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砂漠の嵐-21:報復

「……持ち直したか」


イワノフ中佐は、車長用サイトの狭い視界の中で、敵の動きが変化したのを見逃さなかった。潰走しかけていた米軍の隊列の中で、あの大隊長車と思しきM1エイブラムスを中心に、数両のM1が踏みとどまり、即席の防衛線を構築しつつある。恐怖に支配された烏合の衆が、たった一人の狂った指揮官の背中を見て、軍隊としての形を取り戻そうとしていた。


(あれが、コアだ)


イワノフは直感した。あの小隊規模の塊を叩き潰せば、この米軍大隊は完全に瓦解する。物理的な破壊ではなく、精神的な死を与えることができる。


ドクン、と心臓が跳ねた。血管を流れる血液が、瞬時に沸騰するような感覚。


(殺せ)


脳裏の奥底から、どす黒い声が響く。アフガニスタンの乾いた風。焼け焦げた鉄の臭い。そして、CIAが供与した卑劣なIEDの閃光に焼かれ、物言わぬ肉塊となった兄の姿。


目の前にいるのは、その兄を殺した技術を、資本を、そして傲慢なイデオロギーを体現する連中だ。ただ撃退するだけでは足りない。鉄屑に変え、砂に埋め、二度と祖国に牙を剥けないように、徹底的に殲滅してやるべきだ。


「……ッ」


イワノフは、血が滲むほど唇を噛み締め、その激情を無理やり喉の奥へと押し込んだ。呼吸を整える。吸って、吐く。熱くなりかけた頭脳を、強制的に冷却する。


(違う。これは個人的な復讐戦ではない)


彼は、職業軍人としての理性を総動員して、狂気に飲まれかける自分を抑え込んだ。任務は「殲滅」ではない。「デモンストレーション」だ。ソビエト製兵器の優位性を示し、外交的な衝撃を与えること。


ここで感情に任せて正面から突出すれば、相討ちになるリスクがある。M1の120mm滑腔砲と劣化ウラン弾芯は、T-80Uにとっても致命傷になり得るのだ。


だが、それでも。彼の双眸には、消し炭のような冷たい怒りが宿っていた。皆殺しはしない。だが、叩きのめす。兄を奪ったクソッタレどもに、ソビエトの鉄槌がいかに重く、そして「速い」か、その身に刻み込んでやる。


イワノフは、マイクの送信ボタンを押し込んだ。その声は、地獄の底から響くように低く、そして一切の温度を欠いていた。


『第2小隊、前へ。稜線を利用してハルダウンし、敵正面を拘束しろ。足を止めるだけでいい』


正面から撃ち合えば、M1の劣化ウラン装甲は厄介だ。だが、奴らの注意を引きつけ、その砲塔を正面に向けさせることはできる。


『第3小隊、私に続け。右翼へ展開。砂丘を回れ』


彼は、戦術画面上の駒を動かすように、部下たちを指揮した。


『敵の側面を食い破る。一気に距離を詰め、エンジンルームに「マンゴー」を叩き込め』


正面が堅ければ、横を突く。戦車のセオリーだ。だが、問題はその速度だ。M1エイブラムスは60トンを超える巨体だ。ハイパワーなエンジンを持ってしても、この足場の悪い流動性の高い砂漠では、その自重で砂に沈み込み、機動力が削がれる。


対して、T-80Uは違う。重量わずか46トン。幅広の履帯による接地圧は、人間の足裏と大差ないほどに低い。さらに、1250馬力を叩き出すガスタービンエンジンが生み出す推力重量比は、西側のあらゆる戦車を凌駕する。


「行くぞ」


操縦手がアクセルを踏み込む。T-80Uが、砂に沈むことなく、まるで雪原を滑るスキーヤーのように加速した。米軍が重い車体を軋ませて旋回しようとしている間に、ソビエトの戦車は風のように砂漠を駆け、物理法則を無視したような機動で死角へと回り込む。


『……やるぞ。奴らに、本物の"機動戦"を教えてやれ』


イワノフの号令と共に、ソビエトの鋼鉄の狼たちが、砂塵を巻き上げて一斉に躍りかかった。




「こちらアンヴィル6! 全車、射撃を合わせろ! 死にたくなければ正面を向けろ!」


シュルツは、予備のハンディ無線機を手に持ち、喉が裂けんばかりに怒鳴っていた。その狂気じみた叱咤と、単騎で前に出た指揮官の背中は、パニックで崩壊寸前だった州兵たちの精神を、恐怖というタガで無理やり繋ぎ止めた。生き残った数両のM1A1が、ぎこちなく、だが確実に砲塔を敵の方角へと指向させる。


「ガンナー! 11時方向、T-80! 距離800!」

「視認! 撃てます!」


シュルツの視界の中で、稜線沿いに砂煙を巻き上げて移動するソビエトの怪物が捉えられた。砲塔にびっしりと張り付いた爆発反応装甲の亀甲模様までが、月光の下ではっきりと見える。「コンタークト5」。西側の情報では、化学エネルギー弾はおろか、運動エネルギー弾さえも減衰させ、弾き返すという鉄壁の盾。


だが、こっちにも意地がある。矛がある。


「撃てッ!!」


120mm滑腔砲が轟いた。ドイツ・ラインメタル社が、東側の機甲師団を恐怖し、それを屠るためだけに研ぎ澄ました傑作砲、M256。そこから放たれたのは、この戦争のために極秘裏に配備された最新鋭砲弾、M829A1。通称「シルバー・ブレット」。高密度の劣化ウラン弾芯は、音速の数倍で砂漠の大気を切り裂き、T-80Uの砲塔正面に突き刺さった。


カッッ!!


閃光。反応装甲が起爆し、猛烈な爆発が着弾点を覆う。弾かれたか——シュルツがそう思った刹那。


ズドンッ!!


爆炎を突き破り、T-80Uのハッチから、溶鉱炉のような巨大な火柱が噴き上がった。車内底部の自動装填装置にある弾薬が誘爆したのだ。数十トンの砲塔が内側からの圧力で命を失った人形の首のように吹き飛び、宙を舞って砂漠に突き刺さる。「ジャック・イン・ザ・ボックス」。ソ連戦車の悪名高い死に様だ。


一撃必殺。800メートルという至近距離が生み出した運動エネルギーが、ソビエトの最新鋭装甲を、西側の矛で貫いたのだ。


「……やった!」


シュルツは、震える拳を膝に叩きつけた。通用する。我々の装備は、負けていない。カタログスペックという幻影だけではない、実戦でも奴らを殺せるのだ。その事実は、恐怖に凍りついていたシュルツの心に、強烈な希望の灯火を灯した。


「全車、見たか! 奴らは無敵じゃない! 落ち着いて狙えば殺せる!」


シュルツの叫びに、僚車たちが呼応する。そうだ、我々は世界最強のM1エイブラムスに乗っているのだ。戦線が、わずかだが持ち直し、反撃の火線が集中し始める。


その時、ノイズ混じりの無線に、後方支援部隊からの通信が割り込んだ。


『アンヴィル6、こちらベース! 聞こえるか! 空の"掃除屋"が急行中だ! 第101空挺師団のAH-64A部隊が向かっている!』


アパッチ。対戦車ヘリコプター。戦車の天敵。その名前を聞いた瞬間、シュルツの背筋に電流が走った。


「時間は!?」

『あと10分! 10分でそちらの頭上に到着する! それまで持ちこたえろ!』


10分。永遠にも等しい時間だ。だが、終わりは見えた。空の援軍さえ来れば、形勢は逆転する。ヘルファイアミサイルの雨が、砂漠に潜むソビエトの亡霊どもを、上空から一方的に狩り尽くしてくれる。


「聞いたか野郎ども! 騎兵隊が来るぞ!」


シュルツは叫んだ。


「あと10分だ! この砂場で10分間、ダンスを踊りきれば俺たちの勝ちだ!」


希望。それは、兵士を最も勇敢にし、そして同時に、最も盲目にさせる麻薬だった。


シュルツは、正面の敵に意識を集中させていた。彼らが足を止め、撃ち合いに応じているのは、単なる「囮」である可能性を、希望という名の興奮がかき消していた。


砂塵の向こう側、手薄になった右翼の砂丘の陰から、イワノフ率いる第3小隊が、T-80Uの機動力を極限まで活かし、全速力で死角へ回り込んでいることに、彼はまだ気づいていなかった。

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