最終話
空が青く澄んで絹のように光っている。
どうやら窓際の椅子に座って眠ってしまっていたらしい。陽射しを手で遮り、ゆっくり深呼吸する。
「あらっ、アシュリーお嬢様、お目覚めになっていたのですか?」
荷物を抱えたロゼが扉を開けて現れた。
「……ええ、少しだけ夢を見ていたみたい」
「こんな特別な日に居眠りだなんて、アシュリーお嬢様は相変わらずマイペースですわね」
そう、今日は特別な日だ。
今日わたしとバージル様は結婚する。
「ふふふ、人はそう簡単に変わらないってことよ」
「あのお小さく可愛らしかったお二人が本当に結婚なさる日がくるなんて感慨深いですわ。私も年をとるはずです」
「ロゼったらまだ若いのにそんなこと言って……」
わたしとバージル様の結婚式のために家族が皆王都に来ているのだが、お母様の付き添いとしてロゼも連れてきてくれたらしい。姉のような存在であるロゼはまだ伯爵家の使用人として働いており、わたし達の結婚をとても喜んでくれた。
色々なことがあったが、全てこうなる運命だったのですねとしみじみ言われると苦笑いしてしまう。本当に色々なことがあった。
まさか、悪役令嬢だったはずのわたしがバージル様と本当に結婚してしまうのだから。
少しだけ夢を見た。
上も下もない真っ暗な空間にふわふわと浮かんでいると目の前に金色の装飾に縁取られた大きな姿見鏡が現れる。
不思議に思いながらそれに触れると、同じく鏡に触れているリリーが鏡の向こう側に立っていた。やはりリリーには特別な美しさがあるなと近くで見てより一層思う。
「今、幸せ?」
リリーの声が直接頭に響く。
今まで悪意のこもった目しか向けられて来なかったので、この少女は本当にリリーなのかと疑ってしまった。何の感情も読み取れない青く美しい宝石のような瞳が真っ直ぐわたしを見ている。
しかし、リリーを前に頷くのは躊躇われた。
彼女の罪は日を追うごとに明らかになり、わたしの全く知らないところでも好き勝手生きてきた彼女を恨んでいる人は多くいて、口に出すのもおぞましい内容の話も聞いた。
忠臣だと思われていた者までリリーを庇護していた調査の対象に上がり、まだ少女とよべる年齢のリリーの毒牙にかかって多くの人間が信義に反する行いをしていたと聞いた国王は、まるで国を苛む混沌の魔女のようだとリリーのことを述べた。
あと数年このままの状況が続いていたら国として機能しなくなり、転覆していたかもしれない。そう思わせるほどリリーの甘い毒は周りに影響を与え広がりをみせていたのだ。
「リリー、貴女はどうだった?」
「幸せになりたかった……」
瞬きをしたリリーの青い瞳が黒く変わり、金色の髪も黒色になる。
みるみるうちにスタイルの良かった身体が、小柄で痩せた少女のものに変化した。黒縁眼鏡をつけた陰鬱そうな表情をした少女がわたしを見上げている。きっとこれが日本人だった時のリリーの姿なのだろう。
「ただ愛されたかった……」
えんじ色の学校の指定ジャージを着た少女は、袖の部分で口を押さえながら吐露した。それがリリーの嘘偽りない本心だったのだろう。
許してはいけない一線を超えてしまったリリー。正直リリーには本当に苦しまされた。文句の一つでも直接言って、ぶん殴ってやりたいとも思った。それでも亡くなってしまったら罪を問うことに意味はない。
もっと何か出来たのでは? と考えてしまうのはわたしの思い上がりかもしれない。それでも何度も考えてしまう。
「止められなくてごめん」
リリーには腹が立ったがこんな結末を望んでいなかった。
「……ねぇ、これから、先の未来に何があるか教えてあげようか?」
質問にわたしは静かに首を横に振った。
もういいんだ。これから先の未来は今までと同じく自分で……そして伴侶となるバージル様と後悔しない人生を歩んで行きたい。未来に怯え、行動を制限せずにこれからもわたしは生きていこう。
「……ムカつく女。やっぱりあんた嫌い」
リリーは泣き笑いながら闇に溶けるように消えてしまった。
色々なもので武装されていたリリーの心に少しだけ触れた気がした。リリーは嫌がるかもしれないが、彼女は心の奥底に傷を残してわたしの一部になった。きっとリリーのことを一生忘れない。
「さぁ、ドレスに着替えましょうね。バージル様が隣室で首を長くしてお待ちですよ」
「冗談やめてよ」
「冗談じゃないですわ。バージル様ったらずっとそわそわしながらアシュリーお嬢様をお待ちなんですよ……花嫁に会いたくてしょうがないみたいです。はぁー、バージル様が作らせただけあってアシュリーお嬢様にとてもお似合いのドレスですね」
ロゼの言うとおりドレスはわたしよりバージル様の意見が数多く反映されていた。花嫁のわたしよりもこだわりが凄くて、わたしを抜きにしてデザイナーと何度も打ち合わせをしていたりと本当に驚かされる。
ぴったりフィットした切り返しのあるウェスト部分から程よくボリュームのあるスカートがふんわりと広がるプリンセスラインのロングトレーンドレス。背中のリボンとレースがとても豪華で思わず息を飲んでしまう美しさがある。
バージル様のおかげで女の子の憧れを集めたみたいに素敵なドレスが仕上がった。
ドレスに着替え、化粧と髪をセットしてもらう。
今日わたしはバージル様の花嫁になる。
全ての準備が整うとバージル様が室内に入ってきた。
「……アシュリー、私の花嫁。すごく綺麗だ」
わたしの手を取りながらとろんと表情を緩めて微笑むバージル様を見ると何だか気恥ずかしい。ロゼや他のメイド達もわたし達に気を使って素早く部屋を出て行ってしまい、室内は二人だけになる。
バージル様はとても素敵だった。
わたしの純白のドレスに合わせて白いタキシードを身に纏い、髪を後ろに流してセットしている姿はいつもより王子様感がアップしていて眩しい。
もう直視出来ないレベルまでいっているよ。
さっきロゼと昔話をしたせいか、幼かった頃のバージル様を思い出した。出会ったばかりの頃は子ガモのようにわたしの後をついて回っていたのに、今じゃ本物の王子様にしか見えないわね。本当に立派になられたわ。
バージル様を一人の男性として愛するようになるなんて、あの頃のわたしには想像も出来なかったことだ。
「愛している」
国王様の前で誓うより先に二人だけで愛を誓う。
「わたしも愛しています。二人で幸せになりましょうね」
これから先も色々なことが起こるのかもしれない。
それでも負けることなく生きていく。二人なら大丈夫よね?
わたしを熱心に見つめるバージル様の背後にぬるりと黒い影が現れる。床から炎のような揺らめきが立ちのぼり、天井に当たりそうになるくらい膨れ上がるそれを見ながらバージル様に抱き着いた。
怖いとかそんなんじゃなくて、こんな特別な瞬間に余計な観客はいらないもの。そしてバージル様の首に両腕を巻き付けてわたしからキスをした。
*END*
完結しました。
長い間お付き合いありがとうございます。