リップヴァンウィンクル。
「いやぁ~、まさか夢魔の毒にやられているとは、拙者まだまだでござるな」
たくさんの料理がテーブルに広げられている中、ナイトが頭を掻きながら極めて明るく言い放った。
しかし我子はそんなナイトに笑みを携えて近づき、ハリセンを空いた手に叩きながら彼の背後に立つ。
「いやぁ~ハハハ……」
「ねえナイト、一つ聞きたいんだけれどいいかしら?」
「ハッハッハ、アンジュ殿、拙者はないとうでござるよ。いきなり名前で呼ばれると――まじ体が震えてきやがるでござる」
「そう、ちゃんと危機察知能力は働いているようね。それでナイト、正直に答えなさい。あんた昨日どこ行っていたのかしら?」
ルーアとフィリアム、ミリアが料理を忙しなく運んでいるのを横目に、我子はこれでもかという張り付けた笑顔をナイトに向けた。
そんな2人を見ていたウルチルがため息を吐き、彼の隣にいたルウが口元を覆って笑った後、ハーブティーを口に運んだ。
「あ、ああっそうでござったそうでござった。今日はアンジュ殿が美味しいと言ってくれた料理をたくさん作ったでござるよ。褒めてください」
まったく似ていないルーアの物真似に我子は額に青筋を浮かべ、ついには指の骨を鳴らす。
しかしそんな動作をとりながらも外面はあくまでもクールに。そう心掛け、口を開く。
「ええそうね、見ただけでも、香りを嗅いだけでも美味しそうなのがわかる料理だわ。相変わらずいい仕事するわねあなたは」
「……あの、本当に褒めないでください。まるで拙者これから処刑されるのではないかと錯覚するでござる」
「あら、処刑される覚えがあるのね? で、昨日はどこに行っていたの?」
ナイトが体を震わせ、床に目を落としながらあちこちに視線を投げていた。
しかし我子はそれをわかっていながら、さらに優しい声色で彼に尋ねる。
「そうね、もっと具体的に聞いた方が良かったわね。あんた昨日の夜、ウルと別れた後どこにいったのかしら? 昨夜あんたと行動を共にしたベンル、サイフォン、アンダラーも同じ病に侵されていたようだけれど」
漁師のベンル、ギルド協会のサイフォン、ミスティックルナーと呼ばれる我子がアイテム作りを依頼しているギルド所属のアンダラーがナイトと同じ症状になっていた。
「あ、いや、その……」
「ナイトぉ?」
ニコッと魅惑的な笑みを浮かべる我子にナイトは飛び上がり、そのまま着地して正座すると床に頭を叩きつけた。
「申し訳、ございませんでしたぁぁ!」
「いきなり謝られても何に謝られているのかわからないわよ」
「いえ、それはそのぉ」
ナイトがチラチラとルーアとウルチル、ルウに目をやり、言い淀む。
するとウルチルが子ども扱いするなと声を上げ、頬を膨らませた。
「……ああそうね、下半身の尊厳より受ける尊厳を失くす方が辛いわよね。でも言いなさい」
「オーガっ!」
「誰が鬼よ誰が」
しかしついには諦めたのか、ナイトが手を組んで指をいじらしく動かしながらポツリポツリと話し出した。
「一応言わせてもらうでござるが、あれは付き合いでござる。拙者決してやましいことはしていないでござるよ、本当でござる。そもそも片タマなぞ見せられないでござるよ」
「やかましい」
我子はナイトの頭をハリセンで引っ叩くとため息を吐く。
今回の事件、それは夢魔たちが街で風俗店を開いたことに原因がある。
彼女たちには彼女たちの目的があったらしいが、それを知らされていなかったミリアからそれ以上を聞くことができず、とにかく男を手玉に取り精気を取り出していたとのことだった。
つまりナイトはその店に行き、いかがわしいことをしていないと言っても彼女たちに魂を委ねてしまった。
それがあの怠さの原因だった。
そして我子はミリアから教えてもらった生命力を上げる秘薬をハーブティーに混ぜ、それをお試しで売り出し、この病を治したのだった。
結果は上々、店を開く前のパフォーマンスとしてはこれ以上ない成果だったといえよう。
「まああんたも男だから別に行くなとは言わないわ。でもうちのギルドはただでさえ子どもが多いのよ? 今日だって2人増えたし、正直大人なんて言えるのはあんたとウチくらいなものでしょう? だから少しは慎みなさい。それで、もし我慢できなくなったのなら――」
我子が着ていた制服のリボンを解き、ゆっくりとした手つきで第一ボタンから順にボタンを外した。
「ウチがどうにかしてあげるわよ」
「――」
我子はこの手の誘惑には相当自信があった。
しかしナイトの反応は、まるで苦虫どころか毒虫を噛み潰したような表情のそれで、体を震わせて両手に金貨を握り、それを我子に差し出したのだった。
「勘弁してください」
「おい、美少女の誘惑だぞもっと言うことがあるだろうが」
「い、嫌でござる! 拙者まだそそり立つ尊厳を失くしたくないでござる! い~や~で~ご~ざ~る~」
「よしはっ倒す。二度と立ち上がれないようにしてやる」
「どっちをでござるか!」
「両方」
逃げ出そうとするナイトの首根っこを掴み、ブンブンとハリセンを振り回しているとルーアが食事の用意ができたと伝えに来たために我子は彼を下ろす。
「さて、戯れはここまでよ。ほらナイト、あんたも新人2人に挨拶しなさい」
「うっうっ、堪忍でござるよぉアンジュ殿~……っと、そうでござった。ルウ殿とは一度顔を合わせたでござるが、しっかりとあいさつをしていなかったでござる。それにミリア殿とは初対面でござるからな」
ナイトが懐っこい顔でルウとミリアに近づき、自己紹介をする。
「ナイト=ヴァイスでござる。一応ゴールドランクでござるが、まだまだ下っ端の身、なんでも言ってくだされでござる」
「ええ、今朝は騒がしくしてごめんなさいですわナイトさん、あなたの噂もかねがね、たくさん聞いていますわ」
「ほぅ、拙者の活躍がたくさんに行きわたるのはこう、照れるでござるな」
「全裸で魔物の群れに突っ込むヤバい奴と」
「ハッハッハ、勇敢さの噂が出回っているでござるか~」
ナイトは目を逸らしたルウから次はミリアに視線を移した。
「初めましてでござる。ミリア殿は夢魔でござるな。それなら暫くの間はそれを隠した方が良いでござるよ」
「……どうして?」
「アンジュ殿の手のものだと知って手を出す者はいないと思うでござるが、それはまだ広まっていないでござるからな。いかがわしいことを考えて近づく輩もいるかもしれぬ。故に念のために暫くはアンジュ殿かルーア殿、フィム殿かルウ殿と一緒にいるのが良いでござるよ」
「意外とまともなんですのねこのゴールド」
「残念ながらアンジュに唯一説教できる常識人だ。実力もあるし、街での人望もある」
「見かけによらないと言いますか何と言いますか。ああそうですわ」
ウルチルと話していたルウが手を叩き、ナイトに提案をした。
「男の尊厳と言われてもよくわかりませんが、もしよろしかったら私が開発させた秘薬、使ってみませんこと?」
「ほ? それは一体」
「幼いころに私の体質に目を付けた異常者たちが、私の体から抽出したどんな怪我でも一瞬で治る薬ですわ。今回は迷惑をかけましたし、一本譲りますわよ」
目を見開き、ルウに瞬時に近づき彼女の手を握るナイトに我子は呆れつつも、一体ルウはどういう人生を歩んできたのかとさらにため息を吐く。
そして宝物のようにルウから受け取った薬を掲げて涙ぐむナイトを無視しつつ、我子はテーブルで待っているルーアとフィリアムの傍に行き、疲れたように息を吐く。
「アンジュ様ぁ? お疲れですかぁ」
「うん、内藤の相手は疲れるわ」
「でもアンジュちゃん楽しそうじゃない」
「楽しくなかったら追い出してるわよあんな変態」
ルーアとフィリアムをそれぞれ片方の膝に乗せた我子は酒を呷ると、ふと羨ましそうな顔をミリアが浮かべていることに気が付き、彼女を手招きする。
「どうミリア、これがウチのギルドよ」
「……う、うん、まだ、ちょっと不安、だけれど」
彼女はルーアとフィリアムを見て肩の力を抜いた。
「……素敵な、場所だと思う。お姉さまも、いるし」
「そう、気に入ってくれたのならよかったわ。みんな仲良くするのよ」
隣の椅子をくっ付け、肩にもたれかかるミリアに微笑みを浮かべるとそうだと声を上げる。
「商業、というか喫茶の方はあなたたち3人とルウに任せるからそのつもりでお願いね。制服の方はウチが作ってるから期待してて」
「え、アンジュちゃんが作るの?」
「なぁにフィム、ウチの手作りじゃ不満?」
「そうじゃないけどさ~」
期待していない様子のフィリアムだが、実物を見たらきっと気に入ってくれるだろうと我子は胸を張る。
そして未だに薬を拝んでいるナイトと呆れているウルチルとルウに向けて手を叩き視線を集める。
「ほらあんたらもさっさと席につきなさい。せっかくの料理が冷めるわよ」
我子は3人を呼ぶとルーアたちも席につかせて食事を始める。
そして各々が食事をしている姿を我子は目を細めて見ているとルーアが首を傾げており、彼女に目を向ける。
「ルーアありがとうね、最初にギルドを作ることを提案してくれて」
「いいえ、ギルドを作ったらきっとアンジュ様も喜んでくれると思ったので提案したですよ。それにわたくしもこんなに楽しいギルドになるとは想像もしていませんでした」
「そうね……」
我子はふと、自分がいた世界に想いを馳せる。
「アンジュ様?」
「ウチね、ちょっと不安だったのよ。始まり方も始まり方だったし、ウチがやらかしたことのせいで引き返せもしなかった。でも最初にルーアが声を掛けてくれて本当に安心できたの」
最早遠い記憶にすら思える世界の造形を我子は頭の隅に追いやるのだが、それでも追い出せない記憶があった。
「ウチがいた場所でもいつもこれだけ賑やかだったわ。手間のかかる幼馴染にヤンキー風の照れ屋、可愛いと格好良いを履き違えた可愛い女の子、他にもたくさんの人に囲まれていたわ。新しい人生を。なんて言われてここに来たけれど、ウチが求めていることなんてどこに行っても同じなのよね」
遠くを見つめていた我子の横腹にルーアが飛び込んできた。
そして彼女が我子を上目遣いで見つめ、瞳をプルプルと震わせていた。
「……大丈夫、どこにも行かないわ。今のウチの居場所はここだけよ。だから――」
酒瓶を呷って大きく息を吸った我子は愛おしい気持ちでルーアを撫でる。
「精一杯今を謳歌しましょう。どんなことが起きても、何が起きても、ウチは二度と手放さない。ルーアがそうやって抱き着いてくれるのなら、ウチはそれを受け止めて優しく抱きしめるから」
「はいです、アンジュ様」
我子は一頻りルーアを撫でると宴の様子からあることを思いついていた。
そして猫のように甘えてくるルーアに目をやると決めたと言う。
「何をですかぁ?」
「ギルド名よ。エンブレムは後々ミスティックルナーにでも頼むわ」
我子は酒を呷るとその名を口にする。
「今日からこのギルドは『夢幻の後の栄光を(リップヴァンウィンクル)』よ」
こうして、冒険者の街・ウィンチェスターに新たなギルドが正式に立ち上がった。
名こそこの世界で知られていない物語であり、しかもいい意味で使われないこともある物語だが、それでも我子には先にあった世界を幸福だと思わずにはいられなかった。
周りに知り合いなど誰もいない。あの頃の自分とは変わってしまったのかもしれない。
だが確かに言えることは今の時、我子にとっては幸せな光景で、それを守りたいと思えた。
新しい世界で、新しい人生を。
想定していた物より多少の相違はあった物の、それでもこの現状をまるで砂糖菓子を口に含んだようなひと時と思えて仕方がなかった。
「お、アンジュ殿こちらも美味しいでござるよ~自信作でござる」
「おいルウ、僕の方が先輩なんだから少しは遠慮をだな」
「名前でも書いておけばいいんですわ。というか本当に人は見かけによらないですわね、これをナイトさんが作ったとは……私の専属料理人にも引けを取らないですわよ。ああもちろんルーアさんの料理も美味しいですわよ」
「だからおい! 僕の分も残してくれよ」
程よく酔っぱらうナイトと料理を横取りされて子どもっぽく頬を膨らませるウルチル、お嬢様らしく上品に料理を口に運ぶルウ。
3人をそれぞれに見て我子は頬杖を突きながら呆れたように口を開く。
「あんたらやっぱりなんか違うのよね~」
そんな言葉が宴の喧騒に消え、我子は酒を呷るのだった。
一旦こちらは完結です。
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