01-06 忘れ難き遥か遠く
会議室を出た三人は、宿舎の二階へ上がり与えられた部屋へと向かった。
八十七隊の宿舎は、一階が会議室、食堂、浴場と言った共有スペースがあり、二階以上は個室と言うシンプルな間取りだ。
途中で部屋が違うリックと別れ、アリサとレオンハートは与えられた部屋に辿り着く。
「意外と家具もあるんですね」
「そうだな。それに思ったより綺麗だな……」
二人に割り当てられた部屋の中は、そこそこに広いワンルームで、左右の壁際にはベッドとデスク、小型の本棚と更にはクローゼットがそれぞれ一つずつ並んでおり、見事なシンメトリーを描いて設置かれていた。
「どっちが良いとか希望はありますか?」
「いや、俺はどっちでも」
「まあ、どっちも一緒ですよね」
これだけ左右同じならば、あまり聞く意味はなかったかもしれない。
設置された家具以外はサッパリとした部屋は、掃除もしてあるようで直ぐに寝ることも出来そうだ。
「では、私はこちらを……」
「了解。夕飯前に荷物片付けようぜ」
部屋の中央に置かれた小さな荷物の山は、アリサとレオンハートがそれぞれ入隊が決まった際に手配したものたちだ。
小山の一つの荷物を手に取ると、アリサは左側のスペースへ歩み寄り、レオンハートは残りの荷物を全て手に取り、右側のスペースへ向かう。
「流石に少し疲れたな。運動と違ってそんなに動いてないのに。アリサは?」
「……そうですね。一日中緊張したからかもしてませんが」
レオンハートは真っ直ぐ己のベッドへ向かい、荷物を置き自身もベッドへ腰掛ける。同じくアリサも、荷物をベッドの側に置くと、座らずに部屋の中をぐるりと見渡す。
「必要なもの揃えないとな。仕切りのカーテンとかいるよな?」
「レオンハートが必要だと感じるならいると思います」
「いや、だって。必要なものだろ? ないと、ほら。着替え、とか……」
言いにくそうにぼそりと、レオンハートが呟く。
同じ部屋が避けられない以上、少しでも自分たちで工夫をせねばならない。同姓同士ならまだ我慢できるだろうが、男女となれば、お互いのプライバシーの為に仕切り代わりのカーテンは必須だろう。
「確かに。着替えの度に毎回どちらかが外で待つのも時間の無駄ですし」
「だろ?」
「では、同じタイミングで買い物に行きたいですね」
「そうだな。軍服や靴は支給されるけど、流石に個人で使うものは用意しないと」
軍が用意してくれるのは最低限のものだけ。その最低限が分からないと自分たちもものが揃えにくい。
部屋の中には他に何もないのだろうかと思いながら、アリサは自分のスペースに置かれたクローゼットの扉を開けた。
クローゼットは鍵も付いているようで、部屋の鍵とは別のようだ。これなら、個人の私物の管理もしやすいだろう。
「何かあるか?」
クローゼットの中を開け、物色するアリサの背にレオンハートは問いかける。
クローゼットの中には、二着の黒い軍服の上下。普段着用の質素なチュニックとズボンが三着ずつ。ブーツ一足と、大きめのタオルが二枚と小さめのタオルが三、四枚とクローゼットのドアを閉める鍵が入っていた。
「制服とタオルとかはありますが、生活用品は殆どありませんね。日用品は持参したものが次の休みまでは持ちそうですが、やはり買い出しは必要です」
クローゼットの中から鍵と大小のタオルを一枚ずつを取り出し、アリサは戸を閉める。
「そうだな。俺も部屋の大きさが分からないから後から送る予定だった荷物もあるし、ついでにカーテンぐらいならうちの家に余っているのを送って貰うことも出来ると思うけど、どうする?」
「レオンハートが大丈夫であれば、私としては助かります。何分手持ちが心許ないので」
アリサは話をする傍らでタオルをベッドの上に置き、荷物の中から服を一式と革袋を二つを取り出して、荷物の整理を行う。
とは言え、アリサの持ち物はこれだけで、全てが小さな鞄の中に入るものしかない。
着替え用の服一式、お金の入った革袋、下着や身だしなみを整えるちょっとした小物だけ。
それら全てをクローゼットの中に収めれば、彼女の荷ほどきは完了だ。
「……何か、言いたそうですね」
「い、いや……」
レオンハートの目は何故、アリサの荷物も手持ちのお金もそこまで少ないのか、不思議そうに瞬いていた。その素直過ぎる瞳に思わず笑ってしまいたくなるのを堪えて、アリサは話を進めた。
「私はランディム家の養子ですが、ご支援を殆どお断りしているんです」
「でも、普通は少しぐらいは……」
「こちらに来るまで、ランディム家には沢山お世話になりましたし、資金も幾らか頂きました。名前や身分も借りている身でお返し出来るものは今の私にはありませんので」
「だから、お金も極力貰わないと?」
「えぇ」
サラリとアリサが語った内容に、レオンハートは開いた口が塞がらなかった。真面目と言えば真面目なのかもしれないが、レオンハートにはある種の偏屈のようにも感じた。
そもそもとして、いくら軍が支給してくれるからと言って、成人満たない女の子が僅かな手荷物とお金だけで外に出されるだろうか。
――――義理の家族と上手くいかなかったのか。
養子になったとしても、上手く家族に慣れる訳ではない。
特に貴族の養子は、政治的な意味があるからなされる訳で、当人たちが心から受け入れている訳ではない場合も同然ある。
しかし、いくら同室になったとは言え、出逢って間もない人間の家庭の事情に一々口を出すものではないと、レオンハートは大人しく口を噤んだ。
「レオンハート。私はもう終わりましたが、荷ほどきは大丈夫ですか? 夕飯前にやらないとご飯に行く時に置いていきますよ」
「えっ? あっ、そうだな。ここでは自分でやらないとな」
荷物を置いてそのままにしてしまっていた事に気が付いたレオンハートは、アリサに促されて自身の荷物を仕分け始めるのだった。
*****
賑やかな夕飯を終えて、二人は漸く静かな空間に戻ってきた。
レオンハートは深い溜め息を吐きながら己のベッドに腰掛け、アリサはベッドに出した真新しいタオルと、クローゼットに入れていた衣類などを手に取る。
「私はお風呂に行ってきますね。レオンハートは?」
「えっ、あぁ。行ってらっしゃい。俺ももう少ししたら行くよ」
お腹を擦りながら、レオンハートは一息入れてからとアピールし、先にどうぞとアリサを送り出す。
「でも、タイミングを見計らって行かないと、また先輩方に捕まるかもしれませんよ」
「っ! それもそうだな。貴族の晩餐会とは違う意味で賑やかな食事だったよ」
クスリと小さく笑ったアリサに、レオンハートはやや驚きながらも、先程の食堂での出来事を思い出しながら笑みを浮かべた。
「皆さんお優しいですが、礼儀は無礼講と言った感じでしたね。新鮮でした」
「リックは凄かったな。全然動じてなかった」
「家族が多いと食事は賑やか何でしょうね」
「逆にクディダランの三人は早々に部屋に戻っていたな」
「貴族育ちは確かに、なかなか馴染めないでしょうね」
訓練だけでなく、生活環境も貴族が軍に馴染めない理由の一つだ。大人数での、しかも赤の他人との食事や入浴は確かに、普通の平民でも慣れないと居心地悪く感じることもあるだろう。
その理由が何となく分かった気がするアリサとレオンハートだが、二人共思ったよりは嫌な感じは余りしなかった。
賑やかな食事も、大勢いる先輩方の存在も、きっとその内肌に馴染むだろう。
「では先に行きますね。大浴場でも先輩方に捕まらないように」
「うっ……リックを誘って行くよ」
苦笑いを浮かべながら、ヒラヒラと片手を振り己を見送るレオンハートに、アリサは小さく会釈を返して部屋を出た。
与えられた浴室を探し当て、アリサは先程手渡された鍵を使いドアを開け、その部屋入った。
「ひろっ、一人暮らししてた時のアパートのお風呂より広いかも……」
中はそれなりの広さの脱衣所と浴室が連なっており、そこにある浴槽も簡易的と言っても、小柄なアリサが入るには十分な広さがあった。
後ろ手でドアの鍵を閉めて、脱衣所に簡易ランプを見つけそれを点けて、中をよくよく見渡す。
脱衣場には小さな窓と、同じく小さな洗濯物や着替えを置ける籠と、胸元まで見れるサイズの丸い鏡と、アリサの腰よりも少し大きい高さの戸棚があった。
アリサは荷物を戸棚の上に乗せる。
「流石に洗面台はないか。石鹸も備え付けっぽいし……」
戸棚の中を物色すると、中はスッキリとしており、洗剤のストックや簡易的な掃除用具が入っているだけ。
これなら自分の荷物を置いておくことも出来そうだ。
「タオルとか、石鹸とか、買い物行く時に補充かな?」
備え付けを使っても良いが、どうせなら自分の気に入ったものを使いたい。
この世界はアリサのいた世界よりも発展が遅い。
生活用品は最低限のランクには達しているが、折角魔法と言う技術があるのに、それを生活に応用されている様子がなく、アリサは所々に不自由を感じる。
大陸戦争が終わって約四十年。高度成長期があっても可笑しくはないのだが、アリサの世界と違ってこの世界は、失われても魔法の力で元の状態には戻すことが出来るものが多かった。
だからこそ技術力が発展しなかったのだが、その辺りの発展はその内どうにかなるだろうと、アリサは他人事ながら考えている。
「さてと」
アリサは浴室へ向かうと、浴槽にお湯を溜める。
「ちょっと暗いかな?」
ランプがあるとは言え、脱衣場にしかないそれはうすぼんやりとしか浴室に光が届かない。
「あっ、でも。浴室にも窓あるし、中があんまり見えない方が良いか」
脱衣場と同じ丸窓は、やや透明度が悪いとは言え、中が見えなくもない。下手に灯りを内側から灯せば、中は丸見えだろう。
「ここもカーテン買い足しかな?」
流石に覗く輩はいないと思うが、隠したい気持ちはどうしても出てしまう。
一先ずは、持って来たタオルで浴室の窓を隠して脱衣所に戻り、ズボンと上着、そして下着を脱ぐと、アリサは脱衣所に設置された鏡を見つめた。
黒髪黒目に幼さがまだ残る顔。頭に付いた幅の広いベージュのバンダナがアリサの髪には一際目立った。
「……変わったな」
己を見つめて、アリサはポツリと呟く。
長い時間をかけて、アリサの背も顔立ちも、体つきも、昔のアリサに戻っていっている。幼い少女だった姿が大人へと近付く。
それはアリサにとって、喜びでもあり、不安でもあった。
「……お父さん、お母さん、駿。やっとここまで来たよ」
己の胸元に手を当てて、アリサはポツリと呟いた。
ここまで来るのに、実に五年の月日を費やした。
変化してしまった見た目的な年齢や、行動することの出来る環境や力を整えるのにかなりの労力がかかってしまったのだ。
やっとの思いでようやく立てたスタートライン。
後はひたすら頑張るしかない。
少しずつ、確実に、ランディム領から出られずに歯痒く待っていた時よりも確かな変化を自分で起こせる。
その可能性を思うと、不安を感じながらもアリサは嬉しくて堪らなかった。
真っ直ぐに鏡を見つめて、アリサは頭につけたバンダナをそっと外した。
頭部への僅かな圧迫感が無くなり、露わになったのは髪と同じ真っ黒の色に染められた犬の耳。
開放感からかピクピクと動くそれに顔をしかめると、アリサの視界には背後でユラユラと揺れる黒く細長い猫の尻尾が映る。
五年間。アリサが拒みに拒み続け、それでも未だに共にある。忌まわしいものたち。
「部屋が同室なのは厄介だな。寝るときもバンダナが外せないし」
不運なことに同室なってしまった哀れな少年を思い出し、アリサは溜息を吐く。
集団生活を強いられることは聞いていたので、覚悟はしていたが、まさに男女同室だとは思わなかった。
軍はどこも基本的には男所帯だし、その辺が雑なのは仕方がないのだろうが、初日から随分気持ちが落ち込む仕打ちだ。
我が儘を通せば一人部屋になれるかもしれないが、そうなれば誰かにしわ寄せがいくのは確実だし、新入りが早々に迷惑をかける訳にはいかない。
男女の誤りが、と言う問題も起きかねないが、アリサはこの世界で恋愛に現を抜かすつもりは毛頭ないし、レオンハートに何かされかけても負ける気は全くないので、その辺は微塵も心配していない。どうせ力では殆どの人間がアリサに勝てないのだから。
――――アリサは亜人だ。
正確には本物の亜人ではないけれど、彼女の耳や尻尾を見たものは、必ずアリサを亜人と認識する。
亜人は人の姿をし、獣の力を持つ特別な種族。
バーネスには存在しない種族だ。
全く零ではないが、国土全体的な人口を考えれば、限りなく零に近く、人の町や村には居住を構えていない。
亜人が人の町に住んでいるのは特定の国だけで、人の町に住む亜人は特別な扱いを受けている。だから、そこ以外で亜人を目にするのは、奇跡に近いとさえ言われている。
それ故に、アリサは何があろうと、自分が亜人であると見破られてはいけないなかった。
見つかれば、どんな末路が待っているか、考えるだけで恐ろしいのは確かだ。
「お風呂、入ろう」
鏡に映る忌まわしい己の姿から目を背け、アリサは獣の耳の中に入れていた耳栓を取り、浴室に足を向ける。
ドアを開け中へ進むと、フワリと漂う湯気が彼女の身を優しく包んだ。
お風呂から上がったアリサは、体の水分をタオルで拭き取り、柔らかい生地のシャツとズボンの夜着に着替える。
「……ドライヤー欲しいな」
アリサはタオルで濡れた髪の毛の水分を取る。パタパタとパッティングを繰り返すと、次第に水気が少なくなっていくが、完全になくなるわけではない。
この世界。ヴァンガーディラ大陸には、アリサの世界にあるような家電がほぼなく、同然髪を素早く乾かすドライヤーが存在しない。
だから基本的に髪の毛は自然乾燥。もしくは魔法の力を使わなければならなかった。
火、もしくは風の魔法を使うことが出来れば、戦いに不向きな微弱な魔力の人でも、髪を乾かす事ぐらいは出来る。
特に炎はバーネスでは大なり小なり、殆ど誰でも扱うことが出来ると言えるぐらい、ポピュラーで初歩的な魔法だ。
生活のちょっとしたことに使うことが出来るので、機械は発達せず、一般的には髪の毛は自然乾燥よりも、魔法で乾かすのが常識になっていた。
しかしながら、アリサは元々この国の人間でもなければ、この世界の住人ですらない。
彼女に魔法が使えないことは、初めてこの世界に来て割と直ぐに分かった悲しい事実だ。
けれど、髪を乾かさねばバンダナが出来ない。ランディム領とは違い、忌まわしい耳を隠さなければ、アリサは脱衣所から出られないのだ。
「……はあ、仕方ないか」
諦めて溜息を吐きつつ、アリサは左手の中指に着けた金色の指輪に視線を落とした。
この、世界では名もない小さな花が五輪彫り込まれたシンプルなデザインの指輪。その花弁の中央には二ミリほどの小さな窪みがある。
デザインとして彫り込まれた四つの窪みの内、一つの窪みには、そこに収まるだけの小さな小さな青い石が収められていた。
宝石としては余りに小さすぎ、見せるものとしても道具としても不十分に感じるが、この石に関して言えば大きさはハッキリ言って関係ない。
それに、アリサは身に着けても華美ではないこの指輪を、それなりに気に入っていた。
アリサにとって預かり物でもあるそれは、いつかは持ち主に返さねばならないが、身一つで投げ出されたアリサが唯一出来る細やかなオシャレとして、この指輪は日々彼女の目を楽しませてくれている。
「こんなくだらないことに使うのを、お許し下さい」
両手を合わせて、この場にいない相手に対して謝罪をしてから、アリサは左手を軽く握り締めた。
填められた指輪の青い石が、ポワッと柔らかな光を放つと、小さな青い火の玉が生まれ、アリサの周りをぐるぐる回る。
火の玉はまるで意識があるかのように、アリサの頭の後ろ側に止まると、その身の熱で髪の毛に含まれる水分をゆっくりと蒸発させ始めた。
何度か手櫛で髪を整えると、数分後にはすっかり水気が髪から感じなくなり、火の玉は役目を終えたと言わんばかりに消え去る。
「相変わらず便利だな。魔法って……」
感心しながらも普段魔法を使わない身として、なんてくだらないことに魔法を使ってしまったのだろうと、何となく罪悪感を受ける。
元々これを自分に貸してくれた人は、こんな使われ方をするとは思っていないだろうが、背に腹は変えられない。
「今度会ったら一応謝らなきゃ……」
その時は指輪を返す時だろう。
前に会ったのがもう三年も前なので、次に会えるのがいつになるかは分からないが、その内どこかで再会出来るだろう。
それまでは、暫く指輪のお世話になろうと思いながら、アリサは耳に耳栓をつけてから、バンダナを頭に着ける。
「よし!」
顔、背面。黒い物体がはみ出ていないことを確認して、アリサは着ていた服とタオルを手に脱衣所を出た。
――――次からは服の洗剤と持っていこう。
そんなことを考えながら、アリサは少しだけ軽い足取りで廊下をゆっくり歩き出した。