砂漠の嵐 -18:砂漠の熊
砂漠の夜は、死のように冷たく、そして深かった。青白い月光が砂丘の稜線を切り取る中、地平線の彼方から、不協和な唸り声が近づいてくる。M1エイブラムスが発するガスタービン特有の甲高い金属音と、M60パットンの旧式ディーゼルエンジンが響かせる重苦しい低音。それは、勝利を確信した捕食者が、獲物を求めて無警戒に徘徊する足音だった。
ウラジーミル・イワノフ中佐は、T-80Uの車長用ハッチから頭だけを出し、微光増幅式暗視双眼鏡越しにその行列を見つめていた。彼の口元が、三日月のように冷たく歪む。それは、武人としての興奮と、兄を奪った「見えざる殺人者」へのどす黒い憎悪が混じり合った、凄絶な笑みだった。
(見えているぞ、ヤンキー。お前たちの慢心が、サーマルに映る熱源よりもはっきりと)
米軍の大隊は、教科書通りの隊列を組んで移動していた。先頭と側面警戒に最新鋭のM1エイブラムス、内側に打たれ弱いM60パットン。彼らは、自慢のサーマルサイトを過信している。氷点下近くまで冷え込んだ砂漠の夜、熱源を持つものは全て彼らの神の目に映ると信じ込んでいる。
だが、彼らは気づいていない。すぐ目と鼻の先、砂丘の稜線に埋もれるようにして、ソビエト連邦の最高傑作たちが息を殺していることに。
「ナキトカ」――後にそう呼ばれることになる、特殊な断熱偽装カバーの試作品。さらに車体全体に夜気で冷え切った砂を被せ、ガスタービンエンジンをアイドリングの限界まで絞り、排熱をダクトで地中に逃がしたT-80Uは、米軍のサーマル画面上ではただの「冷たい砂岩」と同化していた。GRUがもたらした米軍の光学特性データと、設計局の技術者の執念が、科学の目を欺いたのだ。
イワノフは、手元の有線通信機を強く握りしめた。無線は完全封鎖している。米軍の電子戦部隊に、キャリア波のノイズ一つたりとも拾わせるわけにはいかない。細い有線コードが、砂の中を這い、各車両と、稜線に伏せる機械化歩兵大隊の塹壕、そして後方に隠した対空車両へと繋がっている。
『大隊各位』
イワノフの押し殺した声が、ヘッドセットを通じて部下たちの耳に届く。
『獲物はキル・ゾーンに入った。距離、1200』
本来なら、平原での戦車戦としては近すぎる距離だ。T-80Uの主砲なら2000メートルからでも狙える。だが、確実に「殺す」ためには、ここまで引きつける必要があった。M1エイブラムスの正面装甲、特に砲塔前面の劣化ウラン装甲は、化け物じみた強度を誇る。まともに撃ち合えば弾かれる可能性がある。
『照準、事前指示通りに』
イワノフは、氷のような冷静さで命じた。
『M1の砲塔正面は狙うな。奴らの装甲は厚い。車体側面、あるいは砲塔リング、後部エンジンルームを狙え』
そして、残酷な指示を付け加えた。
『M60は無視しろ』
『……了解』
部下たちから、短い応答が返る。旧式のM60など、M1さえ潰せば暗闘の中で盲目になる。あれはただの動く標的だ。叩くべきは、強力なサーマルという「目」を持ち、「無敵」の神話を持つM1のみ。その神話を、屑鉄に変えることだけが、この作戦の目的なのだ。
自動装填装置のカルーセルには、特別な弾薬が装填済みだ。弾種指定、3BM42「マンゴー」。タングステン合金の侵徹体が、獲物の横っ腹を食い破るのを今か今かと待っている。さらに、次弾には砲発射対戦車ミサイル「レフレークス」が控えている。逃げようとする敵を、アウトレンジから刺すための毒針だ。
これらは、1990年時点のワルシャワ条約機構軍の標準装備ではない。ごく一部の精鋭のみに配備された、この一戦のためだけに極秘裏に持ち出された、「牙」だ。
イワノフは、吸い込んだ冷たい夜気を、熱い肺の奥に溜め込んだ。兄の仇。祖国の敵。今こそ、清算の時。
『行動開始後、即時無線に切り替えろ。各個に判断し、蹂躙せよ』
彼は、静かに命じた。
『……撃て(アゴーニ)』
月下の静寂が、轟音によって破られた。
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