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【ジェームズ視点】最強の男が視聴者0人の配信に救われた夜

今日も眠れない。戦った日の夜は、神経が剥き出しの電線のようになり、特に眠れない。


枕元のスマートフォンを、縋るように手に取る。


何を見るわけでもない。

ただ、指先を動かすという「生存活動」をしていなければ、脳があの高周波のノイズに内側から食い尽くされそうだった。


ダンジョン配信プラットフォーム『DunCast』を開く。


おすすめ欄には、嫌になるほど見覚えのある光景が並んでいる。

最新鋭のドローンを飛ばし、派手なエフェクトを纏って魔獣を屠る、精鋭たちの記録。


『S級攻略者・ブラッド、氷結の山脈を単独踏破!』

『史上最速、A級ダンジョン・ボスの首を落とした一撃!』


ジェームズはそれらのサムネイルを、今日の戦いを思い出す不快感から苦い砂を噛むような思いで見つめていた。


だが。


無数に並ぶ動画の海をスクロールしていた指が、不意に、ピタリと止まった。


そのサムネイルは、異常だった。

他の配信者が「いかに自分たちの覚醒スキルが輝いているか」を競い合う喧騒の中で、その動画には動きひとつなかった。


映っているのは、ダンジョンでよく見る灰のような栄養を失った土。

ただそれだけ。文字通りの激しい動きしかないライブ配信の中で唯一「何もない」映像。


視聴者数は0。


吸い寄せられるように。

断崖絶壁で、指先に触れた一本の命綱を掴むような切実さで、その画面をタップした。



『D級覚醒者つちのこのダンジョン庭いじり』


画面が切り替わった瞬間、ジェームズは目を見開いた。

そこから流れてきた「映像」が、あまりにも、あり得ないものだったからだ。


ザッ、ザッ……。

ザッ、ザッ……。


それは100均のじょうろと片手に、プラスチックの安っぽいスコップを持ったアジア人の青年が、灰色の土を掘り返す音だった。


ドローンが風を切る音も、魔力の放電音も、視聴者の歓声もない。

ただ、一人の青年が黙々と作業をする、土の音だけ。


「――ふぅ」


ふっ、と青年の吐息がマイクに混じる。

その何でもない「生きている人間」の生活音が耳に届いた、その瞬間。


キィィィィィィ………キィィ……


ジェームズの脳を焼き、精神を限界まで削り続けていたあの「世界の悲鳴」が、目に見えて後ろへ退いていった。


3年間、1秒たりとも止まらなかった脳内の狂気的な高周波が、凪のように静まり返っていく。青年の立てる素朴な音が、荒れ狂う嵐の海の上に、静かな安らぎの層を一枚ずつ、丁寧に重ねていくような感覚。


(……静かだ。どうして、こんなに……)


ジェームズは、ベッドの上で呆然としていた。

世界ランク1位、空間を支配する「破壊神」。その彼が、たった一つの、素人がスマホを地面に置いて撮っているだけの映像に、全身の毛穴が逆立つような衝撃を受けていた。


画面の中にいるのは、どこにでもいるようなジャージ姿の青年だった。

場所はどこかのセーフエリアだろう。だが、青年の手元にある「土」は、何かがおかしかった。


彼がその無防備な素手で、ダンジョンの壊死した大地を慈しむように撫でるたび、画面越しに物理法則を超えた現象が起きていた。


(……ノイズが、吸い込まれていくのか?)


ジェームズは知っている。

数千億円を投じ、科学と魔力の粋を集めた実験場でさえ、ダンジョンの土は「死」そのものだった。空間そのものが「壊死」した末の情報の残骸。どんな高度な魔術を流し込んでも、それは触れれば崩れる無機質な灰でしかなかった。


だが、画面の中の青年は、まるでおいしいパンの生地を捏ねるかのような手つきで、その「空間の残骸」に新しい息吹を吹き込んでいた。


彼が石を拾い、地面をポン、ポンと叩き、平らにしていく。


青年が土を撫でる指先から、時折淡い黄金色の魔力糸が染み出している。


それは世界を消去するジェームズの「共鳴」とは、真逆の響き。

破壊ではなく、整頓。拒絶ではなく、包容。


彼の手元で、死んでいたはずの灰色の土が徐々にしっとりとした重みを持ち、「生命を受け入れるための土壌」へと変質していくのが、ジェームズには見えた。


(……ノイズを土の中に閉じ込め、空間そのものを『手入れ』しているというのか)


「よしよし。これで少しは寝心地が良くなったかな」


青年の、ぎこちない独り言。

その声が重なるたびに、ジェームズの頭蓋骨を締め付けていた万力のような圧迫感が、ゆるゆると解けていく。


(希望だ。これは……俺を救う、唯一の……)


ジェームズの指先が、微かに、だが止まることなく震えていた。


1国の軍隊に匹敵する武力を持ち、あらゆる修羅場を無表情で踏み越えてきた男が、誰もいない暗い部屋で、呼吸をすることさえ忘れて画面を凝視している。


世界のために「人間」であることを捨て、命を切り売りしても決して手に入らない平和と「脳の安らぎ」が。

そこには、あまりにも無防備な、ただの日常として転がっていた。


画面を握る手が、ギチリと悲鳴を上げる。


「……たすけて、くれ」


誰にも、神にさえ言えなかったその言葉が、戦慄と共にこぼれ落ちた。


心の奥底に沈めていた、自分自身の原風景が蘇る。

瞳が銀色に染まり、破壊の権能を得る前。農場で母の背中を追いかけ、土の匂いと太陽の温もりを信じていた頃の自分。


彼は、その頃の自分を名乗ることにした。

世界ランク1位のジェームズ・ホークではなく、ただの男として。


指を震わせながらスマートフォンのキーボードをタップする。


【GreenThumb (緑の親指)】


母が自分に、いつかそうなってほしいと願っていた、植物を育てる才能を指す古い言葉。


そして彼は、母が庭に最初の一株を植える前に、土を慈しみながら必ず口にしていた格言を打ち込んだ。


【GreenThumb】Every garden starts with one plant. :) (すべての庭は一株から始まる)


今はまだ、一株の草さえないけれど。

この土があれば、いつか必ず最初の一歩が始まる。

そう信じさせてくれる、青年の奇跡のような手つきへの、精一杯の返礼だった。


慣れない顔文字を添えて。


世界を粉砕してきたその人差し指で、送信ボタンを、そっと、祈るようにタップした。



「お……?」


画面の中の青年が、ピクッと肩を揺らした。

作業していた手を止め、驚いたようにカメラを――すなわち、ジェームズの視線を真っ直ぐに覗き込んでくる。


「視聴者がいる……。コメント、ありがとうございます」


青年が、驚きと、それ以上の喜びを込めて笑った。


その笑顔は、カメラを意識した虚飾の笑みではなかった。ただ、暗い砂漠の中で一人で作業をしていたところに、誰かが声をかけてくれたことに対する、混じりけのない「隣人の笑顔」だった。


「庭師……さんかな。ありがとうございます。まだ土をいじってるだけですけど、見ててくださいね。ここ、絶対にいい庭にしますから」


D級覚醒者の、その素朴な決意。その明るい声。


その瞬間、ジェームズの脳内を埋め尽くしていたノイズが、まるで潮が引くように、さらに一段、背景へと遠ざかった気がした。


配信が終わるまで、彼は瞬きさえも忘れて画面を見守り続けた。

やがて配信が終了し、画面が真っ暗なトップ画面に戻っても、彼は宝物を守るようにスマホを離せなかった。



部屋には再び、メキシコの深夜の重苦しい静寂が戻ってきた。

耳の奥では、キィィィィィン……という、あの不快な音が再びボリュームを上げ始めていた。


だが、今夜は違った。


(すべての庭は一株から始まる……。そうだな、つちのこ先生)


自分の放った言葉を反芻する。

青年に伝えたつもりだったその言葉は、そのまま自分自身への福音となって返ってきていた。


ジェームズは、数年ぶりに、自分から「眠りたい」と思った。

明日もまた世界を延命させるための、義務的な「電源オフ」ではない。あの庭の続きを、また明日も見たいという、純粋な期待。


彼はゆっくりと目を閉じ、毛布を引き上げた。

ノイズはまだ鳴っている。空間は軋んでいる。

けれど、まぶたの裏には、あの配信で見た「柔らかそうな土」の感触が、ありありと、温かく残っていた。


……。

…………。


次にジェームズが目を開けた時、視界には柔らかな色彩が溢れていた。

窓の隙間から差し込む朝日が、ホテルのカーテンの赤や、テーブルの木目を、鮮やかに照らし出している。


「……あ」


時計を確認したジェームズは、そのまま呆然と天井を見上げた。

午前10時。

昨夜から一度もノイズに叩き起こされることなく、彼は実に「7時間」もの間、夢さえ見ずに眠り続けていたのだ。


No.1になってから、一度も経験したことのない深い眠り。

身体から重い鉄の枷が外れたような、信じられないほどの軽さ。


ジェームズはテラスへ出て、深呼吸をした。

肺を満たす空気には、まだ薄紫の魔力の濁りが混じっている。

だが、ジェームズ・ホークの心臓は、昨日とは違う力強いリズムで鼓動していた。


「あれを……見続けなければならない」


それが、自分の侵食を抑えるための薬になるから、という自分勝手な希望がないと言ったら嘘になる。

ただそれ以上に、あの土がどう変わっていくのかを、一人の男として、誰よりも近くで見届けたくなったのだ。


ジェームズ・ホークの中に。

「世界1位の英雄」という、窒息しそうな巨大な役割以外に。

「GreenThumb」という、小さな、けれど確かな新しい命が宿った朝だった。


彼は、スマートフォンを手に取り、DunCastのアプリの通知をオンにした。

つちのこ先生の配信。その「次」を待つためだけに。


ジェームズは、最高級の、けれど昨日までは味のしなかったホテルのコーヒーを一口飲み――。


そして、ほんのわずかだけ、本物の「安らぎ」を舌の上で感じながら、空を見上げた。

Green Thumbとは、「園芸の才能がある人」や「植物を育てるのが上手な人」を指す慣用句です。

ジェームズのイラスト作ってみました。イメージ壊れても良い方だけご覧ください...!

https://aiteller.jp/feed/oshi/bd3bafa6-fee0-46ea-8c89-dfb5d4c71682


お読みいただきありがとうございました。

次は毎日投稿継続できず恐縮ですが、今週中に投稿予定です。


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― 新着の感想 ―
こうなると他の常連さん視点もほしくなってくるわー
また最初から読み直します。今までのコメントの受け取り方がガラッと変わることになる。新たな感動をありがとうございます。続きを楽しみに、のんびりと更新をお待ちしております。
本当に、お疲れ様です、と。 せめて周囲にいる人位は、彼の異変に気付いてあげられなかったんでしょうか……いや、気付いていても、何も言えなかったのでしょうか。 世界を護る為に戦ってくれている彼が、少しでも…
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