目には目を 前編
「はい、あ~ん♡」
「あ~♡」
「「「…………」」」
自分たちへの見舞いの品として用意されていたはずのりんご。それを手ずから切り分けて皮まで剥いた柊和は、その内の一切れを何故か自分の口ではなく雲ちゃんの口へと差し出した。
品質でいえばそこそこ上等という程度でしかないそのりんごを、口で直接受け取り、まるで一個ウン万円の最上級品かのように幸せごと噛みしめる雲ちゃん。柊和から『あ~ん』をされた事実は雲ちゃんにとって、それだけで極上のスパイスとなるらしい。全身を甘い蜜で漬け込まれたかのように蕩け切った表情を浮かべていた。
「美味しい?」
「はいっ! すっごく美味しいですっ! あたし、こんなにおいしいりんごは初めて食べましたっ!」
「本当に~? 流石にちょっと大袈裟じゃない?」
「えへへ……柊和先輩に食べさせてもらったのが幸せ過ぎて、ちょっと舌がばかになっちゃってるかもしれないですね……!」
「霧華、かわいいぃ~! ならもっと食べさせてあげる!」
「あ、あ、あたしも……」
「ん?」
「あたしも柊和先輩に食べさせてあげたい……です……」
「……! この子は本当にもう……もーっ! ホントかわいいなぁもう~!」
「えへへへ……」
柊和に思いっきり頭を撫でられ、この上なかったはずの破顔を更にだらしなく緩ませる雲ちゃんを見て、私は思う。
どうして……どうしてこんなことになってしまったんだ……。
恐らくは、私の隣でギリギリと歯を食いしばっている護君も同じ感想だろう。まぁ、どちらかといえば困惑よりも嫉妬の色合いが強そうなので、どこまでも私と同じというわけではないだろうけれど。
「ね、姉さん……その、僕もりんご……」
「護はまだ勝手に食事を摂っちゃダメでしょ。どうしても食べたいっていうならそこの可愛い女の子に頼んでみれば」
「ぐっ……!」
護君が堪らず声を掛けると、柊和はそう言って冷たく突き放した。
さっきまでニッコニコだったのが一転、スンッと感情の薄い表情に変わってしまったのが相当キツかったのか、護君は苦しそうに顔を歪めてそれ以上何か言うのを諦めてしまった。
柊和が護君を冷遇するなんて……まず本心じゃないにせよ、現実にこんな現象が起こり得るとは思わなかった。
「ひ、柊和? 軽く困らせてやろうと冗談で当てつけしてるつもりかもしれないけど、その手段は洒落になってないよ? 軽い気持ちで手を出したら、気付いたときには取り返しがつかなくなる一本道だよ?」
「はぁ? 何をわけのわからないこと言ってるの?」
「なんでわかんないんだよ、こんな時に限ってぇ! いつもは無駄に冴えてるのに肝心な時ばっか鈍ってんなその頭ぁ‼」
「は~? 意味わかんないし……霧華は美咲の言ってること、わかる?」
「わかんないです! それよりも次は桃が食べたくないですか?」
「いいよ、私が剥いてあげるね~」
「やったぁ!」
「……それ、僕の分でもあるはずなんだけどなぁ」
雲ちゃんめ、わかり切ってるくせに白々しい真似をしおってぇ……!
この機を逃せばもうチャンスはないとでも言わんばかりにノリノリで柊和との蜜月を過ごしやがる。
隣にしょんぼりしている護君がいても平気な顔して柊和だけに首ったけだ。
なんという執念。
迷う様子すら見せずに友情よりも恋情を選んだその姿勢はいっそ清々しさすら覚える。
ど、どうすればいいんだ。
このままじゃ柊和の貞操が危うい上に雲ちゃんの手首に手錠が掛かりかねない。
柊和は懐いた子犬を甘やかす程度の認識かもしれないけど、とんでもない。今の雲ちゃんは子犬の皮を被ったケダモノなのだ。
けど、護君と私じゃ強引な手段しか選べそうにないし──
「私を置いて、皆わいわいと楽しそうだなぁ……」
──こういう時頼りになるはずの詩葉先輩は何故かいじけてしまっている。
全然置いてかないから、私と護君と一緒に危機感を持って欲しい。
先輩の大切な後輩二人の未来が掛かってるんですよ。
そこのところちゃんとわかってます?
「み、美咲さん、一体どうすれば……」
「う~ん……経験則で言えば、今ばっかりは護君が攻めても逆張りでガードが固くなっちゃうと思うし……あぁ、柊和の面倒さと雲ちゃんの執念が絡んで……もはやこれ、詰んでるのでは?」
「諦めたらマズいですよ!」
「見て霧華、また人前でこそこそやりとりして。本当やらしい……ふんっ」
「そんな……あたしなら、柊和先輩にそんな思いさせないのに……」
「えっ……///」
た、大変だ!
雲ちゃんがいよいよ柊和を口説きに掛かってしまった!
傷心中で面倒な柊和は簡単にぐらつくぞ!
基本的には例え傷心中でも鉄壁のガードではあるんだけど、一度懐に入れた相手には基本的にノーガードになっちゃうから!
ま、マズい……このままでは本格的にやらしい雰囲気に……ここ病院なのに‼
護君と顔を向き合わせて二人で「どうしよう」と慌てふためいたその時……
──ガララッ!
病室のドアが、雑に開かれる音がした。
それが私と護君にとって救いを齎す福音だと、ドアの方を振り向いた瞬間、すぐに悟った。
「戻ったぞ~‼」
「「飛鳥さんっ⁉」」
「お~⁉ なんかいつの間にか勢ぞろいじゃん! おは~! なになに、皆して学校抜け出してきたんか~? さっすが、アタシの後輩なだけあるな~!」
柊和と護君、二人揃って目を覚ましたからだろう。
昨日までの苦しい状況でも、少なくとも私たちの前では決して一度も弱音を漏らさず、常に明るい表情を振りまいていた飛鳥さん。そんな彼女が本領発揮とでも言わんばかりに、本来の曇り一つない晴れ晴れとした笑顔を浮かべて病室に姿を現した。




