4 副頭領
ファルシオンの飛空艇内は4層構造である。
一番下は水や食料などの貯蔵庫。二層目は厨房や食堂などの共有スペース。三層は乗組員たちの寝床が詰め込まれ、一番上の四層には舵機室、作戦室、それから頭領と副頭領の部屋がそれぞれ小さいながらも用意されている。
トキの部屋はどこかというと、その何処でもないとしか言いようのない微妙な場所にある。
飛空艇の構造上、中心よりやや後ろに動力部となる魔水晶が存在するのだが、この動力部が二層と三層を跨いであるものだから、機関室もそれに合わせて設計されており、後ろ上辺に屋根裏部屋とでも呼ぶべきデットスペースが生まれている。もともと武器庫として使用されていたが、あまりに使い勝手の悪い場所にあるため普段使用しない物を放り込む物置部屋と化していた。
しかし普段利用しないのを良いことに、頭領がこっそり無駄なモノを溜めこんでおく温床となっていたため、トキが埃を被った何に使うかも分からない物たちを整理し、ちゃっかり一人部屋を確保したのだ。
そのためトキの部屋は、三層の斜め上、四層の斜め下、後部端の屋根裏部屋と言うのが正しい。
ただの会計係が一人部屋を確保しているという点に関して、他の仲間たちから苦言が挙がることはまずない。場所が不便なことや天井が低いこと、元が倉庫なだけに汚いこともその理由ではある。だがなにより、動力部とその機関室に隣接しているため、そこから伸びたパイプのような伝動管がそこかしこに張り巡らされ、常に振動音が響いているのだ。
耳を塞ぎたくなるような騒音ではない。しかし地味に一定に繰り返される振動音を好き好んで聞いていたいと思うような人間はそういないだろう。
だがトキは人間は慣れる生き物だと知っていた。それに、機械のような騒音と振動は、魔獣に比べればトキにはまだ馴染みがあった。
(高架線下で暮らしていた頃を思えばマシだな)
日常の中に溶け込んでしまえば、その音も振動も、存在さえも無いものとして気にならなくなる。慣れとは恐ろしいものだ。しかしだからこそ、トキはこの世界でも生きてこれたのだと思う。
そんな飛空艇内でも一番奥にあると言っても過言ではないトキの部屋の前で、気だるげに壁に寄り掛かったファルシオンの副頭領が苦い顔をしていた。
「資金繰りが厳しいなら俺に言えって」
そう言って副頭領――ヴェレは決まりが悪そうに顔を逸らしながら、火がついたままの煙管を手の中で弄んだ。
そんな副頭領の姿を、行儀悪くリフト(トキの部屋は三層より上にあるため入口はリフトがかけられている)にへばり付く様に腰かけたまま、副頭領よりやや高い視線でトキは見下ろしていた。他の盗賊団はどうか知らないが、一般的に上司にあたる人物に対して随分な態度である。だが、頭領が会計に殴られる光景が当たり前となっているファルシオンでは別に珍しくもない光景であり、トキもまた態度はともかくヴェレに対しては頭領と比較にならないほど尊敬していた。
頭領であるグレイブより二つほど年上であるヴェレは、名目としては副頭領であり、参謀役と名乗ってはいるが、実質はファルシオンのまとめ役だ。
トキの様な若い者から老齢な者まで多種多様な団員がいるファルシオンでは、グレイブもヴェレも頭としては若すぎる。それでもファルシオンの統率力が各国の新鋭隊に劣らないのは、ひとえにヴェレの指揮能力の高さからだ。
黒い髪に少したれ目がかった切れ長の紫目が特徴のヴェレは、街に出れば女性が放っておかないような外見ではあるが、グレイブと違って仕事には真面目だ。むしろ頭領の尻拭いとして日々必要ない頭痛の種を植え付けられている苦労人でもある。
そんな副頭領だからこそトキはヴェレを絶対的に信頼していたし、ヴェレもまた職務に忠実な会計係を頼りにしていた。そしてなにより二人はある一点において類稀ない同士だった。
そう、――頭領の教育係として。
「副頭領の手を煩わせるわけにもいきませんから」
「まぁ確かに、アイツに仕事させるのには骨が折れるがな」
ヴェレはそう言って煙管を吸うと、溜息と共に煙を吐き出した。
トキはゆらりと流れていく白い紫煙を目で追いかけながら、前回の仕事がいつだったかを思いだそうとした。それが赤黒い小さな太陽が空を50周通り過ぎるより前だったと思い当たると、トキもまたうんざりとした顔で溜息を吐くより他なかった。
(あの人は気まぐれすぎる……)
ファルシオンの仕事は不定期だ。盗賊なのだから定期的にしろという方が無理なのだが、それにしても仕事の間隔がランダム過ぎる。
原因はもちろん頭領だ。
自由気ままに生きているファルシオンの頭領は、自分の気が向いた時にしか仕事をしない。そのせいで七日間連続で働かされたと思えば、半年近く空の上で酒を飲んでるだけだったりということもあった。
計画的にお金を管理している会計係にしてみれば非常に厄介な上司なのである。
ずいぶん前のことだが、ついに収入0の状態に痺れを切らしたトキが、「仲間を飢えさせる気か」と算盤を振りかざしながらグレイブに詰め寄り、赤字を回避したことがあった。
以来、仕事開始の合図は頭領ではなく会計係になっているといっても過言ではない。
「いつもすまねぇな、トキ」
「いえ、悪いのは全て頭領ですから。でも、副頭領は頭領を甘やかし過ぎです」
トキが憮然とした顔で言った。
そもそも、この盗賊団で仕事以外で全く働いていないのは頭領だけである。
さぁ、仕事をしよう。と言って、突然やれるほど盗賊の仕事は甘くない。待ち伏せしているだけの山賊とは違うのだから下調べや準備だって必要だ。ファルシオンでは頭領が残念な分、副頭領のヴェレが常にそういった準備をしている。グレイブが「やる」と一言口にすればすぐにでも仕事に取り掛かれるように。
「以前、盗賊の仕事は生モンだ。とおっしゃたのは副頭領です。それなのに下準備だけはいつも完璧にして、その機会が来ても見逃してしまうのは何故ですか? 今回も私が言わなければ結局下準備だけで終わっていたと思いますが」
「俺は舞台を整えるだけだ。その舞台に物語は用意していない。始まりも終わりも、全てはアイツの意思に任せてある」
「あくまで、あの木偶が全てを決めるとおっしゃるのですね」
直接的なトキの言葉にヴェレは思わず苦笑を零す。
それからくるりと器用に煙管を回してみせると、切れ長の目をいっそう細めてトキを見据えた。
「トキ。お前、アイツが嫌いか?」
その言葉にトキは首を竦めて、小さく首を振った。
「私は頭領が嫌いな訳じゃないんです。仕事をしない男が嫌いなんです。家族を犠牲にして、自分だけへらへら笑って生きてて……」
途切れた言葉の続きを探すように、トキの視線は下を彷徨う。
そしてトキは酷く疲れたような声で言った。目元は俯いた前髪に隠れて見えなかった。
「……そういうの。すごく、嫌なんです」
――コン、とヴェレの持つ煙管の背が固い音を立てた。
手慰みにされている煙管は、その器用さが不気味なほど灰が落ちない。
「――トキ、」
ヴェレが呼んだ。この世界では馴染みない音による名を。
ヴェレは覚えていた。三年前、それが衰弱した子どもの言葉で唯一理解できた音列であったことを。
ヴェレは知らない。トキが自分たちの知らない言葉しか持たなかった理由を。
だが、ヴェレは確信している。頭領が拾ってきた子どもを家族に迎えた判断の正しさを。
「俺たちは盗賊だ。誰がどんな言葉で飾ろうとも所詮、手の汚れた薄汚い泥鼠でしかない。だが、ただの盗賊団じゃない。空の盗賊団だ」
ヴェレの言葉の真意を探るように、トキは顔を上げた。
まだあどけなさの残る漆黒の目が不思議そうに瞬くのを見て、ヴェレはにやりと笑った。
「俺たちに地上の法は関係ない。それが全ての答えだよ」
そう言って手を伸ばすと、トキの頭をくしゃりとかき回す。猫のように首を竦めて戸惑うトキを宥め、彼にしては奇跡的なほど稀な柔らかさで微笑んだ。
「いつかお前も、アイツがこのファルシオンの頭領である理由が分かる時がくる」
そう言っていつも通りの憮然とした表情に戻ると、ヴェレは踵を返して入り組んだ通路の向こうへと消えてしまった。
(胡散くさい……)
後に残されたトキは、苦虫を噛み潰したような顔で、消え去った上司の姿を見据えていた。
尊敬はしてるが、人を食うような人間とは副頭領のことを指すのだとトキは思っている。無駄に整った顔をしているから余計そう思うのかも知れないが、ヴェレが笑う時はどんな笑い方であっても腹に一つや二つ、余計な考えがある時だとトキは経験上知っていた。
(面倒くさい……)
もう一言。心の中でそう呟いて、トキは部屋に戻るためにリフトを握りなおした。
明日の夜には一仕事だ。トキには直接関係のないお仕事だが、参加しなくても無関係ではない。トキにだって分かっていた。自分がこの世界で生きていられるのが誰のおかげか。自分が何の罪悪感もなく悪事に手を染めていられるのは誰のせいか。
それでもトキは知らない。知らなくて良いと思っている。
自分は与えられた仕事をこなすだけ。そう信じているから。
誰もいなくなったリフト下の周囲には、燃え尽きた煙草の焦げ臭さだけが微かに漂っていた。