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欺き


 その部屋に踏み込んだ時、目の前に広がる出来事に高時は理解が出来なかった。


 己の妻である珠姫たまひめの部屋だ。


 相模の南條家から送られてきたとても美しい年上の姫。

 押し付けるように娶らされたが、今はこの美しい妻を大事にしていた。

 見目の美しさよりも高時を惹きつけたのは、控えめな物言いと佇まい。側にいるだけで心安らぐ人とは、このような人を言うのだと高時はつくづく自分の妻を誇りに思っていた。


 その珠姫が、弘龍ひろたつと抱き合っているところであった。それも乱れた様子で。


 三人は言葉を失って互いをしばし見つめていた。

 姫の側づきの女房が高時を止めようと足元に縋りついていた。

「こ……これは何だ!」

 高時の大きな声に珠姫がハッとして身を引こうとした。だが弘龍は姫を抱きしめる腕に力を込めて、見せつけるように頬を寄せて高時を見上げ、そして微笑んだ。


「これはこれは高時殿、いかがなされました」

 驚くでもなく慌てるでもなく優雅にさえ見える笑顔を浮かべている。唖然とする高時に、一層笑みを深めた。

「驚かれているのですか? そのご様子ではご存じなかったようですね。私と珠姫とはこちらに滞在を始めてすぐに通じ合っていたんですよ」

 何でもない事のように暴露する。さらに追い打ちをかける。

「ご存じなかったとは、よほど姫にご興味を抱かれておられなかったのではないのですか? お忙しくてもおなごには手を掛けてやらねばなりませぬよ」

「弘龍、殿……。ずっと俺をたばかっておられたのか?」

「たばかる? 滅相もない。私はただこの美しい姫を我がものにと思うただけで、高時殿をたばかるなどと、そのようなことは考えておりませぬよ」

「なっ……、ぬけぬけと。よう申された! この高時、侮辱されたからには容赦はいたさぬ。お覚悟召されよ!」

 言いざま脇差を抜き放つ。

 珠姫と側づきの女房が甲高い悲鳴を上げる。近くにいた侍女も飛び出して来て、高時を止めようと袂を掴んで騒ぐ。

 すぐに奥から騒ぎを聞きつけた佐和姫が部屋を覗き、色を失い「兄上!」と飛び出して高時の腕へとしがみつく。


「誰か、誰か! 御屋形様おやかたさまをお止め下さりませ!」

 騒ぎに気が付いた友三郎が駆け付けて高時を背後から抱きとめた。

「何をなさいますか高時様!」

「放せ友三郎! このような侮辱を許さん! 放せ!」

 怯える珠姫を抱きよせながら、余裕の笑みを浮かべて憤る高時を黙って見ている。その様子から事態を察した友三郎は、力の限り高時に縋りついた。

「いけませぬ! 今、事を起こせば美濃との盟約にひびが入ります。今はいけませぬ! どうかお静まりください」

「兄上! 友三郎の言う通りでございます!」

 腕にすがりつく佐和姫にキツイ目を向けると、佐和姫はギュッと目を閉じて唇を噛み締めた。

「くっ! どいつも、こいつもっ!」

 刺々しく言い放つや、脇差を弘龍の横に叩きつけるように投げて、荒々しく背を向ける。

 歩きながら付きそう友三郎に指示を出す。


「弘龍殿と珠姫はそれぞれ牢へ放り込め。それから内通を知っていた女ども全てもだ! 佐和も部屋に籠もらせろ」

 勢いのままに言い散らして高時は部屋の前で振り返り付き従う友三郎に告げた。

「明日美濃へ赴くから支度をせよ。供は朔夜だけだ。朔夜を部屋へ呼んでおけ」

「高時様! それは……」

 友三郎が止めようとするも、一切の言葉を背中が拒んでいた。

 怒りが冷めやらぬのだろう。床板を踏み割らんばかりに足を運ぶ。



 部屋を開け放つ。

 中は焼印を試すためにおこしておいた炭で熱気が籠っていた。それも苛立たせる。

(あいつら……)

 弘龍は人の妻を奪いながら、俺の味方のような面を臆面もなく晒していたのか。

 珠姫は他の男と通じていながら、俺に笑みを向けながら媚びていたのか。

 侍女たちは、さぞかし間抜けな夫よと嘲笑っていただろう。

 あの様子では佐和姫も知っていたようにも思える……。友三郎はどうだ?

 他にも知っている者は、俺を嘲笑あざわらい、あるいは憐れみ、そして陰で笑っていたのだろう。


 ――人は醜くて狡くてあざむく。腹の底の考えなど誰とも分かりあえない。


 本当にそうなのか? 人とはもっと分かりあえるものだろう。

 朔夜のいつかの言葉に高時は何の臆面もなく、人は信じるものだと言えていた。

(だが、お前の言葉のほうが真実だったのか。人は裏切り、欺く。醜い生き物なのか。そしてお前はどうなんだ、朔夜……)


 ダン、と強く床板を踏みならした。

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