衝動
「……高時」
開け放たれていた部屋に朔夜が顔を出す。
月を背負い一層茶色に見える髪が風に揺れる。
(お前も、俺を嘲笑っているのか?)
一度芽生えた疑念は、全ての感情を支配して目を眩ませる。何をしていても誰を見ても、自分を嘲笑い見下しているようにしか思えない。
「高時、美濃に行くのか」
「……ああ」
文机の前に座り込んだまま顔も上げずにうな垂れている高時に近づいた朔夜が折り目正しく座る。
「……昨日の事は済まない。時期が来たら話すから、今は許せ」
友三郎からあらかたの事情は聞いてきたのだろうが、その事には一切触れないつもりのようだ。それがまた高時を苛立たせる。
内心は、嗤っているのか、と。
「志岐は……奴はお前の事情とやらを知っているのか?」
聞きたくないくせに、聞かずにはいられない質問をしてしまう。口に出した途端、後悔した。朔夜の返事を聞いて尚更後悔した。
「ああ。あいつは承知している。分かって俺に付いていてくれた。だから志岐の責は俺にある。あいつを責めないでくれ。いかような沙汰も俺が全て負う」
拳を握りしめて眉間を強く押さえた。
湧きあがる感情に翻弄されそうだ。誰か、このどす黒い感情を押さえていてくれ!
高時は目を瞑って拳を震わせる。
(やめろ、お前が奴を庇うな。俺にそれを見せつけるな)
まただ。湧きあがるのは独占欲だ。
珠姫もだ。そして朔夜もだ。
なぜ俺を認めない。なぜ全て俺のものにならない。
ぽたりぽたりと落ち続ける水の一滴一滴は儚くか弱いのに、それを止められずにいると、いつの間にか甕を一杯にしてひたひたと少しずつ溢れさせ、やがて周囲まで水浸しにしてしまう。
憤りが、黒い独占欲が、疑念が、ひたひたと高時の胸中にある甕からあふれだそうとしている。抑えきれない衝動が突き上げる。
(――そうかお前も裏切るのか。俺を、嘲笑うのか)
突如、高時は刀を持ちだすや鞘を抜き放ち、灯りに照らされて光る刃を朔夜の胸元に付き付けて迫った。
「――死ぬか」
「……お前がそれを望むなら」
きっちりと座ったままで高時をきつく睨み上げる。
瞳は獰猛さを隠しているが、いつでも牙を剥こうとしている野獣のようだった。
挑むような瞳が挑発している。
お前に出来るのかと。
ふいに刀を投げ捨てるや、朔夜の着物を手荒に剥いだ。予期せぬ高時の行動に朔夜が目を見開いた。
その目が揺れている。怯えに揺れている。
怯えを隠しもせずに逃げようと背を向けた朔夜の襟首をむんずと掴むと乱暴に引き倒す。それでも逃げようと足掻く姿に、独占欲以上のどす黒い感情が湧き上がる。
怯える野獣を従えて徹底的に降伏させたくなる、それは征服欲だ。
声を失って手をばたつかせる朔夜の手首に痣がある。誰かに縛られた痕だ。
誰かがこの野獣を従わせようとした痕。その赤い痣が嗜虐心を煽った。
左肩に残る傷痕。
丹羽小次郎が残した刀傷。朔夜に残された一生消えない痕。
高時はその瞬間、無意識だった。
意識は空を漂っていたとしか思えない。
火に炙ったままになっていた焼印の鏝を手にとるや、引き攣れた刀傷に思い切り押し当てた。死ぬまで消えない丹羽の残した傷跡を、自分のものにするかのように。
「うああああ―――っ!」
絶叫が響いた。
肉の焼け焦げる嫌な臭い。
その場に崩れ落ちて白い喉を晒して気を失った朔夜を見下ろして、それから我に返った。
「なっ……、俺は……何を……」
手から鏝が落ちて、ゴトリと音を上げた。
数人の足音が響く。
真っ先に顔を覗かせたのは友三郎であった。
「高時様! 何かありましたでしょ……朔夜!?」
気を失って倒れ伏している朔夜を見て絶句した。肩は醜く焦げ付いている。足元には焼き鏝と、少し離れて抜き身の刀が転がっている。
「何が……」あったのですかと問いかけようとした瞬間、志岐が飛び込んできて、声を上げながら朔夜に駆け寄った。
「朔夜! どうした? しっかりしろ!」
朔夜の肩の焼印を見て取るや、高時を射殺さんばかりに睨み上げた。
「いくら失策の責を負わせるにしても、こんな酷いやりようはないだろう!」
志岐は朔夜が呼び出されたのを見て、何か沙汰があるのかもしれないと心配して近くで待機していたようだった。
「失策……の、責を……?」
そんなつもりは毛頭なかった高時は、志岐の言葉の意味が分からずに呟いた。朔夜を守るように抱きかかえた志岐が、更に言葉を続けようと高時を睨んで、だがその次には何も言えなかった。
呆然自失。
それ以外に言いようがない姿だった。
友三郎が話しかけても、ただひたすらに志岐の腕の中にある朔夜を焦点の合わぬ目で見ている。立ったままで、次にどうするかも分からないでいる。 まるで、迷子の子供が帰る場所が分からずに途方に暮れているようだった。
志岐は朔夜を腕に抱いたまま黙って立ち上がると、軽く一礼をして高時の私室を後にした。
志岐の去った廊下を息をするのも忘れてただ見つめて立ち竦んでいた。
そこに意識など、かけらも存在していないように……




