File11-2 ~見えないおもり~
「警備室に行って参りました!」
真面目そうな黒縁眼鏡をかけた若い刑事さん、貝崎幸晴刑事がそんな静かな部屋にやってきた。男性にしては長めの髪がピョンと揺れる。少し場の空気に押されていたようだが、構わず真井田警部に報告する。
「え~っとですね、藪塚さんがやってきたのは正確には11時6分のことでした。休憩室に1回入ってから廊下を右折。ちなみに防犯カメラは、『関係者専用』と書かれたドアの入ってすぐ上に設置されているもののみで、他のものは改装工事で電気が通らないらしく作動していませんでした。ちなみに改装工事の作業員たちは、『作業している近くまで来る人はいなかった』と言っておりましたので、バックヤードに入るには被害者の使用したドアから入るしかないと思われます」
「うむ、そうか。ありがとう、貝崎君」
「貝崎刑事!」
理絵花はまたも話に割り込む。
「廊下を右折した人は他にいなかったんですか? さっき見たけど、あの廊下を右折した先でやってる改装工事の傍まで行かなくても準備室には入れるでしょう?」
「あぁ……確かいたよ。一応後で不審な音とかを聞かなかったか質問しようと思って、時間とどんな人だったかメモっておいたんだよ」
貝崎刑事は手帳を取り出し、パラパラとめくる。
「まず、11時40分に女性――サイドテールにしている方が右折して、11時58分に左側からやってきて戻っていきました。次に12時13分に男性が右折して、12時30分に右側からやってきて戻りました。最後に13時02分にポニーテールの女性が右折して、13時18分に右側からやってきて戻りました。ちなみに今日の開店以降、休憩室より奥に行ったのは被害者が3回と最初に来た女性が1回、最後に来た女性が1回のみでした。そして皆さん、着ていた制服からして春見恵堂の人だと」
「じゃあ早くその人に話を聞いた方が良いんじゃない? きっと犯人はその3人の中にいるから!」
◇
やって来た男1人に女2人。男性の方は、銀縁眼鏡をかけて髪を七三分けにしている。エリート会社員か、真面目な学校の先生というところ。顔からして、40代後半だと思われる。女性の方は、1人は理絵花が被害者の方とデキてると言っていた人。ハンカチで目元を拭いながらそこに立っている。それはすなわち、理絵花の勘が当たっていることを意味しているのだろう。もう1人は30代くらい。尖った鼻や切れ長の目が、気が強そうに感じさせているがよく見れば美人だ。
「私たちが殺人の容疑者と、そういうことですか」
眼鏡の男がその眼鏡を指で押し上げながら言った。その仕草にすら、面倒だという感情がにじみ出ている。
「ホント、迷惑だわ。ただ仕事をしていただけってだけでなんでこんなことになったのかしら」
気の強そうな女が男に続いて言う。だが僕はその声に聞き覚えがあった。
「理絵花、もしかしてあの女の人――」
僕が小声で理絵花に尋ねると小さく頷く。
「ええ、あの時藪塚さんと口論していた女性。間違いないわ」
そんな中1番若い女だけは俯いたまま縮こまっている。彼女からは何か香水のような甘い匂いがした。すると真井田警部が3人に向けて話し出す。
「皆さん、申し訳ありません。ですが藪塚さんの死亡推定時刻にあの準備室の前を出入りしたのはあなた方だけ。よって藪塚さんの死が自殺他殺に問わず、あなた方の証言は非常に大切なのです。ご理解いただけますね?」
渋々3人は頷く。そしてまず例の女性の方を向く。
「まずはあなたのお名前と職業――はここの従業員でしょうから結構です。ではあとはなぜあの廊下を右折したのか、その理由をお願いします」
「名前は香川久未。あの廊下を右折したのは在庫の確認をしに。っていう建前で半分以上はメールとかをチェックしてたんです。ちょっと色々とあったのでね」
続いては順番からして唯一の男性に視線が移る。
「私は八町岳二という者で、ここの副店長をしております。あそこを右折したのは香川さんと同じく倉庫で探し物を。中は把握していますから、右のドアの方が左の方が目的のものを見つけやすいと思ったのであちらのドアから」
最後は最も被害者の死を悲しんでいるであろう女性。彼女の手の中にはまだハンカチがある。
「わ、わたしは藪塚莉奈。殺されたのは、私の夫でして――」
再び目元を抑える莉奈さん。抑えながらも話は続ける。
「あそこを曲がったのは夫がいつもやっているショーの準備を手伝おうかと。ノックしても返事がなかったので、別に要らないのかと思ってすぐに戻りました。すぐと言っても10分くらいはあの準備室の前で本当に要らないのか待っていたんですが……あの時はもしかしたらすでに……」
また彼女は下を向いてしまう。僕にはそれが本心なのか、それとも白々しい演技なのかそれを判別することはできなかった。
「分かりました。ではこれから個別にお話を聞いていきますのでまずは香川さんから――」
「香川さん」
莉奈さんがハンカチをギュッと握りしめながら呼び止める。そして目をキュッと細めると思いもよらぬ一言を投げかけた。
「あなた――じゃないんですか? 誠一を殺したのは」
「はぁ?」
香川さんが一気に莉奈さんに詰め寄る。莉奈さんの方は怖気付く様子もなくさらに続けた。
「だって誠一と付き合っていたじゃあありませんか、半年くらい。でも誠一はあなたを捨てて私と結婚までした。これほど充分な動機はないと思いますよ」
「はん、勘違いも良いとこよ」
香川さんも負けじと反論する。
「あたしに愛なんてもの、なかったんだから。それに気づいたからあいつはあんたと結婚したんでしょ」
「じ、じゃあなんで香川さんは誠一に……」
「栗川麻理香の自殺の真相を知るため、だろう?」
その問いにはただ傍観していただけの八町さんが答えた。
だが八町さんが発したその名前は香川さんだけでなく、莉奈さん、そしてそれを言った八町さんにさえ緊張を持たせた気がした。
「く、栗川――とは誰ですか?」
「前に春見恵堂で働いていた方ですよ、警部さん」
八町さんは真井田警部に説明するように言った。
「丁度1年前の今日、彼女は首吊り自殺したんです。遺書も残さずに自宅のアパートでね。あくまで噂ですが、理由は誠一君に捨てられたことじゃないかって。第一発見者も通報したのも彼ですからもし遺書があっても隠し放題ということですし。
ですから香川さんがその自殺の理由を知りたがってもおかしくはないってことです。だって栗川さんとは小中高とずっと一緒で可愛い後輩だったんでしょう? 家も近所だったと聞いてますし」
「ま、まぁね。マリちゃんが高2の時に彼女のお父さんが亡くなって引っ越すまでは。だからここで再開したのは運命だと思いましたよ。でもそう言う八町さんだって、マリちゃんとはなかなか親しげにしてたじゃない? 噂になってましたよ、もしかしたらマリちゃんを好きになっちゃったんじゃないかって。現にこの近くのレストランで食事してるのを見たって証言が何度かあったでしょ?」
「それはそうですが……」
「それにマリちゃんといえば莉奈さん、あなたよね?」
香川さんは莉奈さんを指さす。その右手の人差し指には絆創膏が巻いてある。
「マリちゃんと結構仲良くしてたわよね? 年齢も同じとかで。確か自殺直前にメールまでもらったんでしょう?」
「え、えぇ。でもそれには誠一は何も関係ない、自殺は母の後を追うためだ……みたいなことが書いてあったんですよ! だから八町さんや他の人が誠一を悪く言っても私は信じません。麻理香から直接遺書をもらったんだから」
「ま、それもあいつの捏造って噂だけど」
「とにかく」
収拾がつかなくなりそうになると、真井田警部は大声で止める。
「香川さん、あなたから個別に話を聞きましょう。それから貝崎。岩間に栗川麻理香さんの死について署に戻って調べてくるように言ってくれ。多分、現場にいるから」
◇
「岩間警部補!」
貝崎刑事が呼ぶと、岩間秋奈刑事は面倒くさそうにこちらに振り返る。黒いパンツスーツを身にまとった、ボブカットの女性。丸い顔に親しみやすそうな細い目が特徴だ。
「なんだ貝崎。お前は警備室に行ったんじゃないのか?」
「いえ、それが終わって真井田警部から伝言が。一旦署に戻って、去年の12月21日に自殺した栗川麻理香さんについて調べてきてくれないかと」
「そうか。現場もあらかた調べ終わったし構わんよ――だが」
岩間刑事は人差し指を貝崎刑事に向ける。
「その後ろの高校生たちは何だ?」
「え?」
僕の目の前に貝崎刑事の小さな目がきた。それは僕と理絵花を交互に比べ、ヒョロヒョロと動き続ける。そのまま3秒ほど経つと、貝崎刑事はぴょんと後ろに下がる。
「い、いつの間に! 全然気が付かなかったぞ!」
「真井田警部に言われてこっちへ来る時からずっと。理絵花が現場を見たいと言うんで」
「だ、だからと言って――」
「まあそう焦るな貝崎。ところでお2人さん」
岩間刑事がこちらに近寄りながら呼びかける。
「現場が見たいってことなら少し見せてやっても良い。そこのお嬢さんは江木畑の従妹らしいし、活躍は聞いている。私も少し頭を悩ませていたところだしな」
「本当に良いんですか、岩間刑事?」
「ああ。じゃあ貝崎、私の代わりを頼んだ。その自殺者のデータくらいなら誰だって見つけられるだろう?」
「別に構いませんが……この2人の捜査官のことは隠しておくことにしますよ」
そう言い残し、彼は来た道を戻った。
「ほれ、手袋だ。さすがに指紋をベタベタ残されたくはないんでね」
手袋をしながら部屋をぐるっと見回す。すでに遺体は運び出され、白い線だけがその面影を残している。そしてさっきはかなり暑かったこの部屋も、かなり涼しくなっている。ドアを開け放して、廊下とうまく中和させたのだろう。ここの主な家具は中央にどっしり構えている大きめの机、四方の壁に沿っておいてある棚、左の壁際に寄せてあるパイプ椅子2脚と2つのゴミ箱とヒーターのみ。準備するだけの部屋だからそんなに物はいらないということだろう。棚は半分くらいが大小様々な容器や電池、豆電球、釘、ガスコンロ、風船、クーラーボックスなどショーで使うであろう器具で埋まっている。僕はふと、棚のフックに掛かっている鞄に目がいった。
「この鞄、誠一さんのものですか?」
「ああそうだ。中身は財布、文庫本、カメラ、自宅の鍵、仕事の書類、ノートパソコン、タオル、着替え。ちなみに亡くなった時に持っていたのはスマートフォン、手帳、ボールペン、小銭入れ、首から下げる名札。手帳には折り目からして、長い間挟んでいたものがあったようなんだがそれがなくなっていたな。まあ藪塚本人がどこかへやったのかもしれないが」
犯人が盗んだのか? もしかしてそれが目的だったのだろうか。
「岩間刑事。色々ごちゃごちゃしてますけど、棚とか机には何か不審なものでもあったんですか? もちろん、洗剤の入れ物以外で」
理絵花は部屋を見渡すように聞いた。
「いや、特に何も。藪塚は店長の甲崎にどんなことをやるか書類を提出していたんだが、それに書かれた使用するもの以外は。あえて言うならその棚のフックに掛けてある藪塚の鞄と、机の上のクッキーと紅茶くらいだろう。ああそういえば紅茶から睡眠薬が検出された。いつもショーの後はそのマイカップで飲むらしいから、薬を仕込むのは楽だしそれを飲むのも確実だったろうな。もちろん、指紋は被害者のものしかなかった」
「なるほど。ということは犯人はそれによって寝ている藪塚さんの横でガスを発生させ、何か細工を施してから何食わぬ顔で戻ったということ。でもその細工が分からないんじゃね……」
理絵花は部屋をウロウロし始めると、歩くたびにコツコツと音が鳴る。僕が試しに壁を叩いてみると、同じような音が鳴る。つまり壁も床も同じようなもので、かなり頑丈にできているということだ。ドアも厚みがあり、少しの力では開けられなさそう。この部屋は気密性がかなり高いことがうかがえる。
「ドアは室内側に開くから外に何か置くだけじゃ密室は作れないしなぁ……」
「お、君もそう思ったのか江藤君」
岩間刑事が僕の呟きに反応した。
「外に開くなら、外に重い段ボールでも置いて密室は作ることはできる。だがそんなに単純な話ではない」
「そうですよね。内側に重いもの置いたらそもそも自分が出れないし、藪塚さんにどかされて終わり。というより、遺体発見時にはそんなものありませんでしたし。見えないおもりでも置ければ良いんですけどね」
「あぁそう――」
「きゃっ!」
岩間刑事の声はそれにかき消された。何事かと思えば、理絵花が足元のゴミ箱につまずいたようだ。中身が散らばっている。
「理絵花大丈夫か?」
「ええ。ちょっと何か閃きそうだったんだけどね。あ、ごめんなさい岩間刑事。ゴミが散らかっちゃいましたね」
「別に調べ終わったし大丈夫だろ――ん?」
岩間刑事が拾ったのはやけに潰れたカン。強くねじったのか、書いてある文字が読みにくいほどだ。
「こんなにしなくても良いだろう――というよりこのゴミ箱、『ショーのごみ』って書いてあるけどこんなカンを何に使ったんだ?」
「さあ。でも現場は保存しておかないと。――ってどうかしたの理絵花?」
珍しいものでも見るかのように、理絵花はそのカンに見入っている。すると突然、
「そうよ、犯人はこれを使って密室を――内側に重いものを置いたのよ。だからあれは――」
そしてフフッと笑った。
「サヤ姉ちゃんに話を聞きに行きましょ。きっと何かわかるはずだから」




