弘龍という男
ちょうど高時が市居丹下を攻め、天皇家からそのまま京に滞在を求められていた時のこと。
とある噂に京の町は震撼した。
中国一帯を支配する強大な勢力を持つ盛一成が将軍不在の京を目指して軍勢を率いて来ている。その数三万。
その噂は瞬く間に都中に広まり、市井の人々はもちろん、朝廷の中でも上へ下への大騒ぎになった。
そこで京に滞在している高時が御所へ呼び出され、都の守護を任された。 実質上、朝廷が高時を第一と認め、朝廷が望むような成果を上げられたならば、追われて事実上不在になっている将軍の地位を与えられることも想像に難くなかった。
その高時の元に、ある男が訪れた。
同盟国美濃の伊藤宝山の嫡男、伊藤弘龍である。高時の妻の友姫の兄でもある。
年は二十一、背格好がどことなく死んだ則之に似ていた。
だから初めて弘龍が拝謁を願い出てきた時、失った兄を思い出して高時はしばし息をのんだ。
「美濃の伊藤宝山が嫡男、伊藤弘龍にございます。今度は盛一成公が京へ攻め上るとの報を聞き、美濃の軍八千を率いて参りました」
「それは有難い。ともに都を守りましょうぞ。宜しくお頼み申す」
「はっ、なんなりとお申し付け下され」
二人はすぐに打ち解けた。
義理の兄と弟だと。
しかも則之を亡くした高時の心の隙間に、どこか則之に似た雰囲気を持つ弘龍が、ぴたりとはまった。
中国の盛は途中まで進軍していたが、龍堂が都を守り、さらに美濃の軍がそれに合流したと聞き及んだためか、今回はなぜか途中で引き返し、だが進軍のその勢いで一気に四国を攻め、土佐の塙一族を滅ぼし掌中に収めて帰国してしまった。
「本当の狙いは土佐だったのかもしれませんな」
弘龍と高時は滞在中の邸の一室で酒を酌み交わしながら、今回の盛一成の動きについて論じていた。
控えるのは友三郎一人であったが、朔夜は弘龍が来て以来、念のためにと夜も高時の近くで過ごしている。だから近くにはいるはずだ。
「ときに我が妹の友姫はいかがしているかな? 駿河に戻られる折にはご一緒しても宜しいですか? ぜひ妹のご機嫌伺いなどもしとうございますれば」
「それは良い考え。是非お越しくだされ、姫も喜びましょう。弘龍殿さえ宜しければ長くご滞在下さりませ」
「有難いことだ」
兄の則之とはこうして親しく言葉を交わした覚えもない。
自害する前夜に少しばかり話をしただけであった。
その空白を補うかのように高時は弘龍を身近に置いて親しく接した。それを敏感に感じ取るのか、それとも義理兄としてか、弘龍も高時を弟のように接するようになっていた。