第20話 婚約は断罪の後で
「汚い手で我が愛しの女性に触れるな」
レグニスが、エレノアに伸ばしていたセドリックの腕を掴む。
反対の手で、彼女を後ろに下がらせる。
「放せ、レグニス!」
セドリックが暴れ、レグニスの腕を振りほどこうともがく。
「愚か者め。放すわけがなかろう。すぐに騎士が駆けつけるぞ」
「黙れ! それまでに、あの女だけは私の手で殺してやる!」
その言葉にレグニスの表情が一段と冷え込む。魔族の男の腕を掴む手にも力がこもった。
「ぐ……」
「ほう? それが貴様の醜い本性ということか。今の暴言、許されると思うなよ」
「それがどうした! だったらお前を先に殺してやる。最初からこうすれば良かったんだ!」
レグニスを突き飛ばし、距離を取った魔族の男が何かしらの魔法を発動しようとする。
突然の凶行に、貴族たちからは悲鳴が上がる中、レグニスは静かに指示を出す。
「エマ、やれ」
「……はい」
エマが返事と同時に魔族の男の背後から足払いをする。
魔族の男の集中が途切れ、発動しかけた魔法が消えた。
さらに、エマは男をうつ伏せの状態で絨毯に押さえ込み、腕を極める。
「何をする、その手をどけろ……ぐぅ……!」
「口を閉じてください」
彼が何かを話そうとすると、関節を締め上げて黙らせる。
その様子を見て、レグニスが満足そうに頷いた。
「ふむ。日頃の戦闘訓練の成果だな」
そっとレグニスの横に来たエレノアが尋ねる。
「いったいどんな訓練をしているのですか?」
「新人騎士と同じものをさせている。飲み込みが早くて、つい熱が入ってしまってな」
悪びれずに言うレグニスに、エレノアが少しだけ眉をひそめる。
「レグニス様、ほどほどになさってくださいね。エマは女の子なのですよ」
しかし、当のエマがセドリックを押さえつけたまま、答えた。
「……いいのです、エレノア様。きついですけど、お給金がたくさんもらえますから」
そんな緊張感に欠けた会話をしていると、騎士がやってきた。
エマが騎士に魔族の男を引き渡す。
縄できつく縛られた彼は、騎士に連れて行かれる直前、レグニスを睨みつけた。
「いつから……いつから私が怪しいと思っていた?」
「黙って歩け」
騎士がセドリックを急かすが、レグニスが手で制止した。
「最初からだ。ローゼンフェルト公爵が社交界に顔を出さなくなった時点でおかしいと思っていた」
「なん、だと?」
「エレノアとの婚約破棄騒動は、貴様を釣り出すための餌だ。公爵家の金目的に、傷心のエレノアに言い寄ってくるだろうと思ってはいたが……これほどうまくいくとはな」
男は次いで、エレノアに訊く。
「……貴女は知っていたのか?」
「わたくしはそこまでは存じ上げませんでした。ただ、貴方の孤児院を初めて見学したときには怪しいと思っておりました」
その答えに魔族の男は愕然とした表情で、黙り込んだ。
レグニスが顎で騎士に合図を出すと、「おい、行くぞ」と男を連行していった。
その姿が見えなくなってから、レグニスはエレノアの身体をぐっと抱き寄せた。
そして、会場全体を見渡す。いまだ興奮冷めやらぬ貴族たちに告げる。
「鎮まれ」
それだけで、静寂が訪れた。
魔族の男が連れ去られた方を見ていた貴族もレグニスの方を向く。
誰もが彼の言葉を待った。
「此度の婚約破棄は魔族の諜報員を炙り出すための芝居だったことは、先の一連の騒動を見た貴公らは理解しているだろう」
頷く者もちらほらと見受けられる。
「だが、あえて言葉にしよう。私、レグニス=アウレリアの名において、先の婚約破棄を撤回する」
そして、懐から取り出した婚約破棄に関する書類を破り捨てた。
その光景に、貴族たちの間に歓声が広がる。
事情を知らなかったとはいえ、エレノアに冷たい態度を取った令嬢は少々ばつの悪い顔をしていた。
むろん、そのような些事を気にするようなエレノアではない。
安堵の表情を浮かべる者は、魔国の諜報員が捕らえられたことに胸を撫で下ろしているのだろう。
レグニスは会場の貴族数人に目を留め、僅かに口角を上げた。
緩みそうになった空気を引き締めるように、言葉を紡いだ。
「孤児院の名簿の調査と職員への聞き取りによって、孤児の違法売買に関与した貴族を既に特定している。心当たりのある者は追って沙汰を下す。心して待っているがいい」
一部の貴族がぎくりと反応したが、すぐに何もなかったかのように振る舞う。
レグニスがどのような罰を与えるのかエレノアには分からないが、該当する貴族は内心では戦々恐々としていることだろう。
ふとナディアがレグニスに声をかけた。
「レグニス様、私はそろそろ退散します」
「ああ。また何かあれば連絡する」
短い会話だけで、ナディアは姿を消した。
「さて、余興も済んだことだ」
再び、ざわめきが落ち着いたのを見計らって、レグニスが宣言した。
「夜会を再開しようではないか」
彼が指をパチンと鳴らすと、音楽隊が優雅な音色を奏で始めた。
天井からきらきらと注ぐシャンデリアの明かりは先ほどと変わらないはずなのに、どこか明るく感じられる。
「エレノア」
「はい、レグニス様」
レグニスがエレノアの腰に回していた腕を離し、彼女の前に立つ。
そして右手を差し出した。
「私と踊ってくれるか?」
「もちろんですわ」
彼女はその手を取って、微笑む。
レグニスがエレノアをエスコートし、ホールの中心に向かう。
緩やかな音楽に合わせ、二人は息の合ったステップを踏む。
レグニスの力強くも優しいリードに、エレノアは軽く応える。
動きに合わせて、ドレスの裾が揺れる。
視線を交わし、足を運ぶ。
そこには寸分の狂いもなく、互いに相手を信頼していることが窺えた。
周囲からは感嘆の声が漏れる。
二人の顔が近くなり、少しだけ荒くなった吐息が混じる。
エレノアにはレグニスの瞳に映る自分の顔が見えた。ほんのりと頬が朱に染まっているのを感じた。
彼女にとって、久しぶりのレグニスとのふれあいでもある。
ここしばらくはずっと偽りのセドリックの相手ばかりで内心辟易としていたのだ。
顔にこそ出さなかったものの、こうして再び本来の居場所に戻れたことが何よりも嬉しい。
見つめ合うだけで、心が躍る。
いつまでもこうしていたかったが、演奏が終わった。
名残惜しさを感じながらも、互いに礼を取り、ホールの中央から下がる。
次の曲が始まり、他の貴族たちもダンスを楽しむ者、料理に舌鼓を打つ者、貴族らしく腹の探り合いをする者など、各々自由に過ごし始めた。
二人のダンスで、場の緊張感も解れたらしい。
火照った身体を冷ますため、エレノアはレグニスとともにバルコニーに出た。
ホールの喧騒と熱気から離れ、夜風が心地よい。
夜の庭園を眺めるエレノアにレグニスが話しかける。
「エレノア」
「何でしょうか、レグニス様」
「大変な役目を負わせ、すまなかったな」
突然の謝罪に、エレノアは一瞬きょとんとした。
だが、すぐに微笑んだ。
「このくらいできないようでは、レグニス様のお隣に立つことはできませんわ」
「ふっ、さすが私が見込んだ令嬢だ」
彼女の言葉にレグニスも僅かに顔を綻ばせる。
普段見せないレグニスの穏やかな表情に、エレノアの心臓が高鳴った。
そのことを知ってか知らずか、彼はエレノアの前で片膝をついて、まっすぐにエレノアを見つめる。
「あらためて、私と婚約を結んでほしい」
先ほどは大勢の前で婚約破棄の撤回を述べただけだった。
だから、彼がそう口にしてくれたことが、エレノアにはとても嬉しかった。
「ええ……ええ、喜んで」
貴族令嬢としてははしたないかもしれない。
しかし、今日くらいはいいだろう。
煌々と輝く満月の下、エレノアとレグニスは熱い口づけを交わした。
これにて本作品は完結です。
皆様のおかげで無事完走することができました。
ありがとうございました!
次の作品を鋭意執筆中です。
またお会いできる日を楽しみにしております。




