40.最後の化石、用意された答え
青銅色の霊海が、絶えず波打っていた。
酒虫は体を丸め、海面の上に浮かんでいた。
その体から、酒の香りを帯びた淡い霧が流れ出し、周囲をゆっくり覆っている。
ラインは精神力の一部を動かし、その霧の中へ送り込んだ。
精神力が再び霊海へ落ちた時には、その量は半分まで減っていた。
色も翠緑色から、さらに深い蒼緑色へ変わっていた。
精錬された精神力は、重さを増したように霊海の底へ沈んだ。
上層に残る精錬前の精神力との間に、はっきりした境目が生まれた。
ラインは酒虫を動かしながら、掌の霊石から天然の精神力を吸収し続けた。
補われた精神力は上層へ流れ込み、次々と酒虫で精錬されていった。
上層の翠緑色は減り、下層の蒼緑色は少しずつ増えていった。
どれほど時間が過ぎただろう。
空界の四割四分を満たす霊海は、ようやくすべて蒼緑色へ変わった。
「酒虫がいて助かった」
ラインはゆっくり目を開けた。
「精錬前の精神力では、化石カジノで五つも続けて開けられなかっただろう」
すでに夜は深まっていた。
化石カジノを出たあと、ラインは商隊市場を見て回らず、そのまま学堂へ戻っていた。
ベルナー商会の荷車も、約束どおり補強された木箱を宿舎まで届けていた。
中に入っていたのは、翠玉蝶と引き換えに得た霊石五百個だった。
受け渡しには、学堂の護衛も立ち会った。
木箱の封印には、誰かが触れた跡もなかった。
ラインは中身を数え終えると、木箱に鍵を掛けて壁際へ置いた。
これで手持ちは、合計で霊石五百三十八個となった。
これほどの財産は、多くの一環精霊使いの欲を刺激する。
ここがローデン一族の領地でも、全員がルールを守る保証はなかった。
自分より強い一環精霊使い、まして二環精霊使いに闇討ちされる可能性もある。
今のラインには、正面から対抗する力がない。
財産は、それを守れる力を持つ者の手にあって初めて資源となる。
守る力のない者にとっては、捕食者を誘う生肉にすぎない。
ラインは、手の中に残る霊石へ目を落とした。
使う前の霊石は、アヒルの卵ほどの大きさがある。
中の天然の精神力を吸収された今は、一回り小さくなっていた。
表面も、すでに元の光沢を失っていた。
ラインは惜しいと思わなかった。
霊石の価値は、中に蓄えられた力にある。
使わずに貯め込む霊石は、ただのきれいな石と変わらない。
ラインは下等資質であり、酒虫による繰り返しの精錬も欠かせない。
一日に使う霊石は、同年代の生徒たちの数倍に達していた。
その代わり、資源を使って資質の差を埋めている。
実際の修練速度は、すでに学堂でも指折りの速さだった。
ラインは、まだ力の残る霊石を脇へ置いた。
続いて取り出したのは、最後の翠色の化石だった。
化石カジノで買った化石は、全部で六つ。
最初の五つは人々の前で開けたが、六つ目だけは宿舎へ持ち帰った。
中に何があるのか、知っている者は一人もいない。
ラインの掌に、淡い水色の光が浮かんだ。
月印の力が、化石の表面を覆っていった。
硬い翠色の外殻は細かな石粉へ変わり、指の隙間から床へ落ちた。
化石は拳ほどまで縮み、やがてビー玉ほどになった。
最後には、跡形もなく消えた。
床に残ったのは、灰緑色の石粉だけだった。
繭も精霊もなかった。
ラインは少しも驚かなかった。
化石カジノでは、十回試して九回外れるのが当たり前だ。
五百年の経験があっても、外見から明らかな外れを除けるだけだ。
化石の中まで見通せるわけではない。
精霊が出ても、多くはすでに死んでいる。
生きていたところで、必ず価値があるとも限らない。
翠玉蝶ほどの精霊を引き当てても、得られるのは財産だけではなかった。
あの場がローデン領だったからこそ、ルイスはカジノの信用を守る必要があった。
他の土地なら、人知れずラインを殺し、翠玉蝶も霊石も奪って終わりだった。
今のラインは、一環に入ったばかりの精霊使いだ。
化石カジノは、財産を築くための安定した手段にはならない。
偶然の利益を求めて賭け続けるのは、自分の運命を確率へ預ける行為だった。
最後の一つが外れたことも、予想の範囲内だった。
それでも、床の石粉を見つめるラインの口元には、次第に笑みが浮かんだ。
この価値のない石粉こそ、六つの化石を買ったもう一つの目的だった。
翠玉蝶は、計画の外で手に入った思いがけない収穫にすぎなかった。
五つ目から翠玉蝶が出た場面は、大勢が見ていた。
しかし、六つ目はそのまま学堂へ持ち帰った。
開けた結果を目にした者は、ライン以外にいなかった。
そこには、ラインが好きな形で埋められる空白が残っていた。
今後、酒虫の来歴を調べられても問題はない。
最後の翠色の化石から目覚めたと言えばよい。
ラインの言葉が嘘だと証明できる者はいなかった。
封印化石の外殻には、決まった色などない。
酒虫は眠る時に白い繭を作るが、外殻まで白くなるとは限らない。
周囲の鉱物に影響され、翠色になる可能性もあった。
化石カジノにいた精霊使いたちは、ラインが六つ買ったことを知っている。
最後の一つを開けずに持ち帰った姿も見ていた。
さらに、別の化石から翠玉蝶が出た場面まで目撃している。
二体続けて生きた精霊を得るのは、確かに幸運すぎるかもしれない。
とはいえ、抱けるのは疑いまでだ。
運の良し悪しは、証明も否定もできない。
この説明は完璧ではない。
だが、酒虫の来歴を説明するには十分だった。
ラインは、酒虫を永遠に隠し続けるつもりはなかった。
秘密を隠すだけでは、少しずつ疑いが積み重なる。
他人に先に見つけられると、説明の仕方を選ぶ余地さえ失う。
他人に見つけられてからでは遅い。
先に、多くの者が納得できる答えを用意する方がよい。
これからの修練でも、酒虫による精錬を何度も行う。
長く隠し続けるのは面倒なうえ、修練の速さまで落としかねない。
酒虫は一環精霊にすぎない。
一環へ入ったばかりの精霊使いには、精神力の質を高める貴重な存在だ。
だが、二環へ進んだ後は使えない。
酒虫が知られても、注目するのは一部の者だけだろう。
買い取りを持ちかけられ、入手先を聞かれるくらいだ。
それでも、一族の上層部が力ずくで奪うほどの価値はなかった。
逆矢は、まったく違う。
その力を知られた時、待っているのは質問や取引ではない。
拘束と拷問、そして死だった。
逆矢こそ、絶対に隠し通すべき秘密だ。
「酒飲のカイの遺産と、記憶にあった翠玉蝶か」
ラインはベッドのヘッドボードに寄りかかり、小さく息を吐いた。
「楽に利益を得られる当ては、もうこの二つくらいだな」
酒虫はすでに手に入り、翠玉蝶も霊石五百個へ変わった。
今後、前世の記憶だけで簡単に利益を得るのは難しい。
さらに強くなるには、地道に修練するか、危険な場所へ向かう必要があった。
霊石五百三十八個は、一見すると莫大な財産だ。
修練で使う分に加え、月印と酒虫の餌代も掛かる。
合わせて、一日に霊石四個近くが消えていた。
今の使い方では、四か月あまりしかもたない。
環階が上がるにつれ、必要な量はさらに増えていく。
一方、最も安定した収入は、七日ごとに同級生から奪う霊石だった。
当然、この方法も長くは続かない。
中でも、ノアとメル、ライルの成長は早い。
最近の争いでは、三人の動きが明らかによくなっていた。
最初は一、二度の攻撃で倒せた。
今では、決着まで何度も攻防を重ねるようになった。
ほかの生徒たちも、同じように訓練を続けている。
あと三、四回も同じことを続けるうちに、彼らは基本的な連携を覚えるだろう。
一対一では敵わなくても、次々に挑んでラインの体力を削る手はある。
まだ成長途中の体では、数十人と休みなく戦い続けるのは難しい。
「新しい収入源が必要だ」
ラインは目を閉じ、前世の記憶を整理し始めた。
ヴェルデン山の周辺には、今の力で手に入る遺産がほとんど残っていない。
近くのシルヴァ山には、四環精霊使いが残した身体強化系の遺産が眠っている。
価値は低くないが、一つ厄介な条件があった。
試練の一つが、二人の協力を前提としている。
今のラインには信用できる仲間がおらず、場所を気軽に明かすわけにもいかない。
一人での強行は、失敗と発覚の危険を増やすだけだ。
「シルヴァ山は、まだ無理だな」
しばらく考えたところで、ラインは別の品を思い出した。
酒飲のカイの遺産には、酒虫のほかにも記録の精霊が残されている。
四代目族長のみっともない姿を記録した精霊だった。
ラインには必要ないが、商人の中には欲しがる者がいるかもしれない。
「あの記録の精霊なら、商隊に売れるか」
そう考えたラインは、買い手と値段を検討し始めた。
だが、ラインの体はすでに疲れ切っていた。
長時間にわたって精神力を精錬し、化石カジノでも一連の騒ぎを経験したためだ。
精霊使いの修練も、普通の睡眠の代わりにはならない。
ラインは毛布を引き寄せ、ベッドに横になった。
壁際の木箱には、五百個を超える霊石が収められていた。
反対側には、先に買い集めた青竹酒が積まれていた。
しばらく困らないだけの資源はあった。
それでも、ラインが本当の安心を覚えることはなかった。
財産は、力へ変わるまで危険を増やすだけだ。
記録の精霊をどう売るか考えているうちに、意識が少しずつ薄れていった。
ほどなくして、ラインは深い眠りへ落ちた。




