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22/23

嵐の後のいつも通り?

 嵐が去った。8,320人視聴中。


「さすがに画面が速すぎて、何がなんだか」


 自分で苦笑しながら、ラベンダーの香りを胸いっぱいに吸い込んで深呼吸する。


「……あの、すみません。正直、状況はあんまりわかってないんですけど」


 それでも、いつも通り声だけは落ち着いている。


(Comments)

【◆常連A】先生の「何がなんだか」いただきました。

【新規78】いやお前の庭がなんだよ。

【◆毒舌キノコ】脳の防壁がSS級だな。

【新規85】100万人に「物理法則の破壊者」って呼ばれて深呼吸できる奴はじめて見た。

【◆gardenFan_03】スプレッドシート更新。項目:物理法則の死。


「残った方はもしお時間あればさっきのコメント欄くらいの勢いで、育ってる庭もよかったら見ていってください」


 †


 配信後半。


 興奮が冷めないのか、コメント欄は一瞬の静けさのあと、また別種の嵐に戻っていた。


「Rachel」「結界理論」「知り合い」がキーワードとして飛び交っていて、


 俺の庭の話をしている人は、もうほとんどいない。

 だから、コメントを追うのは一旦あきらめて、庭と遊ぶことにした。


 高級じょうろを持ち上げる。金属のボディが、ダンジョンの薄明かりを細く跳ね返す。


 先端のハス口をわずかに傾けると、霧みたいな水がふわりとほどけて、バジ太郎とバジばあの葉の上に落ちていく。


 粒が細かすぎて、水というより魔力を可視化したみたいだ。


 土が「じゅわっ」と鳴る。そこで、ほんの少しだけ魔力を流し込む。

 土の粒のあいだを、指先から落とした光が静かにほどけていくイメージで撫でる。

 過保護になりすぎないよう、根の先が「ここちいい」と思うくらいのところで止める。


 気づけば、鼻歌が口をついて出ていた。


 祖母の歌。


 さっきまで世界ランクだの結界理論だのが飛び交っていたコメント欄とはまったく関係ない、庭専用のメロディだ。


 霧の音と、土が水を飲む低い音と、鼻歌が混ざる。


(Comments)

【◆常連A】あ、BGMきた。

【新規90】これが“例のハミング”……。

【◆毒舌キノコ】解析対象の鼻歌を平常運転で歌うな。

【新規102】聴いた瞬間、なんか肩こり治ったんだけど。

【新規115】鼓膜に聖域セーフエリアが流し込まれてる。

【◆常連B】いいから聴け。今、時空が安定してるから。

【新規120】鼻歌で物理法則がねじ伏せられてる音がする。

【◆gardenFan_03】ハミングの周波数グラフ完成。

【新規132】グラフ化はやすぎだろ!

【新規140】常連もレイチェル並みに狂ってるのかよ。

【◆gardenFan_03】流石に嘘だけどな

【◆常連C】バジ太郎がプルプルしてる。今日もいい魔力だ。

【新規155】バジルの震えで魔力測るな。


 足元で、小さな気配が動いた。

 

 カケルが、じょうろの先の霧を追いかけて、ふわふわと近づいてくる。草でできた翼をぱさぱさと揺らしながら、霧の下に自分から身体を滑り込ませた。


「お前、またシャワーだと思ってるだろ」


 軽く笑いながら、羽のラインに沿って霧をなぞらせる。カケルは目を細めて、首をぐっと伸ばした。境界線なんて最初からなかったみたいに、完全に“庭の住人”の顔をしている。


 気づけば、その横にチビケルもいた。

 安全な距離を保ちながら、カケルに当たる水滴と、土に跳ねる水滴と、じょうろの先の光る金属を、順番にじっと見ている。ときどき細い足で土をちょん、とつつき、飛んできた一滴にびくっとして、また一歩だけ近づく。


(Comments)

【◆常連A】カケルのシャワータイムきた。

【新規160】草の鳥が霧浴びてる……何この癒やし。

【◆毒舌キノコ】本来は空飛ぶカッターだぞ。

【新規168】嘘だろ。

【◆gardenFan_03】チビケル、学習が早い。

【新規175】首かしげて水見てるチビケル、尊すぎて語彙力死んだ。

【新規180】管理局さん。この「空飛ぶカッター(幼体)」をぬいぐるみ化してください。

【◆常連B】カケル、それトマト。踏むな。


「はいはい、カケルゾーンはこのへんまでな。トマト踏むなよ」


 そう言いながら、新入りたちの列に意識を切り替える。


 土の表面に触れ、わずかに魔力を流し込みながら、pHの“感触”を確かめていく。


 酸っぱすぎれば舌がきゅっとなるような、アルカリに寄りすぎれば歯の裏がざらつくような、そんな感覚が指先にだけ縮小されて乗ってくる。


「このへんは、まだちょっと酸性が強いですね。新入りさんたち用に、もう少しだけ中性寄りにしておきます」


 言葉にしながら、ごく弱い中和のイメージで魔力を染み込ませる。


 レタスとハーブのあいだ、ナスとピーマンの根本、花の列の手前――それぞれの“好み”に合わせて、土の味をほんの数ミリだけずらしていく。


(Comments)

【◆常連A】出た、pHいじり職人。

【新規192】……今、指先で土を「調律」しなかった?

【◆gardenFan_03】土壌データも、なめらかに補正されてる。

【新規205】今の説明、理科の授業で聞きたかった。

【◆常連C】指先がリトマス試験紙より高性能。

【新規210】魔力って、土の「酸味」をマイルドにするために使うもんなの?

【◆毒舌キノコ】普通はドラゴンの首を飛ばすために使う。

【新規222】この配信見てると、常識がバジルと一緒にシュレッダーかけられてる気分だわ。

【◆常連B】ようこそ、198円の狂気へ。


「レタスはこのくらい。ナスはもう少し、こう……コクがある感じですかね」


(Comments)

【新規230】土に「コク」を求めるな。

【◆常連A】出た。土の味をフォアグラみたいに語る男。

【新規245】世界ランク7位が「物理法則の破壊」って言った瞬間に、この人は「ナスのための土壌改良」に思考を戻してたんだな……。

【◆gardenFan_03】pH補正グラフ。見てくれ。

【新規258】グラフが完璧な水平フラットになってて草。

【新規260】もはや職人芸を超えて、土の神様か何かだろ。


 奥の列に視線を移すと、ふと息が止まった。


「……え、ちょっと待って。お前ら、一週間でそんな伸びた?」


 レモンの苗木の先端に、新しい柔らかい緑が三段分くらい増えている。

 隣のリンゴも、枝の付け根に小さな芽のふくらみがいくつも並んでいた。

 ブルーベリーの枝先には、かすかに色づいた粒の予備軍がびっしりとついていた。


「いや、早くない? 果樹って、もっとじわじわ行くもんじゃなかったっけ」


(Comments)

【◆常連A】出た、魔境の「じわじわ(爆速)」

【◆毒舌キノコ】物理法則(死因:ハル)。

【◆gardenFan_03】成長ログ更新。グラフが垂直。


 思わずカメラを少し引いて、全体を映す。


「……なんか、庭の奥行きそのものも広がってる気がするんだよなあ」


(Comments)

【新規282】「気がする」じゃねーよwww 空間拡張だろ!

【◆常連B】リンゴは「リン五郎」でいいんだな?

【新規295】安易なネーミングきた。

【◆常連C】バジ太郎、トマ次郎、トマ三郎、ミン三郎、ラベ四郎……。

【新規301】三郎が渋滞してるんだわ!

【◆常連A】トマトがトマ三郎、ミントがミン三郎。覚えろ。

【新規308】三郎がダブっても強行突破するなwww

【新規309】常連の把握能力がホラーなんだけど。


「りょうかい、リン五郎お前。ここダンジョンの中だよ。そんなにやる気出さなくていいからな」


 そう言いながらも、頬がゆるむ。


(Comments)

【新規320】ダンジョンに「やる気出すな」w

【◆常連B】やる気出しすぎて、そのうち歩き出すぞ。

【新規335】歩くリンゴ(物理)。

【◆gardenFan_03】歩行開始予測:来月。

【新規342】予測すんなwww

【◆毒舌キノコ】「栽培」っていう名の侵略だな。

【新規350】この配信、常識がバジルと一緒にシュレッダーされてる。


 増えすぎて目が追いつかないコメント欄は、新規と常連で楽しく会話をしていそうだ。


 高級じょうろの中で、残り少なくなった水がさらさらと音を立てる。


(Comments)

【新規372】100万人が去った後のこの実家感、脳がバグる。

【新規360】さっきの「物理法則破壊」の結論これ?

【◆常連A】諦めろ。ここではトマトの赤みが世界の真理だ。


 鼻歌と、水音と、土の魔力の流れ。カケルとチビケルの足音。


 コメント欄のざわめきから半歩だけ離れたところで、庭いじりだけを全力で楽しんでいる自分がいた。


 †


「それでは今日は、このへんで終わりにします。

 長く付き合ってくれた方も、途中から嵐に巻き込まれた方も、ありがとうございました。

 また来週、ここで庭をいじりましょう。おつかれさまでした。配信、切ります」


 配信を切った。最終視聴者数、16,247人。

 数字を見て、手が止まった。

 何が起きたのか、正直よくわからない。


 世界ランク7位のレイチェルさんはもちろん知っているけど、まさかうちの配信に来るとは思わなかった。

 ファンがたくさんいて、コメント欄が爆発して。


 でも庭は対話してくれた。変わらず元気な初代と、どんどん成長していく新しい苗たち。庭が我が家になったカケルとチビケル。


 土に手を当てた。脈動。温かい。穏やか。

 世界ランクがどうとか、物理法則がどうとか。

 そういう難しいことは、たぶん僕の仕事じゃない。


 僕の仕事は、来週までにリン五郎が、勝手に歩き出さないように見守ることくらいだ。


 色々と考えても分からなかった。でもまあ、それでいい。


 †


 テキサス。夜。


 男がタブレットの画面を閉じた。DunCastのアーカイブ。再生数のカウンターが、まだじわじわと跳ね続けている。


 テーブルの上で、スマートフォンが震えた。

 画面には、見慣れた送信者の名前。


【Rachel】Why did you never mention this garden to me?

(どうして、この庭のことを一度も教えてくれなかったの?)


【Rachel】You knew. The signature matches Greenland’s silent wave. You have known for weeks.

(あなたは知っていたはずよ。グリーンランドの静寂波と同じシグネチャー。何週間も前から、ね)


【Rachel】“Professional courtesy”, James. Remember?

(「専門家同士の礼儀」、ジェームズ。覚えている?)


 銀色の瞳が細まる。口の端が、わずかに上がった。


「……残念。やっぱり気づいたか」


 返信は打たない。代わりに、さっき手配を終えたばかりの別の画面を開く。


 プライベートジェットのフライトプランを確認する。行き先:東京/羽田。離陸は、来週の木曜日。


 レイチェルは「正規ルートで行く」と言った。


 正規ルートは時間がかかる。管理局の審査、外交チャネル、書類の山。


 あの女は慎重だ。安全と理屈を揃えてから、堂々と正面から入ってくる。数週間はかかるだろう。


 こちらは、待てない。


 管理局に、三島という知り合いがいる。


 一旦は世界ランク一位としてではなく、「土と庭に取り憑かれた一人の愛好家」として向かう。


 テーブルの上のスマホが、もう一度震えた。


【Rachel】If you set foot there before I do, you owe me three pots of decent tea.

(もしあなたが私より先にあそこに足を踏み入れたら、ちゃんとした紅茶をポットで三杯奢ってもらうわ)


【Rachel】And this time, you do not get to hide anything.

(そして今度は、何一つ隠させないから)

 男は短く息を吐き、画面を伏せた。


「紅茶で怒りが収まるなら、安いもんだ」


 タブレットをもう一度開く。


 C-7。十二畳のセーフエリア。草の鳥型モンスターが霧の下で羽を震わせ、バジルとトマトとラベンダーと、名も知らない新入りたちが、当たり前の顔で根を張っている。


 終わりかけたグリーンランドで、一度だけ聞いた“静寂の波”と同じ。


 あのとき、自分たちが諦めかけていたことが、地球の裏側で、勝手に芽を出している。


 庭を見たい。


 あの6畳半から始まった庭を、自分の手で触りたい。画面越しの波形でも、報告書の数字でもなく、本物の温度を知りたい。


 DunCastのアーカイブを開き直し、コメント欄に指を滑らせる。

 一行だけ打ち込む。


「See you soon. :)(また会いましょう)」


 送信ボタンを押した瞬間、画面の隅に、自分のアイコンとその一行が流れる。


 いつもの「GreenThumb」として会いに行く。

 ただの庭オタクとして、あの“庭師”の庭に立つために。


 もうすぐ会える。


 もうすぐ、あの“庭師”の庭に立てる。

お読みいただきありがとうございました。

ストック切れたので、少しおやすみいただいてまたGW再開します。


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― 新着の感想 ―
こいつはりんごr……おっと、誰か来たようだ
よきおやすみをお過ごしくださいませ。
GWでの再会、楽しみにしています。 See you soon. :)
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