砂漠の嵐 -15:バグダッドにて
数ヶ月後。1990年の師走、イラク、バグダッド郊外。 チグリス川のほとりに建つ、農業機械の保管倉庫と偽装された巨大なハンガー。 その油と湿気が混じった闇の中で、イワノフ中佐は、整備兵たちが黙々と作業する金属音を聞いていた。
「……足りないな」
彼が手にした輸送目録と、目の前でクレーンによって組み立てられつつある鋼鉄の巨獣たちを見比べ、イワノフは深く溜息をついた。
東ドイツのロストック港から、「農耕用トラクター部品」として木箱に詰められ、地中海を渡り、シリアのタルトゥース港経由で陸送されたソビエト連邦軍の至宝、T-80U戦車。 だが、途中の検問か、あるいは港湾労働者のストライキか。後続の輸送トラックの一部が、シリア国境で足止めを食らい、合流できなかった。
結果として、彼の手元にあるのは定数割れの二個中隊のみ。一個中隊が欠けている。 対するは、世界最強の米陸軍機甲大隊。 数で圧倒されることが確定している状況に、イワノフの眉間に深い皺が刻まれた。
「ですが、中佐」
副官が、低い声で慰めるように言った。
「『牙』は揃っています。本国が、ありったけの虎の子を持たせてくれました」
イワノフは視線を、戦車の脇にうず高く積まれた木箱に向けた。 弾薬箱に記されたコード、3BM42「マンゴー」。 最新鋭のタングステン合金侵徹体を持つAPFSDS(装甲貫徹弾)。西側の複合装甲を食い破るために開発された、極秘の矢だ。
そして、砲発射対戦車ミサイル(ATM)9M119「レフレークス」。 これらは、ワルシャワ条約機構軍の最前線部隊にさえ、まだ十分に行き渡っていない切り札だ。
さらに、倉庫の奥には、厳重な天幕で覆われた異形の車両が鎮座している。 2K22「ツングースカ」。 対空機関砲とミサイルを複合させた、世界最強の自走式対空システム。 本来なら輸出などあり得ないこの車両が、ギリギリの政治判断で、あるいは「実験」のために持ち込まれた。 兵士たちが手にしているのは、設計局から直送されたばかりの最新型携帯式地対空ミサイル(イグラ)、その改良型だ。
「空の援護はない。だが、空からの死神を叩き落とす傘はある、か」
イワノフは自嘲気味に呟いた。
「……これは軍事作戦ではないな。実験だ」
モスクワの政治家と元帥が、砂漠という実験場で、西側の兵器とソ連の兵器、どちらが優秀かを試すための、残酷な見本市。自分たちは、そのショーケースに並べられた商品であり、デモンストレーターに過ぎない。
イワノフは、倉庫の搬入口から外へ出た。 夜のバグダッド。 街にはまだ明かりが灯り、遠くからは車のクラクションや、人々の生活の音が聞こえてくる。 ミナレットから流れるアザーンが、生温かい夜風に乗って響く。
平和だ。 あまりにも、平和な夜だった。
この空の下に住む人々は、まだ知らない。 あと一ヶ月もしないうちに、この空がトマホークとステルス機の黒い影で埋め尽くされ、この街が火の海になることを。 そして、自分たちのような「招かれざる客」が、その炎の中で、戦火という名の惨禍をさらに煽り立てるために、息を潜めて潜んでいることを。
「……行くぞ」
イワノフは、吸いかけのタバコを砂にねじ込んだ。 平和な夜景に背を向け、彼は再び、ガスタービンエンジンの甲高い始動音と、鉄の匂いが充満する倉庫へと戻っていった。
彼らは亡霊だ。 記録には残らず、祖国の旗も持たず、ただ敵を殺し、兵器の価値を証明し、そして砂に消えるためだけに存在する、鉄の亡霊。
「ヤンキーどもに、悪夢を見せてやる」
重いシャッターが下ろされる。 砂漠の嵐が吹き荒れるその時まで、彼らは深い眠りにつく。
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