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更けゆく夜


 朔夜、と密やかな声で呼びかける声に素早く気がついた志岐がスッと障子を引く。

 予想した通り、佐和姫が夜の廊下で手燭を持って立っていた。

「佐和姫、このような夜更けにお一人で……」

 呆れた吐息を含み志岐の声に佐和姫はキッと眼差しを強める。

「朔夜が怪我をして戻ったと聞き及んだ。会わせて」

 誰が城の奥に住む末姫に知らせるのだろうか。小さく首をふってから志岐は静かに告げる。

「朔夜は先程眠りにつきました。怪我は大したことはありませんので姫がご心配していただくことはない」

「心配するかしないかは私が決めることじゃ。志岐、そこを通して」

「いけません。部屋に入れることはできません。それは姫もお分かりでしょう?」

 理を通そうとする志岐に佐和姫は一歩も退かない。

「一目でいい。一目、朔夜の様子を見せてくれるだけでいい。ならぬと言うのであれば一晩でもここに座り込む」


 この姫は、もう十五にもなろうと言うのにどこか幼くて、そして奔放に我が儘だ。それは志岐から見ていても気分の悪いものではない。どちらかと言えば可愛らしくさえみえる。

 朔夜のことを好いているのだろう。

 何事かあればすぐに朔夜を呼び出し、朔夜に話しかけ、そして朔夜を困らせる。

 だがそれも朔夜のように心を閉ざして人と関わりを避けようとする男には悪いものではないと志岐は常々思っていた。


 ――こんなふうにズカズカと無遠慮に踏み込む方が朔夜にとってはいいんだ

 それは志岐自身が感じていること。

 そうやっているうちに朔夜との距離はぐっと縮まっていると確信している。

 そんな人が他にもいていい。

 きっと朔夜の孤独で冷たい水を湛える心を温めてくれるはずだ。


 ふう、と大きな溜息を一つこぼして志岐は僅かに体をひねると隙間を空ける。

「……眠っているので、静かにお願いしますよ。それと、ほんの一目だけですから」

 告げた志岐の言葉に無言のまま頷いた佐和姫は、シャリっと衣擦れの音をさせながら部屋に滑り込んできた。

 しとねの上に静かに眠る朔夜の横にペタリと座る。

 敏感な朔夜だ。誰かの気配が近づけばすぐに目が覚めるのに、今夜はとても深く眠っているようだ。

 それもそのはず。先程、志岐が痛みを抑える薬を与えた。それには深く眠れるための眠り薬を練り込んでいる。

 眠ることが何よりものクスリになる。だから志岐は朔夜に与えた。

 

 ――心の痛みも、体の痛みも、眠っている間は全部忘れていろ。


 そうして静かに眠る朔夜を見下ろしている佐和姫は、キュッと小さく眉根を寄せる。

 愛らしい顔が不安に歪んでいる。

「大丈夫です。深く眠っているだけで、傷は大したことはないですから」

「そうか……ならば良いが」

 志岐の言葉を振り返りもせずにじっと朔夜だけを見つめる。

 佐和姫が細くて小さな手を伸ばしてそっと朔夜の頬に触れた。


 この手が……

 朔夜を救う手にはなってくれないのだろうかと志岐は見つめる。

 きっと朔夜とてこの幼く傲慢な姫を厭うてはいないはず。誰かに想われ、誰かを想うことで朔夜の心に特別な温もりを植え付けてはくれないだろうか。

 志岐は佐和姫をそっと見つめながら心で祈るように思った。


 佐和姫は、約束通りすぐに立ち上がり部屋から出る。

「志岐、やはり私は心配をする」

 廊下に出るやいなや佐和姫は志岐を見つめて告げた。

「紙のように白い朔夜の血の気の引いた顔も、触れても鋭く睨み付けて逃げぬ朔夜も、どれも私の知る朔夜ではない。だから、私は心配する」

 そう朔夜に告げてくれ、と言い残してまた一人で廊下を静かに歩き始めた。

 鮮やかな着物の、小さな背中を見送る志岐は、我知らず小さく笑う。


「あの姫は、朔夜のことをよく見てるじゃねえかよ」

 手を伸ばして逃げられても、睨まれても、それでこそ朔夜だと、そうきっぱりと告げる佐和姫に志岐は笑ってしまった。

 朔夜よ、と口の中で呟く。

「おまえのこと、分かってくれてんぞ、あの姫さま」

 佐和姫の去っていった夜の廊下をいつまでも志岐は見続けていた。 


***


 夜の闇に秘めやかな睦言むつごとささやかれる。

 二人の声は外に漏れぬよう互いの耳元でだけ交わされる。もう幾度か繰り返された艶めいた秘め事。夜に隠れて静かに交わされる。


「もうあなたを放したくない……」

「どうか……そのような事を言わないで下さいませ」

「あなたには私のこの想いがまだ届きませんか?」

「いいえ、違います。わたくしもあなた様から離れたくありません。でもそれは決して許されぬこと。どうかこれ以上わたくしの心を乱さないでくださいまし」

「可愛い事を申される。このままあなたを連れ去ってしまいたい」

「……叶わぬ夢でございますれば、どうか今は一睡の夢をわたくしに下さいませ」

「ああ、存分に。私の全てをあなただけに……」

 熱い吐息が後の言葉を飲み込み、しめやかな夜は更けてゆく。


 秘められ、隠され、許されざる密事を、ただ更けゆく夜だけが見ていた。

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