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「さあ、手を出して……えっと、そう言えば名前を聞いてなかったね、探偵君」


「……まだ、名刺も渡してなかったな」


 懐から名刺入れを取り出して、その中から一枚手渡す。身体に染み付いた動作だ。


 猫柳探偵事務所所属

 犬飼 和穏


「……それで、かずやす、と読む、まあ、好きに呼んでくれ」


 包帯の女は、名刺と俺の顔を見比べながら――包帯で目を隠しているのに、そうとしか思えない動作をしながら――なにか言いたげに口をぱくぱくさせている。


「……必ず猫を探し当てることからついたあだ名が『猫探しの|成功率99.999999999%《イレブン・ナイン》』の探偵の本名が、まさか犬飼だったとは知らなかったな」


 愉快そうな声色。笑いをこらえているのか、口元が歪んでいる。

名乗る度に似たような反応をされるが、こちらとしてはあまり良い気分とは言えない。


「ファーストネームも『わおん』と読めるじゃないか、これは愉快……っと失礼。人の名前を笑うものではないな。申し遅れたが、私の名前は倉根だ。倉根真星(くらねまほ)。気軽に『まほちゃん』と呼んでくれたまえ」


「……それで、倉根さん。この水晶はどうすればいいんだ」


 名刺と交換に手渡された水晶は、俺の体温で温められるほどに、薄紅色の光を強くしていた。温められた水晶は緩やかに小さく振動しているようで、まるで小動物を掌に載せているような心地だ。


「つれない男だな、君は。女性と付き合った後で、『真面目でつまらない』とかいう理由でフラれたことはないか? ……っと、またまた失礼。話がそれるのと人の過去を探りたがるのが私の悪い癖だ。すまない」


 まったく申し訳なさそうな口調が、なおさら俺の神経を逆なでする――と思った瞬間、一転。彼女の表情が変わった。

 人を食った様な、癇に障るニヤニヤ笑いから――妖艶な笑みへ。深い闇を覗きんだ時のように、奥底を確かめてみたい気持ちと、目をそらしたい気持ちが同居している。そんな、怪しげな雰囲気。


「これは、魔術だ。でも、特別な方法なんて必要ない。ただ心を落ち着けて、その掌の水晶玉に優しく息を吹きかけたまえ。そう、自らの息で水晶を暖めるように。息に含まれる温度、湿度、そして微量な魔力――生命力と言い換えても良い――それをもって、水晶に囚われた音の記憶を解き放つんだ」


 音屋の言う通りに、俺は水晶玉に息を吹きかける。彼女の言う事に逆らおうという気など、まるで起きなかった。

 ひとつ息を吹きかけると、水晶は光をより一層強くした。もうひとつ吹きかけると、気のせいかと思えるくらいだった震えが、明確な振動に変わった。

 もうひとつ、吹きかけよう――そう思った瞬間、

 耳に息を吹きかけられた、そんな気がした。




 ねえ、と呼びかけてくる、聞き覚えの無い声。おんなの、声だ。

 俺の左耳。

熱い呼吸の音。音を聞いているだけなのに、耳たぶが熱く湿って行くような。規則正しく、はいて、吸われる空気。喉の奥で摩擦して、かすれるような摩擦音が俺の鼓膜をなでる。ひとつ、唾を飲み込む音が、呼吸のリズムを不規則にする。

 布ずれの音。すうっと、一瞬全てが遠ざかった――

 また、ふわりと、温度が近づいてくる。

 俺の、顔の、真正面に、抑えたような、呼吸のおと。

 一瞬、止まってから、くちびるに、やわらかくあつく粘っこい、水の音。

 そのまま今度は、右耳。

 空気が歯列を過ぎ去って行く[S]、柔らかく舌がはねる[K]――母音も伴わず、ただ囁くように。


 ああ、これは俺の女だ。俺はこいつが好きなんだ。

 ただ体温を感じて、ただ愛をささやいて――それだけで、幸せになれる。

 ――ああ、俺も好きだよ。愛している。



 急に、肩に何かが触れる。

 かのじょの、たいおんか。

 ――いや、違う。もっと生々しく、具体的な。



「夢中になっている所すまないがね、探偵君。それは、おもちゃのリカちゃん電話みたいなものだ。大人が夢中になって会話するものじゃない」


 倉根が、俺の肩をたたいていた。


 褥のぬくもりと香りは、消えた。夜の市場の喧騒が戻ってくる。

 ――なんだ、今のは。

 背中にワイシャツが張り付いている。熱帯夜に夢から覚めてしまったような。不快なベタつく熱気。


「……今のが、魔術か?」


「いかにも、今のが魔術さ。これはあまり需要がなくて売り物にならない音だったんだが……楽しんでいただいたみたいで、なによりだ」


 ここは夜の市場。なにがあってもおかしくないと腹をくくっていたが、まさか本当にオカルト的な現象を体験するとは思わなかった。俺が「魔術」なんてものに触れたのは、小学生の頃、妹に付き合って眺めた魔法少女が活躍するアニメーションが最後だ。


「何も言わずに私の指示に従ってくれるものだから、てっきり魔術の存在を知っているのかと思っていたよ。ただ無垢なだけだったとは、でかい図体をして、人は見かけによらないね」


「魔術なんて、知るもんか……まるで、別の場所、別の人間になったみたいだった……」


 確かに、知らない女の声だったはずなのに。ただひとつふたつ彼女の呼吸を聞いただけで、目の前に最愛の女性がいるような、そんな気持ちになってしまっていた。


「ふむ、音の主の感情に引っ張られたんだな。普通は、そこまで入り込むことはあまりないんだが……ああ、君は感受性が高いんだな。もしかしたら魔術の素養もあるのかもしれない。よかったら、私に弟子入りするかい? うまくやれば探偵なんかよりよっぽど稼げる商売だよ」


「……結構だ。俺にはまだ探偵を続ける理由がある。余興はもういいだろう、依頼の話を聞きたいのだが」


 不自然にならないように、腕時計を見る。「クラネ・トランの音屋」にやって来てから既に20分。これくらいフランクな依頼人だったら、これ以上雑談にアイスブレイクの必要はないだろう。それに、「魔術」が使えると言う事まで開示してきている。ある程度俺を信頼して、そして同時に牽制していると言えるだろうか。何れにせよ、これ以上依頼人に踏み込む必要も、ない。


「まあ、そんなにあわてなくても良いじゃないか、探偵君。実はね、こっちの都合で悪いのだが、もうちょっと待っていてくれた方が説明しやすいんだ。魔術を説明するのにどれだけ言葉を重ねるよりも、体験してもらった方が分かりやすいようにね。もう10分もかからないだろうから、ゆっくりしてくれたまえ――ああ、そうそう、そう言えば」


 そう言いながら、包帯で隠された両目で、俺を射抜く。


「先ほどの音の、お代を頂戴しようじゃないか。さっきの様子を見るに、そこそこはお楽しみいただけたのだろう?」


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