砂漠の嵐-20:獣たち
キイィィン――!
T-80U特有のガスタービンエンジンの甲高い吸気音が、爆発音の合間を縫って戦場に響き渡る。砂を噛む履帯が滑るように車体を前進させた。
「次弾装填よし!」
ウラジーミル・イワノフ中佐は車長用ペリスコープに額を押し付け、一切の感情を排して戦場の惨状を読み取っていた。最初の奇襲は完璧だった。「レフレークス」ミサイルの斉射とAPFSDS「マンゴー」の初弾によって、米軍大隊の先頭と側面にいたM1とM2を突き崩した。砂漠のあちこちで黒煙が上がっている。
(……3割、か)
イワノフは奥歯が砕けそうなほど強く噛み締めた。米軍の混乱に乗じて一方的に殴りつけたにもかかわらず、完全に沈黙したのは全戦力の3割程度。アルミ装甲のM2ブラッドレーは紙くずのように燃えているが、問題はM1エイブラムスだ。側面のエンジンルームや弾薬庫を撃ち抜かれた車両は炎上しているが、砲塔や車体正面に被弾した車両の多くは激しい火花を散らすだけで動きを止めていない。
「堅すぎる……!」
劣化ウラン装甲。その噂は聞いていたがこれほどまでとは。ソビエトの冶金技術の粋を集めたタングステン弾芯ですら、角度が悪ければ弾かれ砕け散る。持ち込んだ戦車の数は定数割れの二個中隊。奇襲の効果が薄れ米軍が態勢を立て直し始めた今、正面からの撃ち合いになれば装甲厚と数の差でこちらがすり潰される。
「大隊長! 敵、スモークを展開! 視界不良、射線が通りません!」
「焦るな! 奴らのエンジンは灼熱だ! この冷え切った砂漠では煙越しでも星のように輝いて見える!」
イワノフは叫ぶと砲手に指示を飛ばした。
「11時方向! アンテナが二本林立している車両だ! 見えるか!」
混乱する米軍車列の中で必死に各車に指示を飛ばしているM1がある。ハンス・シュルツ中佐の乗る大隊長車だ。彼を黙らせなければ米軍はすぐにパニックから立ち直り、組織的な反撃を開始する。
「砲塔正面は抜けない! HEだ! アンテナとセンサーを吹き飛ばせ! 目と耳を奪え!」
「了解! 榴弾装填!」
砲手が照準を微調整する。T-80Uの125mm滑腔砲が火を噴いた。放たれた大口径の榴弾は煙幕を切り裂き、シュルツのM1の砲塔前面で炸裂した。
複合装甲そのものは衝撃を受け止めた。中の乗員も生きているだろう。だが爆風と無数の破片が、車外に露出しているアンテナ群、車長用サイト、そしてレーザー測距儀を根こそぎ薙ぎ払った。
米軍の指揮系統がホワイトノイズの中に沈む。それと同時にイワノフが配置しておいた伏兵——稜線に展開していた機械化歩兵たちが動いた。
「撃てッ!」
あちこちの砂丘の陰から白煙がほとばしる。9M113「コンクールス」。そして歩兵携行式の9K115「メチス」。西側のTOWミサイルと同等の威力を持つソビエト製対戦車誘導弾の群れだ。
当時のソ連の電子技術は西側に遅れを取っていたが、成形炸薬弾の威力とそれを運用する兵士の執念においては負けていない。
有線誘導の赤い光点が不規則な軌道を描きながら米軍の隊列へと殺到する。彼らが狙うのは装甲の厚いM1の正面ではない。その足元——履帯と転輪だ。
ズドン、ズドン!
重い着弾音と共に、脚を砕かれたM1が次々と立ち往生する。最強の戦車も動けなくなればただの鋼鉄のトーチカだ。砂漠の夜は曳光弾とミサイルの噴煙で、地獄の祝祭のように明るく照らし出されていた。
「食い破れ! 一台でも反撃される前に無力化しろ!」
イワノフの咆哮が狭い車内に響いた。これは戦争ではない。ソビエトという国の威信と兵器の市場価値を死守するための、血みどろのデモンストレーションなのだ。
「……くそっ、死んだか!」
ハンス・シュルツはノイズしか吐き出さなくなったCVCヘルメット(戦車兵用通信ヘルメット)をかなぐり捨てた。 先ほどの榴弾の至近炸裂で砲塔上のアンテナ基部と外部通信機が物理的に吹き飛ばされたのだ。 大隊指揮官の声が消えた戦場は統制を失い、ただのパニックに陥った集団自殺の場と化していた。
「大隊長! 外は弾雨です! 開けないでください!」
装填手の制止を振り切りシュルツは車長用ハッチを蹴り開けた。 熱風と、鼓膜を引き裂くような轟音、そして鼻をつくオイルと焼けた肉の臭いが、空調の効いていた狭い車内に雪崩れ込んでくる。
シュルツは上半身を晒し出し、ラックの隙間に押し込まれていた予備の携帯無線機をひったくった。 短距離用だが近くの小隊なら拾えるはずだ。
「くそったれ、どいつもこいつも……!」
彼が見たのは軍隊の動きではなかった。 指揮を失ったM60パットン部隊が恐怖に駆られて無秩序に後退しようとしている。あろうことか敵に対して最も装甲の薄いエンジンルーム(背面)を晒しながら。
その愚かな背中をソビエトの対戦車ミサイルが無慈悲に食い破っていく。次々と爆発する味方の車両が戦場を赤く染める。
「馬鹿どもめ……戦車戦のイロハも忘れたか!」
シュルツは砲弾が空気を切り裂く衝撃波を頬に感じながら歯ぎしりした。
練度だ。全ては練度の低さが招いた結果だ。 彼の部下の多くはこの戦争のために急遽招集された州兵上がりだ。 週末にM60を動かすだけの訓練を受けてきた、制服を着た市民たち。 小隊長たちは大学を出たばかりの、地図もろくに読めないボーイスカウト同然の若造だ。
彼らは「イラク軍相手の射撃訓練」だと思ってここに来た。本物の「熊」と殴り合う覚悟など欠片も持ち合わせていない。
そして頼みの綱である正規兵のM1乗員たちでさえ、このハイテクの塊に振り回されている。 恐怖で操作手順を忘れ、弾道計算機のエラーに対処できずただの鉄の棺桶の中で立ち尽くしている。
(皮肉なものだ……)
シュルツのすぐ横を敵の徹甲弾が通過し、後方の砂丘を吹き飛ばした。死が頬を撫でていく。 その極限の恐怖の中で彼の思考は奇妙に透き通っていた。
ベトナムの地獄から五体満足で帰還した日。 彼は平和ボケした祖国を見て心底安堵し、感動した覚えがある。 若者が銃ではなくコーラを手にし、明日死ぬことなど考えずに笑っている国。 その平和こそが自分が命を懸けて守ったものだと誇りに思った。
だがその「平和」が軍隊から牙を抜き、骨を脆くしていたとは。 実戦の緊張感を欠いた安穏とした年月が彼らをただの「兵器のオペレーター」に変え、戦士としての本能を奪っていたのだ。
「だがここでは違う! ここは戦場だ!」
シュルツは携帯無線機の送信ボタンを押し込み、喉が裂けんばかりに怒鳴った。
「全車、聞こえるか! アンヴィル6だ! 下がるな! 背中を見せれば殺されるぞ!」
声だけでは足りない。パニックを起こした羊たちには目に見える「旗」が必要だ。 シュルツは車内通話のマイクを掴み、操縦手に命じた。
「ドライバー! 車を出せ! 全速前進だ!」
「ち、中佐!? 正気ですか! 前は敵だらけです!」
「構わん! 俺たちが盾になる! M60の前に割り込め!」
シュルツの乗るM1A1がガスタービンの唸りを上げて急発進した。 黒煙を噴き上げながら敵弾が集中する最前線へとただ一両、逆走するように躍り出る。
「M1各車、俺を見ろ! 俺の横に並べ!」
無線機に向かって叫び続ける。 後退する友軍の波に逆らい敢然と敵に向かって突き進む指揮官車。 その狂気じみた姿はサーマル映像の中でも肉眼でも、異様な存在感を放った。
パニックに陥っていた数両のM1車長たちがその姿に正気を取り戻す。 指揮官が死にに行こうとしている。 見殺しにはできない――その原始的な衝動が恐怖を上回った。
「続け! 6号車の左右に展開しろ!」
一両、また一両。 踏みとどまったM1がシュルツの左右に展開し、即席の防衛線を形成し始める。 シュルツはハッチから身を乗り出したまま迫りくる闇の奥を睨みつけた。
生き残りたければ俺の後ろに付け。 平和という毒を今ここで、血と硝煙で洗い流すのだ。
「撃ち返せ! 米陸軍(USアーミー)の意地を見せろ!」
シュルツの号令と共に、生き残ったM1の主砲が一斉に火を噴いた。
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