第86話:意地
濡羽の右腕が宙を舞った瞬間、誰よりも早く動こうとした一人の魔術師が居た。
実況解説席から飛び出そうとする魔術師、黒曜彼我見を止めたのは一つの凶行だった。
「動くなよ、最強」
隣に座っていたハッピー・バラディを拘束し、首元に刃を突き立てる一人の武装した魔術師。
それはライターが施していた一つの策だった。
魔術師の中でも最強と称される彼我見を止め、彼の大事な甥である濡羽の命を奪うための策。
そのため、救出も魔件局が先行した。
「そいつを離せ。殺すぞ」
大事な甥が負った右腕欠損、それは最強の魔術師を激怒させるには十分だった。
もし、濡羽が命に関わる傷を負ったのなら彼我見はハッピーのことなど捨て、全力でライターを殺しに行っていただろう。
「そうカッカするなよ、最強。お前はただ動かないでいれば良いんだ」
「くっ」
こうして時間は進み、魔法使いの虐殺が発生し、魔術師はその行為を応援していた。
彼我見はその光景を見て、更に怒りを深めた。
「お前ら、どこまで魔術師の意地をコケにすれば気が済む!」
道徳を忘れさせ、同胞を狂気の道へと走らせる。
それがどれだけ快楽で満ち、合理的であっても絶対に自身が取らない、いや取るべきではない行い。
「ハッ、俺らの意地を踏み躙ってきたのは魔法使いどもだろ。だから殺す、やっぱりオメェはダメだな。魔法使いも恐れる最強の魔術師、黒曜彼我見がこんな様だから俺たちは救われねぇんだよ!」
魔術師はもう片方の手に持った剣を彼我見に向ける。
「もっとオメェが同胞のために行動すればこうはならなかった。同胞をコケにする魔法使いを殺し、魔法使いを排他し、魔術師の誇りと意地を尊重する魔術師を、最強を俺たちは望んでいた! だが、オメェは警告だけで一向に行動しようとしない、魔法使いを諭し共存の道を進めた。それだけでオメェは俺らを、期待を裏切った。だから踏み切ったんだよ!」
彼我見はその言葉を冷静に拾い、冷徹に見据えていた。
「そうか、そのことについては謝罪しよう
彼我見は頭を下げる。
その様子に魔術師の溜飲も下がる。
しかし、下がった溜飲を彼我見は気にすることなく頭を上げながら言う。
「だが、お前らの行動を容認することは決して出来ない。やれ、橡」
「橡?」
「外殻魔術、『防殻』……脚式黒曜秘伝、『黒嵐』」
ハッピーの体を薄い殻が覆う。
次の瞬間、魔術師の頭は横蹴りされ壁に叩きつけられる。
「ぐはぁ、うぇ」
魔術師はダウンする。
「団長、遅くなってすいません」
橡は彼我見に軽く頭を下げながら続ける。
「旅団。順次動けます」
彼我見は聞きながらダウンした魔術師に近づく。
「濡羽の方は?」
「魔件局に保護された以降の所在は掴めません。追手からの追撃を恐れ移動していると思われます」
「あの魔女の管下に保護されたのは癪だが、分かった。旅団は魔法使いを殺し回っている魔術師どもを無効化しろ、絶対に殺せ、血祭りにあげろ。俺はこいつを拷問して、情報収集してから合流する」
濡羽の叔父にして師匠の姿ではなくそこには最強の魔術師、黒曜彼我見としての姿があった。
「それは困る」
彼我見の前からダウンした魔術師が消え失せる。
見知った声の方を彼我見は見る。
「ハッピー。やっぱり敵だったか」
そこには実況を務めていた道化師の格好をしたハッピーが自らを脅しの道具に使い、橡の蹴りによってダウンした魔術師を抱えて立っていた。
「気付いていたのか……流石、最強の魔術師だ」
「気付くに決まってるだろ。その魔術師よりお前の方が数段強いからな」
ハッピーは笑みを深める。
「改めて名乗ろう。魔術師一幸せな道化であり殺し屋『苦笑』、ハッピー・バラディだ。俺の道化魔術の秘中を見破れるかな、最強」
「一つ言っておく。さっきまで俺が何でその魔術師を倒さなかったと思う。勿論、お前という人質が居たからでもないし、橡の到着を待っていた訳でもない」
ハッピーは抱えていた魔術師を下ろし、彼我見に向かって飛び掛かる。
「そんな事、どうでも良いな! 俺に翻弄されて死ね! 最強! 道化魔術——」
「答えは、怒りに飲まれて思わず殺してしまいそうだったからだ」
ハッピーの体に鮮血が舞う。
「うっ……」
彼我見の手には血に汚れた硝子刀が輝いていた。
「お前は、死ね」
更に数度、ハッピーの体に傷が刻まれ、鮮血が舞う
そしてハッピーは崩れ落ちる。
「それともう一つ、最強をあまり舐めないことだ」
***
六人の人物が観覧席下の回廊を走っていた。
「助けていただき、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
俺とルナは救出に来てくれた魔件局の捜査官に感謝を述べる。
「いえいえ、仕事ですから……それに史上初のキングクラウン魔術師優勝者を魔法使いに殺されるのは気に食わないので」
亜麻色の髪の女性は静かにそう告げる。
赤髪の女性もそれに同調する。
「そうそう、ムカつく奴にぶっ放して私もすっきりしたし」
「弾、防がれていたけど」
「撃つことが良いの!」
「それなら敵に撃たなくて良いじゃない」
「ちゃんと伝えないと分からない馬鹿か……はぁ、敵というか人に撃つのが気持ち良いのよ!」
「犯罪者では?」
「あー!!」
亜麻色の短いボブの女性は珈琲李さんで一級魔術師『馥郁の魔術師』で珈琲の香りを纏う女性だ。
赤髪の女性はルフィナ・ガンバレット、黒髪の女性は時差理差と言い、二人とも準一級魔術師で魔件局戦闘課の捜査官らしい。
「二人とも落ち着きなさい、もう少しで大競技場の出入り口だから」
途中で合流したシュッツが二人を宥める。
今、俺たちはライターが出すであろう追手から逃れるためにひとまず大競技場から脱しようとしている。
「居たぞ、最重要目標だ」
だが、それを阻むように武装した魔術師たちが前を塞いだ。
彼らがライターの用意した追手だろうか。
「テメェら、魔件局の捜査官に勝てると思っているのか?」
シュッツはあくまでも戦闘は最低限に留めるため降伏するように促す。
「はぁ! 魔件局の連中に臆する訳ないだろ。この境会の犬が!」
「そうだ! そうだ」
「引く訳ないだろ!」
魔術師たちは増長する。
これは、降伏は無理そうだな、戦闘に突入する。
俺は何もない右腕を見る。
血は魔術で止めているが利き腕の損失はデカい。
今の俺が戦って果たして、役に立つのだろうか。
「犬で悪かったね。黒猫魔術、『黒猫の黒爪』」
瞬間、魔術師たちを大きな黒爪が抉る。
魔術師たちは大怪我を負い、その場に倒れる。
「アアアア、イテェイテェ」
「くそ……」
「それと、私は犬じゃなくて猫よ」
影から車椅子に乗った女性が姿を現す。
その姿を確認したシュッツは呟く。
「局長……遅いですよ」
俺は驚愕しながら女性を見る。
彼女が魔件局のトップ、実力者には見えないが先ほどの術を見るに強力な魔術を有している。
「シュッツ、私のことはタリヤちゃんって呼びなさいって言ったわよね」
思っていたのと違い、女性は明るく魔件局のトップには見えなかった。
「貴方が黒曜濡羽ね。私はタリヤ・灰霧・シャフラ、貴方の叔父さんとは腐れ縁の仲よ」
彼我見叔父さん、魔件局のトップとも知り合いなのかよ。
「さて、ここから逃げる前に貴方にしてほしいことがあるわ」
「え、俺にですか?」
「ええ、貴方にしか出来ない。重要な仕事よ」
「何をすれば? タリヤ局長」
「質問する前に呼び方を変えましょうか。私のことはタリヤちゃんと呼んでください」
「え?」
「はやく言ってください。時間はあまりないので」
「——ッ……タリ、タリヤちゃん? 教えてください」
「よく出来ました」
背後のルナから嫉妬の目線がタリヤに怒りの視線が俺に降り注ぐ中、俺たちはタリヤの作戦を聞く。




