第百十二話 深淵の魔神宮に入ったのが間違いだった
魔神将ゲアフィリの出現予定日時の五日前。深淵の魔神宮の内部構造リセットが確認された瞬間から、いよいよ作戦は本格的に始動した。
[戦士]、[魔術師]、[盗賊]、[司祭]、[精霊使い]、[狩人]、[騎士]――多種多様な職で編成された五、六名のパーティが、キアン島の中心付近に空いた地下へと続く七つの階段から次々と迷宮に突入していく。
七つのルートはそれぞれ地下深くまで続き、中で複雑に分岐しているが、闇の玉座がある第十階層まで続いているのはたった一つだけであるという。つまりこの人海戦術は安全なルートを構築するためだけでなく、正解のルートを探すためのものでもある。
地下へと潜る者たちの中には作戦の真実を知る後援者もいれば、何も知らない一般参加者もいる。俺は彼らが一人として欠けることがないよう、各種魔力付与の品の貸し出し、地上へ帰還後の治療、蘇生魔法のサービスなど手厚い補助を分け隔てなく受けられるように手配した。また迷宮で窮地に陥ったパーティを見つけたら――あるいは全滅した連中を見つけたら――それ以降の探索は放棄して地上へ連れて帰るように厳命もしてある。そうした者には十分な恩賞を出すと約束も。
しかし不安は拭えない。いくら十分な見返りを用意したとはいえ、円卓の騎士以外の者を巻き込んだのは間違いだったのではという思いが絶えず胸から湧いてくる。
そんな俺のところに、アールディアの前最高司祭であるヌヤがやってきた。この人狼の女性は貴重な蘇生要員ということで地上に残ることになったのだ。
「そのような暗い顔をするでない、王よ。ぬしの取った策は最善のものじゃよ」
「そ、そうかな?」
「ここでゲアフィリを討ち果たせねば、今回の作戦の参加者も全員、遠からず死ぬ。遅いか早いかの違いじゃよ。……それに何より、ぬし達が最も危険な役割を担うのじゃ。他の者を巻き込んだ、などと気に病む必要はなかろうて」
ヌヤは扇子で口元を隠して笑うと、俺の背中をどんと叩いてきた。
「胸を張り、どーんと構えておけ。国王がそんな様子では、みなに不安が伝播するじゃろう」
「……そうだね。うん、ありがとう」
俺は言われたとおり胸を張ると、無理やり笑みを浮かべて、みんなを見送った。
一人、また一人と迷宮に足を踏み入れる参加者たち。
その中には見知った顔もおり、俺に手を振ってきたりもする。
彼らの助力に応えるためにも、必ずやゲアフィリを討伐すると俺は心に誓った。
☆
それから地上に用意された作戦本部には次々と迷宮内の情報がもたらされた。傭兵ギルドの幹部であり地図作成官の資格も持つイライザが、それを元に大テーブルに載せられた地図を驚くべき早さで更新していく。
第何層を突破したという報があったかと思えば、あるパーティが半壊して地上へ戻ってきたという報もあった。
高レベル危険種を出現させる危険種門や無数の致死罠が配置された罠部屋が見つかったという報もあれば、それらを見事解除したという報もあった。
そのたびに俺は一喜一憂していたが、ヌヤの助言どおり、それを外面には出さなかった。結果、それは作戦本部の士気を維持するのにつながった。
二日後には七つのルートのうち二つが第十階層までは続いていないことが判明し、三日後にはさらに三つのルートがハズレであると確認できた。
それらのルートに投入していた人員は即座に引き上げ、残りのルートの探索に当たらせた。
そして作戦開始から四日目の朝には残るルートは一つとなっており、そのルートも第九階層の七割ほどまでは【地図作成】が完了していた。
ここからは円卓の騎士の出番である。
迷宮へと足を踏み入れる俺たちを先導するのは、数いる後援者の中から選りすぐられた最精鋭のパーティ。その中にはコーンウォール公エドワードやマーサ・ルフト、傭兵ギルドのイライザに盗賊ギルドのスチュアートもいた。俺たち円卓の騎士を除けば、間違いなくこの島で最強のパーティだろう。
「チューチュッチュ! いやぁ、ここまで掃除するのは大変だったんですよ。ここなんか即死罠あって、パーティが一つ壊滅しましたからね。地上で蘇生できたらしいですけど」
先頭を歩きながらそう話したのはもちろんスチュアートである。ご丁寧なことに迷宮の中は等間隔に魔術の灯りが設置されているのだが、逆にそれが罠を発見しにくくしているのだと彼は語った。
「さすがは魔神将が造った迷宮ですよ。こんなとこ、後援者だけで地図を埋めようとしたら五日じゃ到底無理だったでしょう。ましてや一パーティではとてもとても。やはり陛下の出した策は正解でしたね」
「そういうおべっかはいいから案内に集中しろ。今さら解除忘れの罠に引っかかったりしたら洒落にならないぞ」
「チューチュッチュ! ええ、そうですね、気を付けます。失礼しました、陛下」
そんな会話をスチュアートとしたわけだが、結局俺たちは一つの罠にも引っかからず、一匹の危険種にも遭遇することなく、第九階層の【地図作成】済みのエリアの端までたどり着いた。入念な事前準備が功を奏したと言える。
「恐らく第十階層に降りるための階段があるのはあちらの……この辺りです。この調子なら余裕で間に合いますね」
三叉路でスチュアートが地図を広げて言った――その時である。階段があるだろうと彼が指さしたのとは逆の通路の先から、数体の異形の存在がこちらに向かってくるのが目に入ったのは。
「上位魔神の群れですな。なかなか歯ごたえがありそうだ」
エドワードが顎鬚を片手で触りながら、口元に薄く笑みを浮かべて前に進み出る。もう片方の手には付与された魔力で白く輝く直剣が握られていた。
「ひー、ふー、みー……んー、時間かかりそうですねー」
連射式のボウガンに矢をつがえながらイライザが敵を数える。
それから横目で俺を見てきた。
「どうです? ここは私たちに任せて、陛下たちは先へ行かれては」
確かにここで時間を喰うのはまずい。しかし相手は上位魔神。一体で熟練の冒険者パーティを全滅させるほどの危険種だ。それがあれだけいるとなると、いくらエドワードたちとはいえ、犠牲を払わず勝てるとは限らない。
そんな俺の考えを見透かしてか、マーサ・ルフトが笑った。
「おほほ。ご心配には及びませんわ、陛下。あれくらいならば私たちだけでどうにかできます。それにどうせこの狭い通路です。円卓の騎士の皆様に残ってもらっても、全員で戦えるわけでもないですし」
「そうか……そうだな」
振り返り、円卓の騎士のみんなにも視線で聞いてみたが、みんな異論はないようである。
スチュアートが魔力を帯びた短剣を手にマーサ・ルフトの隣に並び立ち、俺にどこか挑発的な眼を向けた。
「【地図作成】済みのエリアの先導は終わったんですから、俺たちの役目はもうないです。後は陛下たちのお仕事だ。さぁ急いでください。これでゲアフィリの出現に間に合わなかったりしたら洒落になりませんよ」
先ほどの仕返しのような台詞に、俺は思わずニヤリとしてしまった。
そう。こいつも他の後援者たちも、俺たちがゲアフィリに勝利することを信じている。俺も後援者たちを信じるべきだろう。
上位魔神の群れが迫る中、俺は円卓の騎士のみんなと共に三叉路を下り階段があるであろう方向に向かって歩き出した。
「御武運を!」
「必ずや勝利を!」
後援者たちの声が後ろから届く。
俺たちも、それに負けないくらいの声で答えた。