなところに立ち、空を見上げているアザレアさんの姿と、その背後に広がる巨大な爆発跡が残る荒野。
靄が晴れたのはほんの一瞬で、すぐに元に戻ってしまった。俺が技能拡張を切らしたのではない。ブータが《覗き見》を維持できなくなったのだ。
崩れ落ちるように倒れこむブータ。
彼が床に激突する寸前、俺はどうにか抱き留めた。
「よくやった、ブータ。……本当によくやった。大丈夫だ。アザレアさんがいる場所は分かった」
ほっとしたように力なく微笑むブータ。
その血だらけの顔を、テーブルから引っぺがしたクロスで拭ってやる。
一瞬だけ見えたアザレアさんの背後に広がっていたあの風景。あれには見覚えがある。いや、そもそもあの巨大な爆発跡を作ったのは俺自身だ。【超大物殺しの必殺剣】で作ったのだ。
あれは最初の滅亡級危険種が現れた地点――王都の南西に広がる荒野の観光スポット、アスカラの地上絵。その跡地だ。
「い、急がないと」
俺から話を聞いたブータはふらつきながらも両の足で立ち、再び杖を構えた。
「待ってくれ、その前に」
呪文を詠唱しようとする彼を手で制し、頼み事を一つ、手短に伝える。
その意図を理解してくれたかどうかは分からないが、ブータはすぐに請け負った。
「分かりました……。陛下、アザレアさんのこと、どうかよろしくお願いします」
ブータは最後の力を振り絞り、《瞬間転移》の呪文を唱えた。
俺は彼に約束するように、右の拳を握りしめて胸を叩く。
満足そうな顔でブータが倒れこんだ直後、視界が歪んで部屋と少年の姿が掻き消え、俺の肉体は空間を跳躍した。
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【第三席 ブータ】
忠誠度:★★★★★★★★★★[up!]
親密度:★★★★
恋愛度:★★★★★★★★★★[up!]
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