イルダート36
爆散した土塊は、もうもうと土煙を上げて立ち込めた。
それを突っ切り、リザリスは巨神へ向けて、突撃槍を構えて突貫する。
唸る突撃槍の後部からは、燐火を混じらせた白煙がたなびく。
いまや、突撃槍本体もとんでもない熱を持っているのだろう。
払った土塊までが焦げ付き、こびりついた欠片は、ドロリと熔けだしていた。
リザリス本人も、『スカーレットドラグナー』の『生体保護術式』がなければとっくに骨ごと焼かれていたことだろう。
槍を掲げ、火花を軌跡に走るリザリスを向かえ打つのは横から、ゴオウと、台風じみた風切りで振るわれた巨神の平手。
「ちぃっ!」
方向を上方へ修正、置き土産に踵から焔を噴き出す蹴りを見舞って、人差し指を壊した。
そして、巨神の手首に向かって、上から巨槍を衝き立てる。
ぐずずと、根本まで突き入れると、横に振り抜き、とどめに回転して、ぶっ叩いた。
べきり、巨槍を横に振り抜いたことで出来た切り口から、巨神の手首が割れて、吹き飛ぶ。
各部から、噴き出す炎熱による補助があって成立する力業に他ならない。
再び額の男へ向けて跳ぼうとしたリザリスは、二の足を踏んだ。
手、手、手。
地面から、巨神の体表から、無数に手が生えていたのだ。
さながら地獄から亡者が足掻き、求めているようだった。
貪欲に、寄越せ、寄越せと。
際限ない欲望で生者を絡めとらんとしているようだった。
おまけに、リザリスが吹き飛ばした腕の断面からも、蛆が沸くように、ぐねりながら手が生えだしたのだ。
遥か頭上では、ロンドガルがにたにた嗤いながら立ち往生するリザリスを見下ろす。
暴走した『アースディリング』は、寄り代のロンドガルの意識に姿形を依存して人型をとった。
だが、ロンドガルは、そうはしない。
巨体で圧倒しているが、人型では、所詮『一個』だ。
リザリスが岩石の塊をものともしない兵器を使う以上、砕かれて、それで終わってしまう。
だから揃えた、自由度の高い『大量』。
砕かさればいい、壊させればいい、それ以上の物量で押し潰してやればいい。
「がっはあっ」
ロンドガルが咳き込み、黒く固まった血が吐き出された。
もう、死んでいるはずの身体のためか、麻酔にでもかかったように、《アーツ》の副作用は感じない。
だけど、無くなった訳ではない。
視界にはほとんど暗幕が垂れてきていた。
さっきから頭のなかでは、血管がぶつぶつと断裂している。
(オレが先に死ぬかよお、あんたが先かはしらねえがあよお……)
にたにた、ロンドガルは嗤う。
どっちでも構うものか、せいぜいあのべらぼうな強さの少女の足を引っ張ってやるだけだ。
魔手を生む材料は、足元からいくらでも吸い出せばいい。
死ぬまで、そう、ただ死ぬまで――。
そのとき、ロンドガルはふと、気がついた。
(んんだあ? こりゃあ)
耳に、音を聞いた。
肌に、低い振動が轟いた。
グルルルルルルゥ
唸っている。
『竜』が、獲物の前で、涎を垂らして歯の隙間から補食の願望を垂れ流している。
巨槍だった。
リザリスの右手が、『スカーレットドラグナー』が、『解放』を催促していた。
リザリスは、すーっと、瞳を閉じ、突撃槍を持ち上げた。
「よくやった、想像以上に手こずった。認めてやるぞ傭兵。きさまの『執念』は脅威だった――」
すべては終わったことのように、リザリスは言う。
同じくして、巨槍と赤いラインはより熱を孕む眩い白へ、黒色だった全身鎧は紅く染まりだした。
ロンドガルの『アースディリング』の輝きが終末の日の旭日ならば、その眩しい『スカーレットドラグナー』の紅こそは、希望を喚ぶ明星か。
「――だが、わたしは越えていく。わたしはわたしの望む未来のために、おまえの『執念』を越えていくッ!!」
ゴオォオオオウッッ
巨槍が吼えた。
いよいよ紅に充ちた鎧の背部、幾何学の陣が三連し、極大の焔が噴き荒れる。
翼だった。
赤く紅い、日輪のように照らす焔の比翼がリザリスの背中に生えたのだ。
その炎熱量はすさまじく、撫でた地面は一瞬で炭化して硝子状になり、きらきらと赤煌を乱反射する。
リザリスの身体を保護する『生体保護術式』も完全な遮断はできなかったのだろう。
血汚れていた白銀の髪から、ぺりぺりと血痕が剥がれおち、いまだけは、焔の彩を映して『スカーレット』へ染まった。
『スカーレットドラグナー』
その『真価』は内包する魔導熱が、十全になってはじめて発揮される。
そして、一度『翼』を拡げた『竜』は、絶対の炎熱でもって、灰塵を降り積もらせる。
巨槍の尖端が、巨神の頭を向く。
竜のあぎとが定めるは、死してなお生きる『亡者』。
「行くぞ」
リザリスが、――跳んだ。
巨神の腕を煌翼をはためかせて、駆け抜けていく。
踏み抜いた巨神の腕は、焔に煽られ、乾き、瓦解していく。
その道の先には、無数の亡者の手。
いずれもリザリスを引き摺り倒そうと殺到してくるが、
「あぁぁああああああッッ!!」
止まらない。
突進、貫徹こそは、突撃槍の本領に他ならない。
強靭な《アーツ》による膂力で、触れる全てを真正面から、貫き壊す。
その進撃をとどめようと、リザリスの踏む腕が、少女を乗せたまま胴体へと吸収された。
リザリスの降り立ったその場所は、まさしむ亡者の巣窟と称するにふさわしいだろう。
手だ。
壁のように、群れなす魔手がロンドガルへの道を塞ぎ、リザリスを阻んだ。
それでも、リザリスは直進を選ぶ。
突撃槍の槍身表面、幾重にも幾何学の陣が展開。
次の瞬間、
グリュウオオオオオッッ!!
渦巻き逆巻く豪炎が、熱の烈風と燐火の雨を降らし、紅い嵐となって暴れまわった。
すべからく燃えた。
乾き、ぼろぼろ崩れ、吹き飛ばされ、余すこと無く、リザリスの道から消え去った。
ぶおう、焔の竜巻をつっきり、リザリスは巨神の胸を蹴り、大きく飛び越える。
空に淡く輝く月すらその紅で塗り潰して、『ヴァルキュリア』の金色の瞳だけが、戦士の末路を祝福するように、迷い無く逝けるように、爛々と輝いた。
血走ったロンドガルの目と、金色とか混じったときだった、
「おおぉおおおらあああっっ!」
大喚。
巨神の額でロンドガルが腕を振りかぶる。
きっと、とっくに限界を迎えていたのだ。だから、その腕に集まっただけの土の塊は精巧さも強度も無く、まともに拳の形も造れていない。
ヒビだらけの、まさしく悪あがきとしか思えない、ロンドガルの『意地と執念』。
「悪くない」
リザリスが微笑んだ。
まるで、本当に女神のように、優しい笑みだった。
紛れもない、最高の戦士を祝福するようであった。
赫奕する突撃槍は、ロンドガルが腕に纏ったそれを、手応えすらなく砕き、突撃槍の尖端をロンドガルの胸の真ん中へ、ぐずりと、突き刺した。
ロンドガルに、見えたのは、真っ赤と金色の一点だけだった。
(オレぁ、強かっただろおう?)
くつりと、口角を僅かに上げ、嗤ってやった。
男を貫いた突撃槍の尖端を中心に、男の身の丈を越える大きな幾何学の陣が展開する。
「ちくしょう、めが」
ゴォオオオオオオオオッッ!!
男が掠れた声で吐いた捨て台詞を、豪炎は巨神の頭ごと貪ったのである。
「さすがだ、と言っておこう」
苦笑混じりに、そう、リザリスは呟いた。
騒然な月夜の結末に、
金色の瞳と、焔の翼膜と、赤煌の髪だけが、
――燦めいていた。