File9-2 ~死体と5年前の謎~
「ちょっと慎一郎! 行ってくるから、ゴミ捨てよろしくね!」
母は玄関から僕に呼びかけ、どこかに行ってしまった。僕は布団の傍の目覚まし時計を見る。そいつは12月15日の午前7時32分を示していた。渋々布団から起き上がると着替えて、玄関にまとめられた燃やすごみのゴミ袋を抱え外に出る。家の目の前の公園を突っ切る方がゴミ捨て場にわずかに近いので、公園を通る。
ふと、ベンチでぐったりと寝ている男が目に入った。
僕は彼に近づいてみる。
「え?」
顔からは血の気が引いており、鼻のすぐ傍にあるほこりが全く動いていない。
ブランと垂れ下がった手も、動く気配がない。
僕は急いで救急車と警察を呼んだ。
◇
「おや、君かい。警察を呼んだのは」
そのスラッとした長身の人は真井田淳介警部。以前ルミナスランドで起きた事件で出会っている。
「あら、やっぱり江藤君じゃない!」
さらに少年のような声が後ろから聞こえた。やってきた男とも女ともとれそうな刑事さんは、江木畑紗也子刑事。理絵花の従姉であり、彼女ともルミナスランドの事件で出会っている。
「じゃあ江木畑。事件の概要を話してくれ」
「あ、はい。え~被害者の名前は村杉育也さん、33歳。中泉学院や海夕原高校で非常勤講師として働いていたようです」
中泉学院と言えば理絵花の通う高校だ。もちろん、江木畑刑事も気が付いているとは思うが。
「あのブランコの柵に血痕が付着していたので、おそらくあれに頭部を強打したものと思われます。頭部の傷とも一致しましたし。そして犯人が去った後、もうろうとした意識であのベンチまで歩き、力尽きたといったところでしょう。死亡推定時刻は今日の午前0時ごろです」
「事故――なのか?」
「いえ。その可能性は低いと思います。靴が滑りやすいものだとか、地面が湿っていたとかもないですから」
「なるほど。つまり彼は誰かに突き飛ばされて、あの柵に強打した。でもその突き飛ばした相手は何もせずにその場を立ち去ってしまったということか。では江藤さん。あなたの話を聞かせてください」
真井田警部は僕の方に向き直った。
「はい。といってもゴミ捨てのために公園を通ろうとしたら、あの人がベンチで倒れていたってだけですので……」
「そうですか。では今日の0時ごろ、何か物音を聞いたりしませんでしたか?」
「いやぁ、特に何も。こんなちっぽけな公園、真夜中には人なんて誰も来ませんし特に注意している訳でもないですからね。何か特別大きな音でもすれば別ですが」
結局その後、色々と面倒なこともあったが家に帰してもらえた。まあ、家は現場の目の前なんだけどさ。母にも連絡したが、別に用事を中断してまで帰ってこようとはしないらしい。
◇
「あ、もしもし理絵花?」
僕はその夜、理絵花に電話をかけた。事件のことを洩らすのもどうかと思ったけど、理絵花なら良いよね?
『あら、慎ちゃん。どうかしたの?』
僕は一呼吸おいてから話す。
「実は事件があったんだよ。中泉学院の先生が……」
『村杉先生のこと? もう友達から聞いちゃったわ。でもまさかそんなことになるとは……』
理絵花は声のトーンを落としながらも、あっさり答えた。
「なんだ知ってるのか。実は僕が第一発見者でさ……」
『え、そうなの? そりゃ大変だったわね。実は少し前にサヤ姉ちゃんから電話がかかってきたのよ。事件のあった昨日、何かなかったかって』
「それで、なんて答えたの?」
『それがあったのよね。気になる話をしてたのよ……』
理絵花が語ったのは、殺された村杉さんがテスト返却の日に話していたことらしい。何やら不思議な夢を見たとか。
「……ふぅん。夢で拾った宝石ねぇ。でもそれが何なの?」
『もう、勘が悪いわね。この間映画に行ったでしょ? その時確かちょっと話してたじゃない! 雪美条市で起きた宝石強盗のこと!』
僕は言葉が出てこなかった。
◇
「それって……」
『ええ。中泉学院の傍にある宝石店の強盗事件ね。さっきも同じ話をサヤ姉ちゃんにしたら、事件のことをこっそり教えてくれたのよ』
……それって江木畑刑事が情報を漏えいさせたってことじゃないのか? そんなことをしでかしちゃって彼女は良いのだろうか。どれだけ日野田理絵花という人物を信じているんだか。
僕がそんなことを考えてるとも知らず、理絵花は続ける。
『詳細なことは分からなかったらしいけど、ざっくりした内容は教えてもらったわ。慎ちゃんにも教えてあげるわね』
「う、うん……」
僕はそんなことで、おそらく洩らしてはいけない情報を聞くことになった。
今から5年前の12月9日、午後11時ごろ。榊田宝石店というところに2人の強盗が入った。当時店には誰もおらず、2人の強盗犯はショーケースを割って200点余りの宝石を盗みだして逃走した。そのわずか1時間後、近くで男が車にはねられ死亡する事故があった。目撃者の証言から、その際はただの事故だと思われていた。しかし警察の調べでその事故死した男は、前々から指名手配されていた青葉桐人だと判明。すぐに榊田宝石店の強盗犯は彼であったことまで突き止められた。だが不可解なことに、青葉は事故死したときに盗み出したはずの宝石や、それを入れたはずの鞄などを所持していなかった。当時の見解としては、青葉とともに指名手配されていた仲間の中松房生が持ち逃げしたのではないこということだった。
しかし翌日の10日の昼頃、中松は自宅のアパートで首を吊っているのが発見された。第一発見者は家賃の催促に来た大家。死亡推定時刻は青葉が死んだ30分後。自殺か他殺かは不明だが、足元にはワープロ書きの遺書が残されていた。そしてそれにはこう書かれていた。中松は青葉とともに宝石店に入り、宝石類を盗み出して逃走。その後、逃げた先で分け前に関して青葉と言い争いになってしまった。中松が刃物を取り出して脅すと、驚いた青葉は逃走し、そのまま事故死。そのせいでパニックになってしまった中松は、宝石を近くの公園の砂場に一旦埋めたのだが、罪滅ぼしのために自ら命を絶った――
しかしその埋めたと書いてあった砂場に、宝石の鞄はどこにもなかった。このことから金目当てで市民が宝石をネコババをしたのではと考えられている。
「……確かに村杉さんの見た夢と似てるね」
『ええ』
理絵花は結構強い口調だ。
『村杉先生が言っていた『この頃』ってことも『同じ日に本当にあった』ってことも両方合致するわ。だから村杉先生は宝石を本当に拾ったんじゃないかしらね。でも――』
急に電話口が静かになる。
『でも、1つだけ合わないことがあるの』
真剣な声が僕の耳に響く。
『村杉先生が当時住んでたのは美霧日市、春紅町。でも榊田宝石店や青葉桐人の事故現場、中松房生のアパートもみんな雪美条市、楠鳩町。その2つの町を行き来するにはどんなに急いでも片道1時間半はかかるの!』
「――それがなんなんだ?」
僕には意味が呑み込めなかった。少し考える必要がありそうだ。
『良い? よく考えてみて。村杉先生の拾った宝石が、青葉たちの盗んだものならそれは楠鳩町から春紅町まで移動したってことよね? わざわざ片道1時間半をかけて。でも、それはあり得ないって言いたいのよ!』
う、うん。それはきっとそうなんだろう。でも……それがどうあり得ないんだ?
しばらく僕が無言で考えていると、再び電話から声がした。
『よ~く考えてみて。誰が運んだのかを』
可能性として挙げられるのは強盗犯本人の、青葉桐人か中松房生。事件の1時間後に事故死した青葉には、片道1時間半のところに行くことさえ不可能。事件の1時間半後に自殺した中松房生は、行くことはできても自分のアパートで自殺することは不可能。ってことはやっぱり……
『わかった? 青葉と中松は、犯行に他の仲間を加えようとはしなかったようでね。つまり、どうあがいても宝石を春紅町に運ぶのは不可能――に見えるわ』
僕は理絵花の不敵な笑みを浮かべた顔を容易に想像できた。
◆
ピンポーン
柳野家のチャイムが鳴ったのは夜8時頃。1人でコンビニで買った弁当を食べようとしていたのはここの主人、柳野和繁だ。和繁は億劫そうに応答する。
「誰ですか?」
和繁がそう言うと、予想もしなかった答えが返ってきた。
「雪美条警察署、刑事一課強行犯捜査係の真井田淳介と申します。柳野里実さんはご在宅でしょうか」
かっつりした感じの声が和繁の耳に入る。
「いや、妻は昨日の夜、どこかに出かけたまま帰ってこないんですよ。心配するなという内容のメールは来たんですがね」
「そうですか……ご主人にも少しお聞きしたいことがあるので出てきてもらってもよろしいでしょうか?」
和繁は渋々玄関のカギを開ける。そこに立っていたのは真井田と思われる男の刑事と、後ろに立つ小柄な刑事。男性? いや、女性か? だが、そっちの刑事が話そうとする気配はない。真井田の方が写真を取り出した。
「この方、ご存知ですか?」
そこに写っていたのは眼鏡をかけたさえない男。だが、和繁には見覚えがあった。
「ああ。妻の元夫だ。確か杉村……いや、村杉といったかな」
「ええ、その通りです。実はこの村杉育也さんが今日、音呂部町の公園で殺害されているのが発見されましてね」
「ほぉ」
和繁は平静を装った。この先の展開が読めてしまったからだ。
「つまり、私の妻を疑っているわけですね? 里実と村杉との間に何かあって、里実は村杉を殺してしまったと。確かに里実が離婚したのは12月、つまりこの頃だが、もう5年だ。里実が離婚してから5年も経った今、わざわざ事件を起こしますかねぇ」
口調は抑えたつもりだったが、つい乱暴な口調になりそうで和繁は気が気でない。
「ですがね、和繁さん。あなたも動機は……」
「ええ、確かにありますよ。俺は夫のいた里実に手を出したさ。つまり、俺を恨んだ村杉が殺そうとしてきたとことを逆に殺っちまったって考えてるんだろ! ――失礼。つい……」
真井田は表情をほとんど変えない。後ろの刑事はちょっとビビってるようだが。
「なんならアリバイでも話そうかい? あ、でも村杉が死んだのはいつなんです?」
「昨夜12時ごろ――まあ今日の0時とも言いますが――その時間です」
彼はまるで聞かれるのを予測して待っていたかのように答えた。
「ふん、そんなのある方がおかしいわ。多分風呂入ってたさ。ついでに言っとくと里実が家を出たのは夜の10時半ぐらい。夜12時にはこの蒼園町から音呂部町まで、余裕で行けるだろうよ」
そう言いながら和繁がドアを閉めようとしたとき、真井田はガッとドアをつかんだ。
「では、最後にお聞きします」
仕方なしに真井田の方を向く。
「村杉さんと里実さん、お2人の離婚原因は……」
「里実の俺との不倫だよ! 色々とごたごたして、村杉と別れようとしなかったんだがあの年の12月、なんとか離婚できたんだよ!」
和繁は乱暴にドアを閉めた。
ドスドスとダイニングに戻ると、テレビのニュースで丁度例の話をしている。
『今朝7時ごろ、雪美条市音呂部町の音呂部西公園で男性の遺体が発見されました。男性の名前は村杉育也さん、33歳。市内の高校で非常勤講師として働いていました。警察は殺人事件として……』
ピンポーン
再び耳障りな音がして、ニュースの音を遮った。和繁は舌打ちしてからインターフォンの受話器を取る。
「なんなんすか! 俺だってそんなに昔のことを話したかないんですよ!」
和繁は大声で受話器に向かって叫んだ。すると聞き覚えのない声が返ってきた。
「す、すみません、柳野さん。さ、最後に1つだけ教えてください。村杉さんと里実さんが別れたのは『ごたごた』が解消されたからなんですよね? それについて聞かせてください」
その声は多分、さっき後ろにいた刑事だろう。和繁はそう思った。不安になっていることが伝わってくるような声を、真井田は出さないだろうし。
「ま、良いさ。その勇気に免じて教えてやらぁ。ごたごたってのは慰謝料とか金の問題だよ。そのせいで離婚の話は結構前から俺と里実の間では持ち上がってたのに、なかなか別れなかったんだよ。俺のことはひた隠しにしてな。ま、実際奴は離婚直前まで俺との浮気に気が付いてなかったようだし。でも5年前の12月――急に何の前触れもなしに、踏ん切りがついたって言って離婚したんだ。どうやって工面したかは教えてくれなかったけどな。
ほい、これで良いかい? 刑事クン?」
「……ええ。ありがとうございました」
ようやく警察が帰った。テーブルの上のコンビニ弁当は置きっぱなしだったので、若干冷めている。
ピロリン
和繁が食べようと箸を持った瞬間、スマホが鳴った。どうやらメールが来たようだ。差出人は柳野里実となっている。
『明日の午前11時に楠鳩町の藤巻ビルの屋上に来てくれない? 住所は……』




