第十一話 乱戦
もうどれくらいの時間が経っただろうか。そんな考えすら及ばない境地の中でアリアドネは己の細剣を振るっていた。
拳が、剣が、殺気が、まるで猛獣の如く彼女に襲いかかってくる。それは別に他の三人が共闘しているわけでも、アリアドネを一点集中して狙っているわけでもない。互いにぶつかりながらアリアドネに攻撃しているに過ぎないのだ。まさしく乱闘。敵味方の区別などなく、あるのは自分以外を倒せばいいという単純で分かりやすい事実。だから周りを気にする必要性がないのだ。いや、そもそも彼らにそんな気配りができるとは到底思えないが。
ふとアリアドネは自分達の周りにいる者達を見る。いや、実際にはいた者達、というべきか。そこには倒れ伏せている者がほとんど。立ち上がっている者はもういなかった。原因は自分達の戦いの余波だ。カーミラやオルトの一撃は放つだけで周りを吹き飛ばしてしまうのだから、それがぶつかればどうなるのかは言うまでもない。
しかし、実際に倒れている者達が一番被害に遭ったのはケイロンによるものだった。彼が操る「斬気」はその射程範囲が広く、複数の相手に対して有効だったと言えるだろう。さらにいえば、その効果も抜群なものだ。現にアリアドネも気を失わないとは言っても、「斬気」を喰らう度に精神的苦痛が全身を駆け巡り、それを押さえつけながら動くのがやっとだ。
しかも、最悪なことに。
「ふむ……どうやら君達相手には『三』程度ではほとんど意味がないようだ。ならば、もう少しだけ段階をあげるとしようか」
言うが早いか、再び斬気がアリアドネに襲いかかる。しかも先程の物より鋭く、疾く、おぞましい。全身を走る悪寒に彼女は一瞬、足を止めてしまう。それは仕方がない。たかが気迫とは言え、斬られたかのような感覚に襲われれば、誰だって足を止めたくなるのが道理。
しかし、だ。
ここは戦場。たった一瞬、刹那。動きを止めただけで命取りになる場所なのだ。
「ホレ、隙ありじゃ、お嬢さん」
放たれるのは突き。そして訪れるのは腹部への鈍痛。アリアドネはそのまま真後ろへと吹き飛ばされた。片目を閉じ、腹部を抑えながらアリアドネは己の傷を確かめる。血は出ていないし、刺されてはいない。見るとケイロンは剣を鞘に収めたままの状態であった。
この戦いが始まってからずっとこの状態である。鞘からは決して刃を抜かない状態で老剣士は戦っている。無論、その状態でも実力は確かなものだ。鞘の状態の剣でも身体に打ち込まれればかなりのダメージがある。さらに言えば、ケイロンは斬気という技を持っているため、わざわざ剣を抜く必要もないのかもしれない。
けれども剣を鞘から抜かない、というのはある見方では手を抜いている、と思われても仕方のないものだろう。そして、そのことに対し怒りを覚えるものがここにはいた。
何の前振りもなく、二本の牙がケイロンを襲う。
しかし、それをケイロンは自らの素早い身体能力によって回避する。
「余裕ぶっこいてんなよ、爺さん。そろそろその剣抜いたらどうだ?」
オルトの言葉にケイロンは苦笑する。
「参ったのう。別に剣を抜かないのは余裕だからという理由ではないのだが……とは言っても、どんな説明をしたところで君は納得せんのだろうな」
「応とも。理由なんか知るか。そっちにやる気が全然ねぇってんなら本気にさせるまでだ」
「おお恐い恐い。先程からの剣捌きといい、気が抜けんわ。そしてもっと恐ろしいのは、それが一人だけではないということかのう」
と言いながらケイロンは後ろへと飛ぶ。同時に彼がいた地が轟音と共に割れ、砕けた。
「ちっ、外したか」
カーミラの一撃である。
彼女は剣を片手に携えてはいるものの、戦いの当初からそれを使ってくることはなく、主とする攻撃手段は手甲を付けた拳。剣はどちらかといえば、牽制や相手の攻撃を捌く時に使っているように見えた。
剣と拳。どちらが強いか、というは色々な意見があると思われる。しかし、どちらが有利であるかと言われれば一般的に見れば剣と答える人間の方が多いだろう。剣は刃物であり、武器だ。斬り、刺し、振り下ろせば人を簡単に殺せる代物だ。それに比べて拳は身体の一部。射程範囲も剣の方がある。
しかし、カーミラは鎧を身に纏い、尚且つ地面を裂く程の一撃を放っている。もはや剣を持っているか、いないかなどは問題ではない。そんな次元など当の昔に彼女は超えている。
一方で、そんな一撃を避けたケイロンもまた、常人ではないのだが。
「素早っこい老人だ。その歳でよくもまあぁそこまで動けるものだ」
「これでも剣士の端くれだからのう。それでもやはい歳には勝てませぬ。昔と比べて動きも鈍く、速さも衰えましたからのう」
人は老いには勝てない。これは絶対ではり、ケイロンも例外ではない。
しかし、その老いがきてもまだ尚この実力。全盛期は一体全体どれだけの剣士だったのだろうか。それを考えるだけでもアリアドネはぞっとする。
だが、カーミラにとっても全くどうでもいい情報だったらしい。
「何だ、今から負けた時への言い訳か?」
知るかそんなものとでも言わんばかりの表情を浮かべながらの一言。彼女にとってかつてのケイロンがどうであったかなど些細なこと、いやそれ以下だ。重要なのは今、目の前にいる老剣士のことのみ。昔がどうであろうとそれは今と全く関係がないのだから。
「これはまた手厳しい指摘だ。だが……そうだのう。老いがどうのと口にしていては、言い訳にしか聞こえんのも事実。故に勝って言い訳ではないことを証明せねばなるまいて」
言葉に乗る殺気。それをこの老人はそのまま武器として扱えるのだから、何とも恐ろしい限りだ。
「……とはいうものの、こうも斬気を耐えられるとこちらとしては結構自信を無くすものなのだな。特に、そこの巨躯の彼は出鱈目だねぇ。斬気を五に上げたというのに動きが止まる気配すらないとは」
ケイロンは三人に対し、斬気を浴びせている。本来ならそれだけで気絶するはずのものを彼ら彼女らは耐え抜いている。その中でもオルトは全く、とは言わないものの効き目が薄いように感じられた。先程もアリアドネが一瞬動きが封じられた時でさえ、彼はすかさず攻撃に転じてきた。
ケイロンにとって斬気は主となる武器であり、剣。その効果が薄いとなるとやはりやりずらさは相当なものだといえるだろう。
「しかしまぁいい。それならそれでいくらでもやりようはあるからのう」
「ほう、ようやく抜く気になったか、その剣」
「いいや、この『条件下』では抜けんよ。しかし安心せい。抜かないのは手も同じだということを教えてやるわ」
「ほざいたな、老体。ならばそれを見せてもらおうか」
カーミラの言葉が終わると同時、三つの刃は交錯する。
実際のところ、三者の実力にそれほどの差はない。ならば同等か、といえばそれもまた正しくはない。彼は吐出している能力がそれぞれに違う。
例えばカーミラは完全な攻撃型。剣を使わないその在り方は特殊だが、戦い方そのものは普通である。その一撃がかなり凄まじいものではあるが。
その一撃を受けても何事も無かったかのように戦うオルトは耐久型。しかもただ身体が丈夫なだけでなく、その二本の剣はある意味嵐であり、攻撃の方も馬鹿にできない。
そして、そんな二人の攻撃を意図も簡単に回避し続けるケイロンは技量型、と分類するべきか。斬気という特殊な技だけでなく、身のこなしや次の行動へ映る瞬発力がずば抜けている。
攻と耐と技。それぞれの特性を彼らは熟知している。だからこそ、苦手な相手もよく理解しているのだ。今回の場合、カーミラとケイロンにとってオルトは厄介この上ない相手である。理由は簡単だ。自分達の攻撃が薄いのである。カーミラの一撃、ケイロンの斬気を受けてもそれでも未だ動けるオルトは超人と言ってもおかしくはないだろう。今もケイロンの五の斬気を五回受け、カーミラの拳をまともに七回はその身に直撃させている。しかし、それでも彼の笑みは消えず、逆に滾っているように見えた。
まずい。それは二人が同時に抱いた感想だった。
この男は戦闘狂だ。この予選開始からそれは理解していたつもりだったが、しかしそれはつもり程度でしかない。ここに来て、より一層目の前の巨躯の危険度が実感できてきたのだ。こういう手合いは長引かせれば長引かせるほど、力を増し、手に負えなくなる。
「おら、どうした。二人がかりでもいいんだぜ!!」
強気な言葉。しかし、それは真実でもあった。
本来ならばこの場の誰かと手を組むということは避けたいこと。それはこの場においていうのなら、自分の実力を下げる行為でもあるのだから。
けれども。
(これ以上、厄介になる前に)
(潰して置くのが得策)
考えることはやはり同じだったのだろう。しかし、別にそのことでケイロンとカーミラが手を組むわけではない。たまたま目標が同じになっただけの話。
そうして、二人がオルトに仕掛けようとした瞬間。
「―――では、背後からいかせてもらいます」
宣言通り、オルトの背後から細剣の一突きが襲いかかる。細剣とはいっても剣だ。まともに喰らえば頑丈でも致命傷になる可能性もある。オルトは身体を大きく捻らせ、突風のような一撃を回避し、その場から下がる。しかし、完全に避けきることはできなかったのか、脇腹の部分から僅かな血が流れていた。
唐突の出来事にオルトはもちろん、ケイロンやカーミラさえも目を丸くさせていた。
「……おいおい。やってくれるな、お嬢ちゃん。今のはマジでびびったぞ」
冗談ではなく本音からの言葉だった。
「直前まで気配が全く感じられなかった……ああ、そういや、さっきからそうだった。あんたは俺達の戦いに混じっていた。っつーのに時々それに気づかないことが多かった。忘れてたとか、影が薄いとか、そんな程度の問題じゃねぇ……あんた、意図的に気配を殺してやがったな?」
「さぁ、なんのことでしょうか」
不敵な笑みを浮かべるアリアドネ。しかし、内心はかなり焦っていた。
失敗した。ようやく自分から注意が逸れ、気配を殺して近づき攻撃できたというのに。妙なところで『背後から攻撃する』ということへの抵抗感が邪魔した。あれさえなければ、確実に渾身の一激を直撃させていたはずだ。
そして、まずいことはさらに続く。
「なるほど……先程から妙なところから細剣の攻撃が来るとは思っていたが、そういうことか」
「気配を殺して自分の存在を薄くさせる……なるほど、私の斬気とは真逆の性質をもった技、というべきかのう」
他の二人にもアリアドネの特性を知られてしまった。
アリアドネの特性を言葉にするのなら、それは「虚」。オルトが言ったように自らの気配を殺し、影を薄くさせ、自分という存在を認識しにくくするもの。故に虚を突く攻撃が可能であり、先程のもそれだ。それを卑怯という者もいるかもしれない。事実そうなのだろう。けれども、剣術はまさしくそのもの。相手の裏をかき、勝利する。そこには本来、卑怯もなにもないのだ。そして、卑怯だったとしても、オルトには後一歩届かなかった。
特性を知られれば使用できない、というわけではないが、しかし相手はこの三人だ。何らかの対策をすでに考えているに違いない。一方のアリアドネは他三人に対しての策は今のところ全く無しである。攻撃、耐性、技量。どれにしても彼女は三人に負けている状態だ。格が違うのだ。
「流石『番剣』の妹というべきか。正直、私としては貴様のことを舐めていた。しかし考えを改める必要があるようだ」
「確かに。そして改めるとなると、君はかなり危険だのう。何せ、他の者と戦っている最中に後ろから攻撃されればぞっとしない」
「まぁ、俺はそれをされかかったわけだが。恐ぇのは事実だしな……ってなわけで、悪いな嬢ちゃん。さきに潰させてもらうわ」
乱戦状態の中で一番弱い者から脱落する。当然の帰結だ。さらに、その弱くとも危険な特性を持っていれば放っておくわけがない。特に戦いに慣れたこの三人ならば、アリアドネを見過ごす、という考えは当然有り得ない。
彼らは理解しているのだ。実際に戦い、アリアドネの脅威がどれだけのものなのかを。オルトとは別の意味で凶悪だ。
向けられる三つの殺意。彼らは本気だ。本気で三人がかりでアリアドネを潰しにかかるつもりである。一人でも厄介だというのに、それが三人だ。勝率は限りなく無に近く、アリアドネがここから逆転劇を起こす確率もまたほぼ不可能。
けれど、と彼女は思う。
それがどうしたのだ、と。
そんなものはこの大会が始まる前から分かっていたこと。自分よりも強い人間がいることなど百も承知。それを理解した上でアリアドネは剣を取り、戦うと決めたのだ。
ならばやることなど決まっている。単純であり、明快であり、至極当然なやり方。
目の前の敵を全力で倒す。
それだけだ。
「―――っ」
震える身体を押さえつけ、剣を構える。
こんなところで倒れるわけでには、やれれるわけにはいかない。
自分は進むのだ。上へと。アステリオスの元へと。
今のあの人は記憶を無くし、かつての力を無くしている。はっきり言って今の自分でも勝ててしまう。それだけに弱体化しているのだ。正直、今のアステリオスを倒し、最強の称号を得たとしてもアリアドネは嬉しくも何ともない。だから、彼女が勝ち進むのは自分が最強になるためではない。自分が勝ててしまうということは、他の誰かもアステリオスに勝ててしまう状況であるということ。それは嫌だ。そんな事実をアリアドネは認めたくない。
あの人は最強であり続けるのだ。そうでなくてはならない。そして、いつかその最強を自分が超えるのだ。だからこそ、自分以外の誰かにアステリオスが負けてしまうことをアリアドネは容認できないのだ。
故に、彼女は負けられない。
「―――いいでしょう。そちらがその気なら別に構いません。三人まとめてかかってきなさいっ!!」
咆哮に近いその言葉を聞き、オルトは不敵に笑い、カーミラは反応せず、ケイロンは殺気を高めた。
そうして、一対三の攻防が始まろうとしたその瞬間。
「それまでです」
場外にいる女性の声と共に鳴り響いた鐘の音が、四人の身体を止めたのだった。




