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宴の中で

 鈴鹿を越えて亀山で高時は布陣した。

 その頃、申し合わせたように背後にある越後の金杉信次かなすぎのぶつぐが国境に攻めてきたとの報が知らされた。

 伊勢と越後が共謀していたのだった。


 だが敵方には誤算があった。

 美濃が援軍をすぐに寄こしたことで、越後国境の兵は一兵たりとも動かなかったことだ。

 亡き篠田光虎しのだみつとらの治めていた甲斐・信濃方面には龍堂家家臣の中でも勇猛果敢な黒田左馬くろださますけが任されている。

 旧甲斐の兵を率いて攻め込む金杉軍と果敢に戦い戦勝を上げた。

 国内の防備が手薄になると予想していた越後軍は、当てが外れたために負け戦で逃げ帰るはめとなった。それを追撃した黒田が越後国境の重要な城、わしおか城を奪取した。

 


 伊勢の名倉軍と対峙した高時の軍は、美濃の援軍を合わせて一万三千。

 兵力はほぼ互角だが、自国の領内であることを考慮すると伊勢軍に軍配が上がる。さらに背後に広がる伊勢湾には、まだ姿を現してはいないが名倉軍の持つ鬼頭きとう水軍が控える。

 それが名倉軍を油断させた。


 対峙するや一気に正面突破で攻め込んできた高時の軍に、鶴翼かくよくの形に大きく陣形を広げていた名倉軍が包み込むように包囲を狭めて両端から攻撃を開始した。

 その途端、両端の軍の背後から一斉に火矢が射かけられ、名倉軍の兵は大混乱に陥った。


 よく観察すれば見通しの良い平野部でなく、両端に竹藪が迫る位置に布陣している不自然に気がついただろう。

 だが油断していた。だから総崩れになった軍に、大軍勢で正面から圧されてはひとたまりもなかった。

 二刻後には名倉家の主、名倉豊国なぐらとよくにとその息子、豊満とよみつは首となって高時の前に差し出されていた。

 ようやく到着した鬼頭水軍は戦うことなく龍堂に降ることになる。



「今度の戦は弘龍殿のおかげにて万事うまく行きました。龍堂高時、生涯この恩を忘れはいたさぬ。義理とは言わず本当の兄になっていただきたい程にございます」

 駿河本城に帰城した後、越後との戦での功あった黒田を始めとする将を呼んで論功を申し渡し、その後開かれた大宴会の席で上機嫌で高時が言った。

 高時の隣に座り笑顔で酌を受ける弘龍は、すっかり駿河の一員のように溶け込んでおり、周囲の諸将もにこやかに上座に並ぶ若い二人を見つめている。

 だがそれを見つめる朔夜の目は暗い。

 伏せがちの眼差しでチビリチビリと酒を口に運び、やがてふいと席を立って部屋を後にしたが、上機嫌で酒を酌み交わす高時はそんな朔夜に気がつきもしなかった。兄に似た弘龍から酒を注がれていて笑っている。

「いや、私など微力に過ぎませぬ。高時殿の采配と英断が全てを左右されたのです。雷神の如き攻めと評される戦を実際に見てまことに感服いたしました。まさに『天神の龍』の名に相応しいお方だ」

 弘龍がしみじみと噛み締めるように告げるとすぐに高時が応えた。

「それは買いかぶりですぞ。駿河には父の代からの歴戦の猛者が揃っておるからこそ戦える。俺はその力を信じているだけだ。すべては俺を支え俺に付いてきてくれている諸将のおかげだ」

 この言葉に酒を飲む家臣達が胸を熱くした。


 高時の言葉は胸に響く力を持っている。それが偽りなき心から発せられる裸の言葉であるからだろう。

 曖昧を嫌い、黒白をつけて話す。強い力で群れを率いて行く。そのまごう事なき統率力が今の高時の力の源である。


 まだ宴会は序の口だ。久々の帰還に浮かれる者、勝利の美酒に酔う者達が盛大に笑い合う。

 それをしばらく眺めていた弘龍が高時に告げた。

「飲みすぎる前に妹のご機嫌伺いに行きたいのですが宜しいですか?」

「そうでしたな。久しぶりの兄妹の再会です。遠慮なくごゆるりとお二人だけでなさるがよい。友三郎に案内させましょう」

 呼び寄せられた友三郎について本城の奥へと向かう弘龍を上座で見送る高時は上機嫌であった。



 一人部屋を抜け出て喧噪から離れた朔夜は、ふと視線を感じて溜息をこぼす。


 ――こんなところまで一人で出てきて……


 はあ、と大きく息を吐き出してから低く小さな声で呼びかけた。

「姫、城の中でも一人で歩くものじゃない」

 朔夜のひと言に、廊下の角に潜んでいた佐和姫さわひめがすっと姿を現した。


 流れる黒髪を一つにまとめ、華やかな朱の着物をまとう姿はいつのまにか輝かしいほどの乙女になっている。

 戦場を駆け回っている者にとって、この華やかな娘は毒薬でしかない。

 それも特別のキツイ毒だ。

 だから朔夜はチラリと見ただけですぐに目を逸らせて黙る。


 しばらく重い沈黙が流れ、痺れを切らせた佐和姫が口を開いた。

「朔夜、なぜ私に会いに来ない? 帰ったらご機嫌伺いに来たらどうだ?」

「……なぜ俺が?」

「なぜって……それぐらい、してもいいのではと言っているだけで……」

「必要がない」

 無茶を言う、と呆れる朔夜に佐和姫はすすっと近寄りそっと手を握った。

 いきなりのことに驚いて顔を上げた朔夜は、思わず息を飲む。黒い大きな瞳で見上げてくる佐和姫が想像以上に美しく、そしてあまりにも素直な眼差しだったからだ。

「怪我は……なかったのか? また兄上は朔夜に無茶を申さなんだか?」


 苦手だ。

 人にこうして触れられるのは苦手だ。

 それにこうして誰かから案じられるのも苦手だ。

 慣れない、慣れたりなどしない。


 だから朔夜は乱暴に佐和姫の手を振りほどくと、返事もせずにプイと顔を逸らせた。

「姫に案じられる筋合いなどない。俺が怪我をしようが死のうが高時の役に立つのなら、それで何も問題などないことだ」

「朔夜っ!」

 いきなり声を荒げた佐和姫に驚く。

「筋合いとかそんなこと、関係ない。誰かの無事を案じることに筋合いとかなど関係ないのじゃ。それにもし兄上の命で朔夜に何事があった時には私が一生兄上を恨むから! そうさせたくないのなら、朔夜は絶対に死ぬことなんて許されないのだから、覚悟しなさい!」

 一気に捲し立てて、なぜか佐和姫は目に涙を溜める。

 今にもこぼれ落ちそうな涙。思わず手を伸ばして拭いたくなり、制するように拳を握りしめる。

 大きな瞳がパチリと一つ瞬きをした途端に溜まっていた涙がほろりとこぼれ落ち、佐和姫は慌てて袖もとで顔を隠す。

「と、とにかく……無事だったならいいの、無事なら」

 投げ捨てるように告げて佐和姫は顔を隠したままでパタパタと駆けて行ってしまった。

 涙を零してしまったのがよほど恥ずかしかったのだろう。

 慌てて駆け去る後ろ姿に朔夜の口元が自然と弛み、ハッとして口を押さえる。


 ――なんだ、これは?


 胸の奥の底でほわりと灯がともったようだ。

 明るく温かく柔らかな灯だ。

 なんの感情なのか。分からない。


 戸惑う朔夜は宴席の喧噪から切り離された城の廊下で一人空を見上げて吐息を吐き出した。


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