はかりごと
今夜は酒が旨い。
高時は軽快に杯を重ねる。
隣に座る女子の甘ったるい声さえ心地良い。
朔夜を単なる一家臣だと言い切った義信の言葉を聞いた時、激しい違和感を覚えた。だが、その言葉を咀嚼しているうちに、義信の言葉が正しくてどこに違和感を覚えたのかさえ分からなくなった。
そうして見れば朔夜を今まで特別に扱いすぎていたのかもしれない。
急に靄が晴れた。
今まで曇りがちだった心が晴れるようだった。
そうか、特別だなどと思うから、朔夜の行動に一喜一憂していたのだ。
単なる一家臣の言動と思えば、賞罰もためらいなく行えるし、適切な距離を保てるのだ。自分は主である。家臣の言動に振り回されていてはならないのだ。
こんな晴れやかな気分は久しぶりだ。
伊藤宝山との話し合いの前に、己の心の整理が出来たことに喜んだ。そのことに気付かせてくれた義信を強く信頼した。
その時、高時は心の中で朔夜を切り捨てたことに気がついてはいなかった。
自分の犯した感情で振るった暴力的な仕打ちの重みに苦しむあまりに、朔夜の立ち位置を貶め、自らの視界から切り捨てることで折り合いをつけたのだ。
あれは誤った事ではなかった。家臣に下す罰だったのだ。それ故、過剰に心配することもなければ、気に病むこともなかったのだと。
妥協だ。
自分を正当化するために相手を貶める。あれは相手にも非があったのだと。
切り捨てた方は気が付いていないだろう。だが、切り捨てられた方はちゃんとその心の動きを捉えるものだ。
したたかに酔いの回った高時を義信が付き添って寝所へと連れて行く。
宴席はまだまだ続いていて、歌や笑い声が夜の静寂に響いている。隣に侍っていた女子は付き添いを申し出たが下がらせた。
「義信、おぬしを連れて来て良かった。これからも頼むぞ」
着物を着替える手伝いをしていた義信は、思わず平伏した。
「はっ、この義信、命をかけて高時様に一生お仕えいたします」
「一生……か」
しゃがみ込むと平伏する義信の肩に手を掛けた。
「おぬしと初めて会うたのは俺が八つの歳であった。とても大人びて見えたがまだおぬしも十であったのだな。あれから陰日向なくよう仕えてくれている。今の俺があるのも義信のお陰だ。おぬしの母も良き乳母である。俺は果報者だな」
「もったいない、過ぎた言葉でございます」
更に深々と頭を下げる。その肩をポンポンと叩くと、すぐに寝る支度を終えて夜具の上に転がった。
義信は静かに上掛けを掛けると部屋の灯を消して隣の間に控えた。
*
ギシリ。
夜陰の静寂の中に生まれた微かな音を敏感な耳は拾った。
夜具から身を起こして辺りの気配を探る。シンと冷えた秋の夜気が揺らぐのを感じた。
――間違いない。
素早く枕元の刀を手に取ると音もさせずに立ち上がり、襖を細く開けて部屋を出る。か細い月は頂点を越えて傾いていた。
暗い廊下で周囲の闇に溶け込むように影が動いた。
その途端、朔夜は大きく跳躍して一気にその影の前に飛び出した。
「うおっ!」
突然、闇の中から飛び込んできた闖入者に驚いて影がばらりと崩れた。
五人。
男が手に抜き身の刀を握っていた。
鋭い音をさせて朔夜が鞘から刀を引き抜くと、僅かな月明かりに鈍く反射して銀色に光った。
「寝込みを襲うとは卑劣なことだな」
冷めた声の朔夜は、五人の男を前にして怯みもしない。うっと詰まった男の一人が刀を構える。
「……何とでも言えばいい。我らにとって龍堂家は邪魔者でしかない」
「それが美濃の総意か」
「そうだ。宝山公御承知のことだ」
「そうか。ならば遠慮はせぬ。ここでそなたらを斬らせてもらう」
「ふん、大した自信だな。我らは特に遣い手として選ばれた五人衆。そなた見ればまだ子供ではないか。大口を叩くとは哀れなものよの」
最初は驚いていたが、良く見ればまだ背も体も頼りのない姿の少年であることに気が付いた男たちが調子を取り戻して、口元に余裕の笑みを浮かべた。
「いくら子供と言えども、知られた以上はここで死んでもらうしかあるまい。お前たちは手筈通りに龍堂公の寝首を搔きに行け。私はこの小僧の相手を致す」
後ろに控える四人の男に指示を出した先頭にいる男が、刃を構え直して朔夜に向き直る。
すうっと流れるように男が刀を上段に構えた。瞬間、朔夜の体が低く沈んだ。
「なっ!?」
思った瞬間に、男は膝から崩れ落ちた。
その後に鋭い痛みを膝に感じて慌てて視線を落とすと、廊下の床板に黒い染みがゆるりと広がるところであった。
「ぐ、あああ」
押し殺した声で呻きを上げた男に後ろに立っていた他の四人が驚いて駆け寄る。
両膝下がすっぱりと見事な太刀筋で切り裂かれていた。
見上げると髪を下ろしてまるで女子のような少年が、血振りを終えて佇んでいる。
「おまえっ、何をした!」
「何をって……遠慮なく斬ったのだ。この男、早く手当てをせぬと命を失うぞ」
「このっ、ゆるさん!」
ここに至り、男たちは冷静さを失い、声をひそめることも忘れて大きな声で喚きながら一斉に朔夜へと斬りかかった。
廊下は広いが対することができるのは一人ずつだ。
それならば朔夜に敵なしだ。どんなに暗くても野生のカンが働くのか、迷いなく的確に動きを止めるための急所を突いてくる。一人目は右腕を、二人目は両足を、三人目が右目を斬られて悲鳴を上げたところで騒ぎを聞き付けて辺りが騒然となった。
駆け付けてきた高時と義信が目を瞠り絶句した。駆け付けた者たちが惨状に唸る。
「……こ、これは……」
残りの一人はざわめき出したのを見て慌てて逃げてしまったが、朔夜の足元には四人の男が血塗れで転がっている。手燭の灯りに揺れる朔夜の瞳が鋭く光を反射する。
やがて高時が拳を握りしめて眦をきつく引き上げた。
「これはいかなる事か! 城主を呼べ! 我が前に引きずり出せ!」
大音声が響いて、その吠えるような声に周囲の者は皆震えあがった。




