File7-3 ~サイン本の在り処~
事件関係者
・塀島 友邦(34) 雪美条高校図書室司書
・背山 司(54) 雪美条高校 用務員
・鹿原 泰斗(18) 雪美条高校3-B
・帯川 詩央里(17) 雪美条高校3-A
・小口 和花(16) 雪美条高校2-D
~雪美条高校2号館2階 図書室周り~
「つまり犯人は……」
彼女は指をとある方向へ向けた――
「え、ちょ、ちょっと待ってくれよ。なんで私なんだい?」
「こうなるともう可能性は1つ。塀島さん、あなたがあのサイン本を持ち出したんです」
塀島さんの顔を見ると目を丸くしている。フッと笑い、名瀬さんは説明を始めた。
「容疑者として挙がるのは背山さん、小口さん、帯川さん、鹿原君の4人。では1つずつ可能性を確認しましょう。まず、小口さんは言うまでもありません。本を隠す暇がないんですから。
では他の3人はどうでしょう? 彼らにはなぜさっさと逃げなかったのかという疑問が残ります。そこにいなければ、どこかに逃げた可能性を後から犯人を捜しに来た人たちに示せるのに。まあでも多少可能性は残りますので保留としておきましょう」
名瀬さんは立ち上がって、ホワイトボードにこの図書室周りの簡単な見取り図を描きつつ言った。4人のいた場所も書いてある。
「でも最もしっくりくるのは塀島さんが盗んだ場合なんです」
名瀬さんがぴしゃりと言い放つ。
「今日はもう1人の司書の本所がいませんでしたから、今日犯行を実行する予定だったんでしょう? できるだけあの本を気にする人が少ない方が良いですからね。おそらく計画ではトイレに行くふりをして抜け出し、どこかに隠してから堂々と戻ってくる。そしてその時点では本が無いことに気が付かないふりをしておくつもりだった。そうすればいくらでも犯行可能時間は広められますからね。でも無いことに早々と十田君が気付いてしまった――そのせいで犯行可能時間はトイレに行っていたことになっている15分。詳しく調べればわかってしまうかもしれない。でも幸運だったのは直進するルートは帯川さんと鹿原君がふさいでおり、右に曲がるルートでは背山さんがいたこと。誰かしらに誰も通っていないことを証言させれば良いんですから」
「ちょっと待つんだ名瀬さん」
塀島さんが名瀬さんの話を強めに止める。
「仮に私が犯人だとしたら、本をトイレに行くと言って持ち出す時に背山さんか鹿原君と帯川さんの2人のどちらかに見つかるんじゃないか? 彼らは本が無いのに気が付いた30分前、つまり私がトイレに行った時にはすでにいたんだから」
確かにそうだ。塀島さんがトイレに行った15分間は彼らがそこにいたと証言する時間とかぶっている。が、名瀬さんはニヤリと笑う。
「ええ、もちろんそうですよ。背山さんは塀島さんのこともしっかり確認しているんです。でもあなたは背山さんに話を聞くときにうまいこと誘導させて自分の名前を出させないようにしたんです。確かこんな風に尋ねていましたよね?『ある人を追っている。誰かが怪しい奴がここを通らなかったか』というように」
塀島さんの表情が少し歪んだ。
「『追手』が『追われている人物』である、つまり尋ねてきた『塀島さん』が『追われている人物』であるなんて思わないはずです。現に背山さんはうまくその誘導に乗りました。問いの答えは『誰も通っちゃいないよ』でしたから。それからあなたは『怪しい奴』という言い方で保険をかけました。他の人に聞いたときの『誰か通らなかったか』という聞き方に対して、背山さんに聞いたときの『怪しい奴が通らなかったか』。背山さんにとって塀島友邦という人物は怪しい人であるはずないんですから、これでほぼ確実に『誰も通っていない』という答えが得られます。いかがですか、塀島さん」
名瀬さんは塀島さんの方をじっと見続けている。だが、それは人を追い詰めるような目ではない。どこか温かみの残っている目だ。
「……私は正直、塀島さんがこんなことをする人ではないと思っているんです。何か――何かそうせざるをえない事情があったんじゃないですか?」
その彼女の言葉に何かを感じたのか、塀島さんは下に向けていた顔をゆっくり上げた。
「実は――私の姉が重い病気でね。忙しかった両親に代わって私を育ててくれた姉――その姉のためにと思ってね……。治療に結構かかるんだ。だから余村さんがあの本をくれたときチャンスだと思ったんだよ。これをなんとか手に入れて治療費に――ってね。だから……」
◆
ピンポーン
昔ながらのインターホンの音が鳴り響く。やがてガサゴソと動く音がしてドアが開く。そして白髪の混じった頭を掻きながらそのお婆さんは来訪者の顔を眺める。
「……おや、塀島さんじゃあないかい。今日はいったいどんなご用事なだい?」
「実は先日余村さんが寄贈してくださった本のことなんですが……」
「あぁ。あの東倉昌史のかい? まぁ入んなさい。ちょっと今来客中で……」
そう余村が言いかけると奥からスリッパの音を響かせて1人の若い女性が歩いてくる。大学生か社会人1年生といったところだろうか。だが、こんな隠居した本好きのお婆さんの家に何の用なんだ? と塀島は思った。が、そんな塀島のことも気にせずその女はスリッパを脱ぐ。
「余村さん、今日はありがとうございました。お聞きしたいことは全部聞けましたのでこれで失礼します」
「おや、もう良いんですか? もう少しお話しても…」
「いえ、大丈夫ですので。今日はありがとうございました」
そう言いながらその女はそそくさと靴を履いて、出て行ってしまった。
「あらあら、随分とそそっかしい人。さっき来たばっかりというのに」
「どういう人なんです?」
塀島が聞くと余村はあっさり答える。
「ほら、この間亡くなった灰川降子って小説家がいるだろう? あたしと灰川はちょっと関わりがあったんだが、そのことについてしきりに聞いてきてねぇ。何かもらったり、聞いたことはないかって。でもあたしもただの1人の読者ってだけで、親しかったのはむしろ彼女のお姉さんなんだが……ってまあそんな話はどうでもいいね。塀島さん、今度はあなたの番だよ」
塀島はダイニングらに通される。テーブルにはまだ湯気の残った紅茶のカップが2つ置いてある。片方はほとんど減っていない。
余村はそれらを片付け、新たに淹れなおした紅茶を塀島の前に出す。
「それで一体どんなことを話すんだい、塀島さん?」
年の割に衰えていない余村の鋭い目線が塀島を包む。
「……単刀直入に言います。あの『消えない絆と謎解き』を譲ってもらえないでしょうか」
余村は一瞬驚いたような表情になったものの、再びさっきまでの穏やかな顔に戻す。そして手を前に出し『続けて』と暗に言った。
「余村さんはご存知ですよね。私の姉の花江のこと。実は姉の病気の治療費に困っているんです。昔から私のことを養ってくれた姉のことを思うともう、居ても立っても居られなくなってしまって――」
「良いわ」
余村は何1つ表情を変えずに言い放った。
「持って行きなさい、あの本を。売ればそこそこの値になるでしょうしね。あたしが人の命を見捨てるような人だと思った? あなたには雪美条高校では世話になったしねぇ。お姉さんのこと、大事なんだろ?」
塀島は大きく頷いた。それを見た余村はフフッと笑う。
「だったら良いさ。あたしは時々考えるんだよ。趣味で集めたこの本たち、あたしが死んだらどうなるんだろうって。あたしの家族はもうほとんど死んじまってるから、相続させる人がいないんだよ。それなら手っ取り早く役立てた方が良いんじゃないかって最近思ってんのさ。さ、話がそんだけならお行きなさい」
◆
その後、塀島さんのお姉さんの手術は無事成功して順調に回復しているそうだ。
そしてあの本は結局盗まれたことになっている。誰に盗まれたかって? さぁね。本と一緒に消えちまったよ。




