老獪な義父
「これはこれは大変にお急ぎになられたようですな」
美濃の本拠である喜島城に到着した高時一行を迎えた伊藤宝山はニヤニヤと笑いながら無遠慮に見つめてくる。周囲に居並ぶ宝山の家臣もどこか高時を軽んじている空気が漂っている。
「昨晩は千原の城にお着きだとお聞きしたが、何故かように急いで来られたのですかな? せっかちはご性分にございますかな」
ふてぶてしい程にゆったりと構えて座っている。
昨晩の騒ぎは当然聞き及んでいるはずだ。それをおくびにも出さない。だが高時とてそんなことに簡単に揺れる男ではない。
きっちりと礼をしてから真っ直ぐに宝山を睨みつけた。
「仰る通り私はせっかちでございますれば、昨晩のことの釈明をお聞きしたく夜陰の中、無理やりに馬を繰って参った所存にございます」
「昨晩の? 何かございましたかの?」
「昨晩、私の寝首を掻かんと画策されたようですが、その仕儀についてのご説明をいただきたい」
「なに? 高時公の寝首をとな! それは何と恐ろしきこと。千原のはかりごとか?」
おお、恐ろしい、などと芝居がかった大仰さで口元を扇子で覆う。周囲の家臣達から小さな笑いが洩れている。
髭の強面の男が見せるあざとい姿は、ある意味滑稽でさえある。そんなやりとりに僅かに苛立ちを感じた高時だが、かえって頭の熱が下がり冷静になる。
「千原殿は宝山公の命だと申しておりますが?」
「なに? わしが? そのような事は知りませぬな」
「では千原殿が一存で私を亡き者にしようとしたと仰るのか?」
「いかにも。わしにとって高時公は娘婿、つまり息子ではないか。そのような大事なお方を亡き者にしようなどとどうして考えましょうぞ」
「千原殿もお連れしております。この場にて再度誰の命か問われますか?」
「悪事の露見した恐れから苦し紛れにわしの命だと申したのであろう。それを再度問うても変わらぬことと思われますな。わしは千原に指示した覚えなどない」
「ほう……。あくまでも関与されておらぬと」
「当然ですな」
この狸じじいめ。
高時は心の中で悪態をつく。
見るからに千原と言う男は小心で大した事が出来るとは到底思えない。
今や多くの国を支配する高時を殺したとなれば、いかなる争乱が起こるかは火を見るより明らかだ。それを単なる小さな一領主が大した後ろ盾もなく行うとは考えられない。当然、背後に伊藤宝山の指示があったはずだ。
これ以上の問答は疲れるだけだ。この食わせ物の狸親父とは到底まともに話し合いなど出来ないのだ。
高時は意を決すると、ぐっと丹田に力を込めて宝山を睨んだ。
「そちらの意図は分かった。我が命が欲しければ奪えばよろしい。夜襲だろうが戦だろうが受けてたちましょうぞ」
「ほほう、同盟を反故にしてこの美濃と戦をしよう、そう言うのですかな」
「違うように聞こえたのなら、少々お耳が遠くなられているようですな」
「ふっ、なかなかに言うてくれますな。だがわしはそなたの岳父。父に刃を向けようと言われるのですかな」
「はっ、岳父ですか。私は兄弟も喰ろうて今の場所に座っております。血縁者を喰らうも厭わぬ者なれば、嫁の父などいかほどにも思うてはおりませぬ」
さすがにこの言葉にはニヤニヤ笑いの宝山も顔を強ばらせた。
「そちらの娘はお返し致しましょう。戦うとなれば不要なるもの。こちらで殺して差し上げてもよいのですが、私はつまらぬ質や命を欲しませぬ。明日にでもお連れしましょうか。それと、同盟破棄なれば嫡男弘龍殿はこちらで処分させていただきます」
「なっ……!」
強ばる顔が歪んだ。あまりにも高圧的で見下した物言いに、さすがの宝山も狸の仮面を投げ捨てた。
「馬鹿を申すも大概にするがいい! この青二才が! このわしに盾突く気か!」
美濃、三河、飛騨まで支配を広げて激戦をくぐり抜けてきた宝山だ。さすがに気迫が違う
。顔に朱を上らせて怒鳴る声にビクリと皆が身を震わせた。だが高時は微塵も変わらず冷えた眼差しで宝山をみている。
「最前からそう申しております。何度も言わねばご理解できませぬか? 耄碌にはちと早い気がいたしますが?」
「くっ、な、なんと礼儀知らずな……この宝山、かような侮りを受けては黙ってはいられぬわ!」
「考え違いなさるな! 先に愚弄したのは美濃の方ではないか! 元々俺は弘龍殿から受けた屈辱を晴らしに来た。話し合いにて決着なるものならと自ら足を運んだのだ。それを更なる侮りを受けた。猶予は要らぬでしょうな。この高時が首を取ろうと思われたのですから、それなりの戦支度はなさっているはず。我が軍もこちらに向かっておりますれば、遠慮のう戦支度をなさりませ」
高時の一喝に周囲は息も止めて聞き入った。
この堂々たる態度、風格。若さ故溢れる力強さ。目の前の宝山がくすんで見える。
辺りは高時の独断場だ。
誰も一言も発せずに呆然としている。
宝山もここまではっきりした決裂をこの若造から言い渡されるとは思ってもみなかったのか、強ばる顔から血の気が引いていた。
徐に立ち上がった高時が、上から宝山を見下ろして冷たく告げた。
「次にお会いする時は、首となってお会いするを楽しみにしております」
踵を返すと一切背後を気にすることなく立ち去る。その後ろに続くのは野間義信と朔夜だ。
若い主従を言葉もなく見送った。
『天神の龍』の渾名に違わぬ苛烈な勢いで、まるで全ての気力をもぎ取られて行ってしまわれたようだった。
「こ、これは……。戦の……支度を……」
切れ切れに宝山が呻いた。




