第百八話 難攻不落だと思ったのが間違いだった
デスパーと、食事の用意等の兄のサポートをすることになったデスビアを残し、俺とナガレは聖剣工房を後にして東都の街の表通りに出た。すぐに匿名希望の腕輪を装着したので、俺が国王だと気付く者はいない。
太陽はすでに空の一番高いところを通過している。ナガレは左手をかざしてそれを見上げると、右手で腹を押さえて裏通りに続く路地を顎で指した。
「デスパーの馬鹿話聞いたせいか腹減ってきたな。ルフト家の昼飯も食い損ねちまったしよ。あっちへ行こうぜ、美味いケバブの屋台があるんだ」
その言葉どおり、裏通りにはケバブ屋台が出ており、その味もまた絶品だった。二人並んで歩きながら黙々と食べる。ジューシィな牛肉がたっぷりと入っており、見た目よりも喰いごたえがある。ソースには酸味が効いているが、恐らくヨーグルトを使っているのだろう。
「この街のこと詳しいんだな、ナガレ」
「あったりめーだ。昔住んでたからな。円卓の騎士になる前だけどよ」
意外な返答に俺が目を丸くすると、ナガレは得意げに口端を吊り上げた。
「そんな驚くことでもねーだろ。ここは冒険者と鍛冶屋の聖地であると同時に傭兵の聖地でもあるんだぜ。まぁ内乱も戦争もないこの島じゃ傭兵は冒険者の亜種みたいなもんだけどよ」
「……そういやナガレは元傭兵だったっけ」
「そ。その頃、拠点にしてたのがここだったんだ。東部地方は今でも危険種が出やすいから、その討伐の手伝いや隊商の護衛の仕事が多いからな。おかげで傭兵も食いっぱぐれねえってわけだ」
そう話すナガレは少し遠くを見るような眼をしていた。その頃のことを思い出しているのだろうか。
彼女はこことはまったく別の世界からやってきた人間――訪問者である。彼女が不慮の事故のような形でこちらへやってきたのは俺が王になったのと同じくらいの歳だそうで、それから数年もの間、たった一人で知らない世界を生き抜いてきたという。それがどれだけ過酷なことだったのかは、実家があって保護者もいる恵まれた人生を歩んできた俺には想像もつかない。
ただ、大陸からこの島へ渡ってきた後はそれほど悪くはなかったと以前彼女は述懐していた。だからこそ、この島に居つき、この島を護る円卓の騎士になったのだと思う。口と態度こそ悪いものの、彼女の職務に対する姿勢は真剣そのものである。
「んだよ、人の顔じろじろ見やがって」
ナガレがその猛禽のような鋭い目を、更に鋭くして俺を睨む。美味い飯で腹がいくらか満たされたからか、それほど怒っているわけではないようだけど。
ナガレはその険のある目つきを別にすれば――いや、慣れるとそれも可愛く思えるのだが――美人と言って差し支えのない容貌をしている。長い黒髪は健康的で艶があり、作業着風衣服の下にはすらりとした脚と豊満な胸を隠している。
もっとも逆にそのことで色々と苦労もしただろう。これはただの想像だが、常時威嚇するような口調は、そういった苦労によってついたものなのではないだろうか。
「何か言いたいことがあるんならはっきり言えよ」
こちらが黙っていることに不審げなナガレ。
「いや、ナガレって円卓の騎士の中じゃまともな方だなーって思って。ちゃんと人の話聞くし、仕事サボらないし、酒乱でもないし、突然暴れないし。それにもう寝込み襲っても来ないし」
「そりゃ……寝込みの件はテメェがめちゃくちゃキレてやり返してきたからだろ。いや、あれはオレも悪かったと思ってるけどよ。一年も前のことなんだからそろそろ忘れてくれよ……」
そう謝ったかと思うと、ナガレは再び目を細めて俺を睨んできた。今度は怒っているとかじゃなく、責めるような調子で。
「しかしテメェ、イスカがベッドに潜りこんでくるのには文句言わないよな。ええ?」
「別にイスカは俺の眠りの邪魔しないし……それにまだ子供だからな」
「実年齢は子供ってレベルじゃねーだろ。ま、どうでもいいけどよ」
ナガレは拗ねたように、ぷいと横を向いた。その姿はまさに子供のようである。イスカに嫉妬したというわけではまさかないだろうけど。
特にどちらが言い出したわけでもないが、それから俺たちは東都の街の散策を始めた。冒険者の街という異名から治安が悪いのではないかと先入観を持っていたが、特にそのようなこともなく、柄の悪い人間ともほとんど出くわさなかった。きっとルフト家の統治がいいのだろう。
海と港が見える商店街でショーウィンドウに並んだ品々をぼんやりと眺めながら、二人並んでゆっくりと歩く。
そこで、ふと思った。
「なんかさ」
「あん?」
「こうしてるとデートみたいだね」
「なっ! バッ、バッカ野郎! いきなり何言ってやがる!」
一瞬で耳まで真っ赤にしたナガレ。その口元に何かがついていることに気づいた俺は、ひょいと指でぬぐってやった。ついでにそれをペロリと舐める。
「口のとこにケバブのソースついてたぞ」
「テメェ! キモいんだよ!」
照れ隠しに拳を振り上げたナガレから逃げるように、俺は通りを駆け出した。我ながら気持ち悪いとは思ったが、こいつがこういうのが嫌いでないことはこれまでの好感度の変動で分かっている。
「おい、コラ! 待ちやがれ!」
「ハハハ、捕まえてみろよ!」
そんな風にしばらく陽気に追いかけっこをしていると、脇から意外な人物に声を掛けられた。
「あら、ミレウス陛下……じゃなくてミレアスさん。と、ナガレ。こんなところで会うなんて奇遇ねぇ」
「おお! 奇遇だね」
俺は思わず足を止めた。ついでに追ってきたナガレも。
大衆食堂のテラス席から声を掛けてきたのは、鼻のあたりに横一文字の刀傷がある美女――傭兵ギルドの幹部の一人にして後援者であるイライザだった。ナガレとは旧知の間柄であり、俺とは共に下着姿になるまで脱衣ババ抜きをした仲でもある。
イライザは一人で昼食をとっているところだったらしく、俺たちが席へ行くと、どうぞと椅子を勧めてくれた。
「こんなところで何してるんだい、イライザさん」
「今日は傭兵ギルドの定例幹部会だったのよ。ギルドの本部があるの、この街」
「へぇ。さすがは傭兵の聖地」
イライザは息を切らしている俺とナガレを交互に見ると、小首を傾げた。
「お二人がいるってことは……もしかして、今回はこの街?」
「いや、正確にはキアン島だよ」
「キアン島……え、じゃああの一番有名な?」
「そう、あの一番有名なやつ」
「へえぇ」
イライザは目を丸くして、そのキアン島がある東の海の方へ視線を向けた。もっともそんなに近くにあるわけではないので、水平線にもその姿は見えない。
「悪いね。今日はこれ外せなくて」
俺はナガレと共にイライザと同じテーブルに着くと、右腕にはめた匿名希望の腕輪を見せた。これの魔力により円卓の騎士ではない彼女の目には、今の俺は本来とは違う姿に見えているはずだ。
イライザはくすりと微笑を浮かべると首を振る。
「いいのよ。お忍びデート中なんでしょう?」
「実はそうなんだ」
「ちげーよ! テメーも否定しろよ!」
ナガレが声を荒げて肩を殴ってくるが、もちろん俺は余裕でかわした。怒ったときのこいつの行動は実に読みやすい。
「やっぱりナガレをからかうのは楽しいわね」
くすくすと口元に手を当てて笑ったイライザはメニュー表をこちらへ渡してきた。
「二人とも、お昼ご飯は食べた?」
「軽くケバブ食っただけだ。しゃーねえ、ここでなんか食ってくか」
この店も来たことがあるのか、ナガレはメニュー表を一瞥するとすぐに俺にパスしてきた。そしてジトッとねめつけてくる。たぶん、散々からかったことへの補填ということなのだろうが。
「奢れよな、ミレウス」
「いいよ。もちろんイライザさんの分もね」
「あら? いいんですか」
「お忍びデートの口止め料ってことで」
「だっからちげーっての!」
またも怒りの声を上げたナガレのことは華麗に無視して、俺はイライザの勧めでドルマというこの街の名物料理を注文した。それはキャベツの葉にひき肉、辛味、ナス、瓜、ヨーグルト、バターライスなんかを詰めたもので、話をしながらつまむのに最適だった。
「イライザさんは傭兵ギルドのマスターの娘だから分かるんだけどさ。ナガレはなんで冒険者じゃなくて傭兵になったんだ? この島じゃ冒険者の方がメジャーだろ?」
「冒険者はパーティ組まねーとろくに稼げねえけど、傭兵は一人から雇ってもらえるからな」
同じくドルマを喰いながら答えるナガレ。
イライザが彼女に保護者のような温かい視線を向けながら、俺にそっと耳打ちした。
「この子、コミュ障だから」
「ああー」
「聞こえてんぞ、オイ」
ドスの効いた声を俺たちに向けるナガレのことは再度スルーして、海の方へと目を向けた。
ここの港は南港湾都市のそれと比べるとだいぶ規模が小さい。その理由は簡単で、ここは大陸との交易港ではないからだ。
ウィズランド島から見ると大陸は南東にあるので、この東都から出ても南港湾都市から出ても単純な所要日数に大差はない。ただこの東都の東の海、特にキアン島より向こうは大型の海棲危険種の巣になっているため、大陸との航路には使えないのだ――と、初等学校で習った。
「そういやナガレ。ここに住んでたってことは、もしかしてキアン島も行ったことあるのか?」
「たりめーだ。つーか半分以上はあっちで生活してたな」
「貴女、なんか気に入ってたわよね、あの島。自分の領地にするくらいだし」
えっ、と俺が驚きの声を漏らすと、バレたか、とナガレは舌を出した。
「実は深淵の魔神宮も入ったことあんだよ。第三層だったかに魔鉱石鉱脈があるのを発見した冒険者に護衛の仕事を依頼されて、イライザと一緒にな」
「……前に海賊女王エリザベスの根城を一緒に探索した時に、こういう陰気なとこに入るような仕事は請けてないって話してなかったっけ」
「その件を最後に請けなくなったんだ。洞窟関係は」
なにやら嫌な記憶が蘇ったかのように口を閉ざすナガレ。
イライザが苦笑しながら話を引き継いだ。
「途中で見つけた宝箱に仕掛けてあった無作為転移装置が発動しちゃってね。犠牲者は出なかったんだけど、ナガレだけ離れたところに飛ばされちゃって。合流するまでに相当怖い思いをしたみたい」
なるほど、とその辺は納得できたが、また一つ疑問が浮かぶ。
「魔神が作った迷宮なんだろ? なんで魔鉱石鉱脈やら宝箱やらがあるんだろうな」
「知らねーよ。魔神自身か魔神作った第一文明期のやつに聞けよ」
ぶっきらぼうなナガレの返答。
ごもっともである。
「ま、とにかくあの迷宮はヤベーんだよ。全部で十階層って話だけど、ここ最近じゃ半分進めた奴すらいねえ。五日でリセットされて、中にいるやつは放り出されるから、コツコツ進めていくこともできねえしな」
ナガレはナガレで攻略法を考えているのだろう。本来であれば洞窟に入るのは気乗りしないのだろうが、自分の領地ということもあってかずいぶん真剣な様子だ。
「ふーむ」
俺も少しばかし考える。が、いい案が浮かばないので、もう少し何か頼もうかとメニュー表を開いてみた。
すると一番後ろの『春のらぶらぶフェア』というページに面白い商品が載っていた。
「おお、これ、カップルじゃないと頼めないスペシャルドリンクだって!」
「いいわね! ナガレ、ミレアスさんと一緒に飲みなさいよ!」
即座にイライザが同調してくれる。
もちろんナガレは猛烈な勢いで拒絶した。
「嫌だよ! ぜってーに嫌だ! ハート型のストローついてるやつだろ、どうせ!」
これももちろんだが、ナガレの拒絶は無視して注文をした。
運ばれてきたのはナガレが口にした通りの品である。
「イライザと飲めよ!」
「俺はナガレと飲みたいんだよ。頼むよ。ここのお代持ってあげるんだしさぁ」
「んぐぐぐ……しょ、しょうがねえな……」
『ナガレと』のあたりがお気に召したのか、ナガレはしぶしぶながら付き合ってくれた。顔を真っ赤にしてストローに口をつけるナガレを前にして飲むスペシャルドリンクは忘れられない味となった。
イライザが口に手の甲を当てて、くすくすと笑う。
「今の貴女も傭兵みたいなものよね。雇い主が王様だけど」
「それ言ったら円卓の騎士はみんな傭兵みたいなもんだし、お前ら後援者だって金で動いてんだから傭兵だろーが」
そんなナガレの言葉がヒントになった。
深淵の魔神宮。
魔鉱石鉱脈。
傭兵。
今日耳にしたいくつかの言葉が俺の頭の中で再生され、それらが交わり一つの像を結ぶ。
難攻不落。
歴史上、踏破したのは統一王の一行のみという最高難度の迷宮。
そう恐れられる深淵の魔神宮であるが、俺がその気になれば別にどうとでもなるのではないか。
「……お前、またなんかろくでもないこと考えてるだろ」
ナガレがストローから口を離し、うさんくさそうに眉根を寄せる。
俺は否定はしなかった。
-------------------------------------------------
【第七席 ナガレ】
忠誠度:
親密度:★★★★★★[up!]
恋愛度:★★★★★★★★★[up!]
-------------------------------------------------