31話 林堂 志鶴 1
「全く……嫌な予感はしてたが、まさかこんなことになるなんてな」
林堂先生は呆れたように呟きながら、部室棟の一階と二階を繋ぐ階段の手摺に手際よくビニールテープを巻いていく。
そしてジャージのポケットから紙と油性ペンを取り出すと、『立ち入り禁止』と乱雑に書き、ビニールテープに貼り付けた。
「これでよしっと……てか、最初からこうしときゃよかったな。そうすりゃあこの馬鹿共の行いも、多少は抑止できたかもしれねぇのに」
言いながら布倉と柊を睨み付ける林堂先生。
二人は「ひっ」と小さく悲鳴を漏らし、互いに肩を寄せ合った。
なんと珍しい光景だろう。
それにしても、先程から一向に話が見えてこない。
一人でずっと置いてけぼりを食らっている気分だ。
傍らに立つ雪にちらりと視線を送るが、こいつもこいつで何も分かってなさそうな顔をしている
というか多分、何も考えていない。
俺は恐る恐る挙手をし、林堂先生に声をかけた。
「あ、あのー、林堂先生?」
「ん? どうした、高等部の少年B」
「少年B……」
Aは雪だろうか。
その匿名報道みたいな呼び方は、できればやめて頂きたい。
自ら名乗らなかった俺が悪いのかもしれないが、その呼び名に踏み切る前に、せめて名前くらい訊ねて欲しかった。
「……俺の名前は小森宗哉といいます。で、こっちは白樺雪」
「おぉそうかい、わざわざありがとう小森くん。きみ、見かけによらず礼儀正しいな」
あまり気にした様子もなく、朗らかに笑う林堂先生。
どことなく適当で脱力感を纏った人だが、根は優しそうだ。
ますます布倉と柊の怯える理由が見当たらない。
「で、何の用?」
「あぁ、その……この二人って一体何をしたんですか?」
身を寄せ合う中学生達を横目で見ながら訪ねると、林堂先生は少し驚いたようで、目を丸くした。
「なんだ、本当にきみは何も知らなかったんだな」
「何も……って?」
「そもそもこの部室棟、生徒は立ち入り禁止なんだよ。えーと、大体二週間前くらいから」
「えっ!?」
何だそれ、聞いてないぞ。
抗議の意を込めて布倉を睨むと、気まずそうに目を逸らされた。
一応罪の意識はあるらしい。
「小森くんは、例の噂のことは知ってるのか? ほらあの、幽霊がどうこうってやつ」
「え? え、えっと……」
先生の何気無い調子の問い掛けに、俺は思わず口籠った。
知ってるも何も、この目で見たし。
噂も何も、事実だし。
だが、先の出来事はこの場ではとりあえず伏せておくのが得策だろう。
これ以上場をかき回したくはない。
そう思い、当たり障りのない返答を口にする。
「まぁ……一通りは、布倉達に聞きました」
「じゃ、立ち入り禁止になった理由は見当つくだろ。シンプルに危ないんだよ。別に私らは噂を頭っから信じてるわけじゃないけどさ、大きな事故に発展してからじゃ遅いから」
『私ら』とは、中等部の教師全体を指しているのだろうか。
立ち入り禁止。
冷静になって考えてみれば、確かに当然の対応ではある。
恐らく、生徒の安全を守る、というよりも、噂の根本を絶つことでこれ以上話が膨らむのを避けようとしているのだろう。
以前の聞き込みの際も感じたことだが、中等部内における例の噂は、最早噂の域を逸脱している。
生徒からすれば面白半分恐れ半分の都市伝説のようなノリなのだろうが、それが校外にも広まれば、学校自体があること無いこと言われかねない。
そもそも幽霊が出てくる怪談話とは、そこで過去に人が死んでいないと成立しないものだ。
学校側からすれば、自殺者を出した過去なんて、蒸し返されて気持ちの良いものでは決してないだろう。
それどころか、止められるのなら全力で止めにかかりたい筈だ。
一人腑に落ちていると、傍らで林堂先生が苛立たし気に息を吐いた。
「それなのにこいつらは無断でズカズカ立ち入るばかりか、閉じ込められて扉を破壊までさせやがって……」
「……すいませんでした……」
「いやー、良いんだよ小森くんは。つーか、高等部の二人にはどちらかってーと感謝してるんだ。うちの奴らの面倒見てくれたし、白樺くんにも扉ぶっ壊してもらったし。な、白樺くん!」
「あ、え……は……はい」
林堂先生が雪に笑いかけると、雪は曖昧に返事を返して先生から数歩離れた。
こいつはコミュ力のある人間が苦手なのかもしれない。
こちらが引くと追ってくるのに、追うと逃げる。
面倒なタイプだ。
「ん……そういえば雪はなんでここにいるんだ? 帰ったんじゃなかったのか」
「……えっと、その……少し、気になることがあって……戻って、きたんだ。そしたら、苺果に会って……」
「ちょ、ちょっと待て。お前布倉のこと苺果って呼んでるのか!?」
「? ああ……。そう呼べって、言われた……」
雪はきょとんと首を傾げる。
どさくさに紛れて何をやってるんだ布倉は。
「布倉ちゃんと白樺くんで二人して私を呼びに来たんだよな。部室に人が閉じ込められたから合鍵貸してくれって。私、ここの責任者だからさ」
「ああ成程……そういう流れだったんですか」
林堂先生の説明で、やっと現状に理解が追いついてきた。
「でも、そこからどうして扉を破壊する展開に……」
「あぁ、それな。なんか知らんけど鍵が開かなかったんだよ。それでバール持ってきて壊そうって話になったの。ま、これがなかなか壊れなくて、最終的に白樺くん任せになったけど」
「鍵、開かなかったんですか?」
「うん。鍵穴壊れてたのかなー? 立ち入り禁止期間中に一通り部室の鍵検査しとくかぁ」
何気ない調子でそう言うと、林堂先生はビニールテープやらペンやらをポケットに仕舞った。
そして俺達の方を向き直り、ハキハキとした声色で告げた。
「さ、今日は一先ず解散だ。小森くんと白樺くんは済まなかったね。後日何か礼をさせてもらうよ。そんで、布倉ちゃんと柊くんはちょっと着いて来い。叱るから」
「ひっ……」
「は、はい……」
踵を返して去って行く林堂先生と、それにすごすごと着いて行く布倉たち。
部室棟前には俺と雪だけが取り残された。
気付けば夕暮れ時と呼ぶべき時間帯はとうに既に過ぎ去り、空は薄暗くなりつつある。
この数時間に色んなことがありすぎた。
今から再度部室棟に入る気にもなれず、俺達も帰路に着くことにした。




