29話 柊 佑人 3
実に一週間ぶりに目にする後輩は、ビデオカメラを片手に部室の扉からきょろきょろと視線を巡らせていた。
何かを警戒しているかのような様子で、まず二階の廊下を確認した後、扉の正面から伸びる下り階段に目をやり、最後に手摺から階下を見下ろして──俺達と目が合った。
「「「……」」」
互いに反応できぬまま、俺達と柊の間に沈黙が下りる。
が、次の瞬間。
一拍置いて驚愕の表情を浮かべた柊は、たった今出てきた部室に飛び込むと、勢いよく扉を閉めた。
「あ、え!? ま、待て柊!」
今さら部室に戻った所で逃げられるわけじゃ無いだろうに……。
戸惑いつつも慌てて二階に向けて駆け出す。
だが、俺よりも一瞬早く、布倉は地面を蹴って階段を駆け昇っていた。
「うおおお逃げるなぁ! 出てこいこのやろぉ!!」
布倉は叫びながら猛スピードで階段を昇りきると、勢いに任せて扉に体当たりをかました。
だが外開きである扉は勿論開く筈も無く、彼女の小さな体躯は作用反作用の法則に従って弾き飛ばされ──
「うお危ねぇ!!」
──通路を突っ切ってたった今上がってきた階段から落下しそうになったのを、すんでの所で追い付いた俺が支えた。
「おっ、ナイス先輩! 助かりました!」
「ナイスじゃねぇよ気を付けろ! ここの通路狭いんだから! よく考えて行動しろ!!」
激しく脈打つ鼓動を感じつつ、呑気に親指を立てる布倉に叱責する。
だが俺の切実な叫びが大して響かなかったらしい布倉は、体勢を立て直すとぱたぱたと部室に駆け寄った。
「そんなことより先輩、さっさとこの扉ブチ破ってあいつを引き摺り出してやりましょうよ」
「いやブチ破るなよ……先生に叱られるぞ?」
「え……あなたそんなナリして先生に叱られるの恐れてるんですか……」
呆れと失望が入り混じったような目で俺を見上げる布倉。
年下からのこの視線はかなり心に来るものがある。
「と、とにかくお前は黙ってろ。そうやって物騒なこと言われたら柊だって出てきにくいだろ」
「まあ……それはそうですけど……」
「まったくですよ布倉先輩。もう少し考えて行動してください」
扉の中から賛同の声が返ってきた。
こいつ、安全地帯だからって挑発しに来てやがる。
「うるせー!! 堂々と顔見せてから言え!」
当然布倉は憤慨して食って掛かった。
気持ちは痛いほど分かるが、このまま扉越しに口喧嘩を繰り広げても平行線だ。
俺は扉を破壊せんばかりに叩く布倉を引き剥がして取鎮める。
「わ、悪い布倉。お前がいると話が泥沼化する。少し席を外してくれ……」
「う……分かりましたよ」
布倉は腑に落ちないながらもしぶしぶ引き下がってくれた。
良い子だ。
踵を返して階段を下っていく布倉を確認すると、扉を軽くノックして柊に声をかけた。
「……おーい、柊。布倉もういないぞ?」
厳密に言えば今も階下で目を光らせているが。
「……本当ですね?」
「ああ。だから出て来い」
「……」
俺の返事から数秒の間を置いて扉が薄く開き、柊が僅かに顔を覗かせた。
「……何で追ってきたんです? 俺があなたにお願いしたことはもうやっていただきましたし、あなたが俺を追う理由は無い筈ですが?」
早々に攻撃的だ。
扉に半分隠れているものの、その表情もあからさまに曇っている。
「そう思うなら何で逃げたんだよ?」
「…………それは……」
俺が問いを返すと、柊は軽く俯いて口籠った。
だが、またすぐに俺を睨み付け、強い口調で言い放つ。
「あなたには、関係の無いことです」
「関係無いってことはないだろ。俺はお前の頼みを聞くことで、もうこの件に関わってる」
「そ……れはそうですけど……」
段々と語気が弱まっていく柊。
勝機が見えた。
あと一押しといった所だろう。
「なぁ柊、そろそろお前の目的を話してくれても良いんじゃないか? もうこれはお前だけの話じゃないだろ」
トドメを刺すつもりで諭すように告げる。
すると、柊の表情がピクリと強張ったように見えた。
「お……俺だけの……ですよ……」
「え?」
柊が呟くように発した言葉が聞き取れず、今なんて、と訊き返そうとした瞬間。
数センチしか開いていなかった扉が、突然勢いよく開け放たれた。
驚いてバランスを崩しかけたところを、部室の中から飛び出してきた柊に胸倉を掴まれる。
「煩い……煩い! これは俺だけの問題なんだ! もう誰も関わっちゃいけないんだ! 関わるなよ!」
普段の淡々とした物言いからはかけ離れた様子に、俺は唖然として返す言葉を失った。
「全部、全部俺のせいなんだ! だから……! だからもう、関わらないでください……お願い、ですから……」
萎縮していく語尾と共に、俺を見上げる双眼から不意に力が失われる。
俺の制服を掴んでいた拳も、静かに解かれた。
「ひい、らぎ?」
「……忘れてください」
恐る恐る名前を呼ぶと、柊は俺から視線を逸らして罰が悪そうに項垂れた。
「お、おい柊。どういうことだ今の」
「……」
「関わっちゃいけないって……じゃあ何で初めて会ったとき、俺達を手伝わせたんだよ」
「……」
「もしかして、あの後に何かあったのか」
「……」
「あの後にあったことって……」
「ああもう……余計な詮索しないでください! とにかく先輩には――」
煩わしそうに声を荒らげかけた柊だったが、顔を上げて俺を睨んだ瞬間、何かに驚いたように言葉を呑み込んだ。
「?」
俺が首を傾げても反応せず、凍り付いたように固まっている。
視線は俺の方向に固定され、口は僅かに開かれたまま何も話そうとはしない。
「え……? ど、どうしたんだよ」
「……せんぱい」
「へ?」
肩を掴んで軽く揺らすと、柊は呟くように俺を呼んだ。
だが、依然として目線を外すことはない。
「先輩……あの、先輩」
「だ、だから何だよ!?」
流石に不安になって語気を強める。
すると、柊は俺の背後を指さして言った。
「それ、だれです」
「――は?」
反射的に後ろを振り向くと、真後ろに人影があった。
階段を昇ってくる音も聞こえなかった。
衣摺りの音も、呼吸音でさえも。
それでも、そいつは――その少女は、いつの間にかそこにいた。
俺より10cmほど低い身長。
セーラー服、塗れたように黒い髪。
「あ、」
――中学三年生の少女。
――冬服のセーラー姿。
――身長は150cm強。
――黒髪セミロング。
つい一週間前に耳にした、そして書き起こした情報が、一瞬にして思い起される。
だが、そんな俺の思考を遮るかのように。
少女は真っ直ぐに腕を突き出し、俺の背中を力いっぱい押した。
その細腕に見合った大したことの無い腕力ではあったが、不意を突かれた俺は柊を巻き込むようにして部室内に倒れ込む。
「ぐっ!」
「うわっ!?」
折り重なるようにしてくず折れた俺達の背に、扉が閉まる軋んだ音が浴びせられた。
なんとか上体を起こして肩越しに振り返ると、閉まった扉を後ろ手に押さえる少女の姿があった。
少女は薄く笑い、同時にガチャンと鍵の閉められる音が部室に響いた。




