記憶の底
翌朝、友三郎の母が病に倒れたと報せを受けて、用意もそこそこに慌てて実家へと駆けだす友三郎に朔夜が付き添った。
馬で共に山を駆けながら友三郎は昔の事を思い返していた。
(この山で迷子になり、高時様と朔夜が探しに来てくれたんだった。あの時におぶってもらった高時様の背は大きくて暖かかった。私はあれから高時様のお役に立てているのだろうか、もっと出来ることはないのだろうか)
母を心配しながらも隣で馬を繰る朔夜に視線を飛ばす。今の朔夜ならばもっと早駆け出来るが、友三郎に合わせてくれている。
気がつけば友三郎を助けてくれていたり、手配で悩む事も朔夜がささっと処理してくれていたり、こうして何も言わずに足並みをそろえてくれる。態度や言葉はぞんざいだが、根は暖かく優しいのだと友三郎は改めて朔夜に感謝した。
「帰りはまた迎えに来てやる。山中でなにかあったらいけないからな」
家の前までついて来てくれた朔夜はこのまま引き返すつもりだ。
以前、ここに立った朔夜はまだ痩せ過ぎの野性の獣のようだった。そしておそらく初めて味わった家の暖かさに怯んでいた。
思い出して友三郎はくすりと笑う。
「もう昔とは違うから一人で大丈夫だよ。迷ったりしないって」
笑顔を見せると、朔夜が意外にも真剣な面持ちで答えた。
「ダメだ。お前に万が一の事があれば誰が高時を支えてやれる。お前だけはいつまでもそばにいてやれ。自分の価値を忘れるな。高時の為を思うなら自分の体を蔑ろにするな。いいな、帰る時には必ず迎えに来るから」
告げるや否や、馬を返して疾風のごとく戻っていってしまった。
「朔夜……まさか高時様から離れるつもりじゃ、ないよね……」
あまりにも真剣な面持ちに、言い知れぬ不安が胸をよぎった。
**
さっき通った道を馬で駆けていた朔夜の前にいきなり数人の男が立ちはだかった。
驚いた馬が嘶いて後ろ足で立ち上がる。それを巧みな手綱捌きで落馬しないように馬を止めた。
「足を止めさせてすまないねえ」
粗野な服を纏った目つきの悪い男が五六人、馬を取り囲んでニヤニヤと下卑た笑いを口に浮かべている。
朔夜には一瞬でわかった。
(盗賊か……)
以前は自分も同じ事をしていたのだ。山中で狙った男を殺しては金品を奪って生きてきた。獣と変わらぬ、いや獣以下の生き様だ。
男達の卑しい目付きに眉をひそめた。
(……そうか、自分はこんなにも卑しい目付きをしていたのか)
「ちょいと馬から降りてもらおうか。おっと抵抗しなさんなよ。俺たちはこう見えても人殺しなんざ何とも思っちゃいねえもんばかりでよ。あんたみたいな小さい武士さんなんざ一捻りだぜ」
霧雨があればここで全員斬り倒すくらいはワケはない。だが、ただ金品を欲しているだけならば渡してもいいと朔夜は思い、馬から素直に下りた。
「そうそう素直に従えば、悪いようにはしないぜ」
「おや、まだ子供か? そりゃあ驚かせてしまったな」
「この身形、良いとこのお子様だろう。たんまり金をだしてもらおうかな」
朔夜がかぶっていた笠をとると男達が息をのんだ。
「……ほう、これは……。男にしても上物だな」
朔夜が眉根を寄せる。
戦場を駆けてもなお日焼けせぬ肌と僅かに栗色掛った柔らかい髪が風に揺れた。
「これなら人買いに高く売れるんじゃないのか?」
「ああ、いい拾いもんだぜ」
「待て、おめえら勝手に話しを進めるんじゃねえよ」
「あ、お頭」
下卑た男達の言葉を遮った一人の男が朔夜に近づいてきた。
お頭と呼ばれたその男は笠を目深にかぶり、腰に二本の刀を佩いていた。 朔夜の目の前で立ち止まると、おもむろに顎に手をかけて朔夜の顔をじっと見下ろす。すぐにその手を打ち払ったが、今度はその腕を素早く取られた。
腕を掴まれた感覚に朔夜の肌が粟立つ。
既視感を覚えた。おぞましい記憶の既視感だ。
身動きが出来なくなる。
腕を掴んでいる男がニヤリと唇を歪めて笑った。
(――ああ)
意識さえ失いそうになる。
この厭らしい笑い方。
男の手に力が入った。
笑う男がゆっくりと笠を取る。目を逸らすことさえ出来ずに凝視してしまっていた。
「……久しぶりだな、ボウズ」
記憶にある厭らしい笑みを一層深くして男が告げた。
全ての力が体から抜けて行く。
朔夜は腕を掴まれたままで膝をついた。




