9. 完結.
『こんにちは。人は、本当に誰にも届かずに生きていけるのでしょうか。』
その短い文章を投稿したあとも、画面には冷たい言葉が流れ続けた。
冗談だと言う人。
注目を集めたいだけだと言う人。
心配するより先に、決めつける人。
ジスはスマートフォンを握りしめたまま、しばらく動けなかった。
誰かと話したかった。
責められるためではなく、一人の人間として。
彼女は震える声で配信を始めた。
「こんばんは。」
それだけを言うのに、思っていたより力が必要だった。
コメント欄には相変わらず鋭い言葉が並んでいたが、ジスは小さく息を吸った。
「どうして、そんなに私を嫌うんですか。」
声がかすれる。
「嫌いなら、見なければいいのにって、何度も思いました。」
涙が一筋だけ頬を伝った。
「でも、本当は……誰かとちゃんと話してみたかったんです。」
画面の向こうにいる無数の人々の中に、たった一人でも自分の言葉を受け止めてくれる人がいるのではないか。
そんな小さな願いだけが、静かな部屋に残っていた。
そのとき、匿名の誰かが強い言葉を残した。
コメント欄は一瞬静まり返り、ジスはその一文だけを見つめ続けていた。
「……そうですか。」
彼女は小さく呟く。
「本当に、そんなふうに思われていたんですね。」
夜風が頬を撫でる。
街の灯りは驚くほど美しく、遠くの窓一つ一つが星のように瞬いていた。
「この景色、きれいですね。」
ジスはスマートフォンを胸に抱えたまま、しばらく黙って夜景を見つめていた。
やがて静かに話し始める。
「子どもの頃、母と姉が言い争っているのを見たことがあります。」
声は不思議なほど穏やかだった。
「食卓に水がこぼれて、私はただ見ていました。透明で、きれいな水でした。でも、気づいたら私が拭いていたんです。」
彼女は苦く笑う。
「誰かに頼まれたわけじゃないのに、そうするのが当然だと思っていました。」
コメント欄には心配する言葉が少しずつ増え始めていた。
ジスは画面を見つめながら続ける。
「私は、ただ自分の役割を果たしてきただけなんです。」
しばらく沈黙が落ちた。
そして彼女は最後に問いかける。
「どうして、人は誰かを嫌いになると、その人の声まで聞かなくなるんでしょう。」
涙が一筋だけ頬を伝う。
「私は、一度でいいから、ちゃんと話をしてみたかった。」
その言葉を残し、ジスは配信を終了した。
画面が暗くなる。
部屋には夜の静けさだけが残り、遠くの街の灯りが、変わらず瞬き続けていた。
「お姉ちゃん……私は、お姉ちゃんみたいには生きたくなかった。」
その言葉だけが、ジソンの胸にいつまでも残っていた。
夜の街は騒がしく、人々の声が遠くで交錯している。
ジソンはただ立ち尽くし、暗い空を見上げていた。
もっと早く気づけなかったのだろうか。
妹が助けを求めていたことに。
誰かに理解してほしいと願っていたことに。
ジソンは長い間、自分たちの世代の苦しさばかりを見つめてきた。
けれど、その視線の外側にも、声にならない痛みを抱えた人がいた。
それが最も近くにいた妹だったという事実を、彼女はようやく思い知る。
義兄との関係も次第にすれ違っていった。
互いに疲れ果て、やがて二人は別々の道を歩むことになる。
それでもジソンは、自分がどこで間違えたのかを最後までうまく言葉にできなかった。
夜風の中で、妹の声だけが何度も胸に蘇る。
「私は、お姉ちゃんみたいには生きたくなかった。」
その言葉は責める声ではなく、届かなかった願いの残り香のように、静かに彼女の心に残り続けていた。




