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諦められぬ気持ち


 美濃を出立する日が来た。

 もう秋は深まり朝の冷え込みも厳しくなってきている。木々の葉は黄色と紅に染め上げられて、山に彩りを添える。


 高時に恭順を示した宝山公の三男伸龍が友姫を迎えに来ていた。その兄と共に城の庭先に出た友姫は出立する一向を涙混じりの眼差しで見送る。

 姫の目はただ一人を追い続けている。

 視線の先にあるのは、馬の鞍を整える朔夜だ。


 朝日に照らされて茶色く見える髪を風が揺らすのを、鋭く印象的な瞳が輝くのを、時折指示を仰ぎにくる部下に何かを告げる唇を、その全てを焼き付けるようにじっと見つめている。

 前夜、友姫は朔夜を呼び出し、そして意を決して告げたのだ。


「もうわたくしは高時様の妻ではありません。すぐにとは申しません。どうか姶良殿、わたくしをいつか妻として迎えてはくださいませんでしょうか」

 驚いて絶句する朔夜に弘龍が言い添える。

「友姫は幼いが故に高時殿は妻として扱われなかったそうだ。妹の一人として慈しんで下さったそうだがな。友姫は姶良殿にどうやら心を奪われたようです」

「は……?」

「そなたが父を殺めたと頭を下げに来られ、更に高時殿の刃を恐れずに止めたこと。友姫は恩を感じているのだ」

「恩などと……あれは俺が勝手にやったこと。そのようなことで軽々しく身の振り方を決められるな。女だからとて駒である必要はない」

「軽々しくなど!」

 思いの外大きな声で友姫が反論する。自分が声を荒げたことに一瞬恥じ入り、それからまたキッと顔を上げて朔夜を見上げた。

「軽々しくではございません。このような事を軽々しく言えるわけがありません。確かに恩は感じておりますが、それだけではありません。同じ年頃とは思えぬご立派なお姿や考え方に惹かれてございます。……やはり、主の妻だった女など、嫌でございましょうか」

 引き下がるつもりはなさそうだ。


 十三歳で政略結婚として駿河に送られてきた友姫。子供らしい無邪気さで高時に懐いていたが、高時もそんな幼い姫を妻としてではなく、妹の一人として可愛がってやっていた。

 その姫もいつしか強い意志を持つ女として育っていたようだ。弘龍も後押しする気である。


 溜息を吐く。火皿の上の灯心がジジっと小さく鳴いた。

「俺は……」

 息を整えると、朔夜は洗いざらい話した。

「俺は幼い頃から盗賊の一味だった。名前さえ無く人も沢山殺めてきた。龍堂に拾われただけの孤児だ。そんな俺が姫などと縁を持てるはずもない」

「そ、そのような……」

 想像さえできないだろう。そんな素性の者が今をときめく龍堂軍の一大将にいるとは予想外だったのだろう。二人とも言葉を失っている。だが弘龍はぐっと拳を握りしめた。

「……出自など問わない。今のそなたは強くて真っ直ぐな男だ。私はそなたになら負けを認められる。そう思った程だ」

「かいかぶりだ」

「かいかぶりなどではない。そなたこそ自身の価値に気がついていないだけだ。この戦乱の時代ときに、そなたのような男がどれほど必要なのかを気がついていないのか? 私は大切な妹を頼むにたる男だと確信している」

 熱く語る弘龍に向けて朔夜は首を振って瞳を伏せた。

「いけない。本当に姫の事を考えてやるならば、高時の側にいる俺を選ぶな。それに、俺は一生誰とも縁付くつもりはない。それが俺の生き方だ」

 話を打ち切るとさっさと立ち上がり、軽く礼をして部屋を後にした。


 言いたいことは充分に分かる。出自の卑しい自分。元の夫高時の側近。確かに姫の幸せを考えるならば到底選ぶものではない。

 だが弘龍は諦めきれない。何より友姫自身が朔夜を慕っているのだ。

 いや、と心の中で考える。


(私が諦めきれないのか。あの男、まだ子供のくせに強く輝くあの存在を、私はもっと身近に見ていたいだけなのかもしれない。友姫だけでなく、私も心を囚われたのだろうな)


 いつぞや高時に取り入るために自分が言った言葉を思い返す。

「あの子供の言葉に心揺らされるな」と告げた。だが今は自分が彼の言葉に心を揺さぶられている。高時が揺らされるのも無理もなかったのだ。あの言葉は嘘も偽りもない恐ろしいまでの裸の言葉なのだ。口先ではない、魂から紡がれる言葉に人は動かされてしまうものなのだ。


 声を押し殺して涙を流す妹の肩を愛しさと慰めの意を込めて抱き寄せた。


**


 弘龍は義信が治めている久能城に幽閉される事となり、一緒に出立することになっている。また駕籠に押し込まれて駿河まで帰るのだ。

 軽薄そうにいつも余裕の笑みを浮かべていた弘龍は、今は神妙に黙って駕籠に乗り込む。

 心の中で新たに生まれた想いを抱きしめて、駕籠の中に座ると目を閉じた。


 ――己の生き様は、己で見つけ出してやる……


 心にともされた灯が、揺れることなく弘龍を突き動かそうとしていた。


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