遣いの途上
美濃を落としたことにより、越後は容易に叩けないとふんだのか兵を引き上げ始めた。
間もなく雪の季節に入る。越後との決着は一旦小休止に入ったが、駿河本城に戻った高時に休みはない。
美濃、飛騨、三河方面の恭順を示していない領主を攻める兵を出発させ、その間に美濃を中心とした統治の下準備を行わせる。
高時の政治は善政と言える。農民の負担を減らし、商業を活発にさせ、略奪や暴力を徹底的に許さない。だからこそ新たに落とした領地も順当に高時に従うのだった。
「友三郎、この書状を届けてくれ。朔夜と共に行けばよい」
「はっ」
書状の宛名を見て、友三郎は驚きながらも笑みを浮かべた。
「秀海和尚でしたか。久しぶりですね」
「ああ、あまり無沙汰をすると煩いからな。あの和尚には俺も頭があがらぬわ」
笑いながら友三郎が運んできた茶をすする高時の表情は柔らかい。
憎まれ口を叩きながらも、和尚を慕っているのが窺える。高時が幼少時から預けられていた寺だ。友三郎にも朔夜にとってもある意味原点と言える場所である。
すぐに支度をすると朔夜と二人で禅林寺に向かい馬を進める。
ゆるゆると晩秋の道を歩く。どこからでも望める富士の峰は、すでに冬支度で、山頂はきっと凍てついているのだろう。
久しぶりの道のり、朔夜と並んで歩くのがどうにも嬉しい友三郎であった。
「美濃では大活躍だったんだってね。さすがは朔夜だよ」
我が事の如く嬉しそうに笑う。
「俺じゃない、志岐のおかげだ」
「志岐か……。そう言えば、また高時様に向かって刀を抜いたって聞いたよ。沙汰は無かったそうだけど、主に対してどうしてそんな事をするのさ。もっと別の方法でお止めすることも出来るだろうに」
「俺は……高時を主とは思っていない」
「えっ? それって、どういう意味?」
「意味など、そのままだ。俺は高時と共にいるがあいつを主と思ったことはない」
「そ、そんな……」
こんなに側に仕えて、高時の為に命を張って戦い、誰よりも信頼を得ていると思われる朔夜の思わぬ言葉に友三郎は絶句してしまう。主従で無ければ何なのだ。
ポクポクと馬の足音だけが二人の間に響く。
山の中で鳥が鳴く。もうすぐ禅林寺の山門が見えてくる。
朔夜と出会った場所。
あれはまだ春浅い朝の陽射しの中だった。
痩せこけた汚い身なりの浮浪児の朔夜を和尚が連れて来た日のことを、未だに鮮明に覚えている。
野生の獣の如く獰猛な目をして、人を寄せ付けぬ気を放ち、乱暴でぞんざいな口をきいていた子供に友三郎は怯えたものだ。
今は朔夜が好きだ。年が近い気軽さもある。美しい容姿もいい。だが何といっても優しさだ。
偽りのない言葉は時にきつくて突き刺さることもあるが、朔夜の心底には膨大な優しさが横たわっている。
人を傷つけて生きてきた負い目を持ち、それに苦しむ心根の優しさと誠実さは、こんな荒んで乱れた時代にあって希有な光を放つ。その光が人を惹きつけて魅了する。
隣の馬上にある朔夜に視線を当てる。不意にいつか抱いた不安が胸をよぎる。
(嫌だよ、朔夜……)
この不安が自分の妄想であれと願いつつ、山門下の階段で馬を下りた。




