夜半の白い道
その夜遅くに朔夜は城を出た。問いかける門番に適当な用事を告げて出る。
(これ以上志岐に寄りかかってはいけない。一人に戻った時、俺は生きていけなくなってしまう。誰とも話さず、誰とも交わらず、それが俺の生き方だったはずだ)
半分に欠けた月が道を照らしている。白く浮かび上がる道を歩きながら朔夜は考えていた。
志岐といると、弱くなってしまいそうで怖い。心が弱くなりそうだ。不安を曝け出して、怖いのだと告げてしまいそうになる。
一度でも怖いだなどと口にしてしまえば、もう立ち向かえなくなってしまう。
志岐は強い。今の俺はそこまで強くはないようだ。せっかく話してくれたが、俺はやはり決着をつけなくてはならないようだ。
道の先に数人の男が立ちはだかっているのが見えてきた。
どこから調べたのか、朔夜が高時の元に仕えている事を知ったようで、呼び出しの手紙を送ってきたあの男が、立っている。
一人歩いてくる朔夜を蛇のような目で見つめている。口元に薄い酷薄そうな笑みを浮かべる。
いくらか距離をおいた場所で朔夜は立ち止まった。
「ちゃんと出てきたんだな、良い子だボウズ。いや、今はご立派な名前があるんだったな。姶良朔夜か。まさか領主様に仕えているとは、これはこれは立派になられたことだ」
ニヤニヤと笑う完次の声を聞いているだけで膝から力が抜け落ちそうだ。忘れられない忌まわしい声。だが抗えない声だ。
「俺に……何をさせたい」
声が掠れた。
朔夜が怯えているのを見て取った男が嬉しそうに目を細めた。
「そうだなあ。金を奪うのも悪くない。城なら一生不自由しないだけの金が唸ってるだろう。だがその前に、お前には逃げた罰を受けてもらわないとな。さあこちらへ来い。早く、さあ」
朔夜に向けて手を伸ばす。あいつが伸ばす手を拒否出来ない。決着をつけるために来たのに、一歩踏み出す事が出来ない。ここで刀を抜けば、後は霧雨が放つ衝動に身を任せて斬り伏せることなど何の造作もないはずだ。覚悟して出てきたはずなのに。
あの酷薄な瞳が見ている。忌まわしい声が呼び掛ける。マムシが忍び寄る。
ああ、ダメだ。指一本動かない。
「怖くて動けないのか? そりゃそうだろうな。俺から逃げた罰だ。今まで以上に痛めつけてやる。俺に逆らうとどうなるか、散々教え込んできただろう? もう逃がさねえぜ」
完次がくいっと顎で合図すると、脇にいた男たちが素早く動いて朔夜の手を縛り上げた。瞬時、抵抗しようとしたが間に合わなかった。
「さあ俺の所へ招待しようじゃねえか」
意識を囚われた朔夜は、身動きできないまま乱暴に馬に乗せられて、その後ろにあまり表情のない若い男が馬に跨り手綱を握った。
馬の操り方がへたくそだ。馬の歩調に調子を合わせないからやたらに体がぶれる。無駄に揺れるので手の使えない朔夜は何度も落ちそうになる。その度に男が乱暴に引き上げる。だがそのおかげで意識がはっきりとしてくる。
このまま捕らわれていてはいけない。
唇を強く噛み締めて意思を強く持つように前を見据えた。完次の背中が見える。
――見るんだ。強く見据えて、その姿に怯えるな。
今の自分は無力だった子供ではない。強い体を持ち、傍らには霧雨がいる。あんな男には負けない。必ずケリをつけてやる。
一刻ほどかかり、到着した山中の一軒の家の前で馬から下ろされた。
納屋が見える。多分、前に押し込められた納屋だろう。今度は母屋の方へ連れて行かれた。
部屋の柱に向けて若い男が手荒に朔夜を投げつける。肩を強く打ちつけた朔夜が倒れ込むと、すぐ柱に体を縛りつけた。
「おい、源太。手荒に扱うな」
源太と呼ばれた若い男は完次に形ばかり頭を下げた。男達は囲炉裏端を囲んで座ると酒盛りの準備を始める。奥の部屋には奪い取った物だろう。反物や刀が乱雑に置かれていた。
「お頭、本当に綺麗な男だなあ。早く楽しませてくれよ」
「本当だな。そこいらの村の娘っ子より上物だ」
「ひゃあ、肌の綺麗なこと。たまんねえ」
酒を口に運びながら柱に縛りつけられた朔夜をニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら見てくる。男達の視線を一身に浴びても朔夜はただ一筋に完次だけを睨みつけた。だが完次はその強い眼差しに振り返りもせずに背を向けたまま、淡々と酒を口に運んでいるだけだ。
「てめえら、勝手にこいつに手を出したら承知しねえからな」
完次の言葉に男達が不平を口にする。
「折角攫ってきたんだ。早く楽しもうじゃねえか」
そう言う男達に向けて完次は口端を引き上げて笑った。
「わかっちゃいねえな。こういう生殺しの時間は長ければ長い程恐怖を与えるんだ。例えばこうだ」
言いざま、朔夜の方へ向き直り、一膝進めて手を伸ばした。その手に朔夜は思わず目を閉じて顔を背けた。嬉しそうにマムシの目が輝いた。
「近寄るだけでも怯える。こうやって嬲るのも楽しいもんだ。まな板に乗せられた鯉とおんなじだ。いつ己は料理されちまうのかって怯えながら過ごさせるのが楽しいんだろうが」
「相変わらずお頭は好き物だなあ。怯えるのを見るのが好きだなんてよ」
「まあおなごの怯える様は確かにいいもんだがな」
「違いねえな」
ゲラゲラと下品な笑いが起きる。思わず避けてしまった自分に朔夜は嫌気がさす。
あれくらいで怯えていてはいけないと自分を叱責する。
男たちは酒を喰らいながら時々気まぐれに朔夜をからかいにくる。
顔を撫で、髪を触り、投げだしている足を撫で上げる。その度に肌が粟立ち吐き気を催す。濃い酒の匂いに気分が悪くなる。
いっそさっさと煮るなり焼くなりすればいいと思う。そう思わせるのが完次の思うつぼなのだ。奥歯を噛み締めて朔夜は耐えた。
霧雨は馬に乗る時に奪われて源太と呼ばれた若い男が奥の間に運び込んだのを見た。霧雨でなければここにたむろっている男全員を相手にするには、いくら神速の剣と言われる朔夜だとて難しいだろう。特にマムシの完次は人を殺す術を十二分に知っている男だ。動きも俊敏で容赦ない。
(霧雨……)
柱に縛りつけられてまま奥の間を窺うが、どこに置かれているのかは分からなかった。




