第一章 宣戦布告と「算盤が狂った日」
その喧嘩、俺が買わせて貰うぜ
俺は、ひどく苛立っていた。
奥歯で勢いよく噛み砕いたコーヒー飴の甘苦い味が、今の胸クソの悪い気分をそっくりそのまま代弁している。
「――だからね、キャルル村長。その君の奇跡の力はだね、我が日本国の庇護のもとで、平和的かつ友好的に使おうと提案しているのだよ。我々が君たちを野蛮な連中から守ってあげようじゃないか」
「待ってくれ、ミスター若林。米国を差し置いて、それは無いだろう? 世界の秩序を守るのは我々の役目だ。第七艦隊はお前たちのすぐ側に展開しているんだぞ」
「ふん、我がロシアこそがその力に相応しい。資源の提供と引き換えに、確固たる同盟を結ぼう」
「いや! 我が中国こそが――」
分厚いオーク材の木扉の向こうから漏れ聞こえてくるのは、吐き気がするほど分かりやすい強欲のオーケストラだ。
ここ、マンルシア大陸の中央に位置する絶対中立特区『ポポロ村』の村長室には今、木造の部屋には場違いな最新鋭の大型モニタールームが仮設されている。
画面越しに顔を並べているのは、若林幹事長(日本)、フォークナー司令官(米国)、オルロフ大使、そして張大使(中国)。
地球という星を牛耳る、超大国のトップ陣営だった。
剣と魔法の異世界であったマンルシア大陸が、突如として地球の太平洋上に出現するという前代未聞の大異変。
当然、地球側は未知の資源と魔法技術を求めて狂乱した。
中でも彼らの目を最も血走らせたのが、このポポロ村の村長――キャルル・ムーンハートが持つ『どんな傷や病も治す月兎族の力』だった。
死者すら蘇らせるというその治癒能力は、軍事・医療のパワーバランスを根底から覆す、究極の戦略リソースに他ならない。
俺は扉の前に立ち、腕を組んだまま目を閉じた。
俺の名前は、力武義正。
かつて日本の五大商社でトップを張っていた、血も涙もない悪徳商社マンだ。
この世界に転生してからも、打算と損得勘定だけを信じ、他人はすべて盤面の駒だと割り切って生きてきた。
契約は絶対であり、利益を生まない感情など無価値。
それが俺の流儀だった。
そんな俺の狂いのない算盤を、たった一人の少女が――扉の向こうにいるお人好しの兎耳村長が、完膚なきまでにぶっ壊しやがったのだ。
「……大丈夫だよ? 皆」
扉の向こうから、キャルルの透き通るような声が響いた。
あいつは、自分を囲い込み、貪り食おうとしている腹黒いタヌキどもを前にして、怒るどころか優しく微笑んでいるのだろう。
「なかよくしよ? 私が、貴方達を元気にするから。皆が元気になれば、それでいいんだよ。……怖くない、怖くないからね」
直後、村長室の隙間から、淡く神聖な月の光が漏れ出した。
俺は思わず舌打ちをした。
あのバカウサギ。
画面越しの通信回線――あるいは目に見えない魔導のパスを辿って、モニターの向こう側にいる大国のトップたちの心身の疲労や、どす黒い悪意すらも『治癒』しようとしているのだ。
「おぉ……!? なんだこれは。長年の肩の痛みが……それに、頭の中の霧が晴れていくようだ!」
「オーマイゴッド……! なんたる奇跡だ。この力、やはり我が米国にこそ相応しい。ミスター若林、先程の提案は白紙に戻させてもらう!」
歓喜に沸くトップたちの声。
だが、俺の耳は、別の音を確かに捉えていた。
「……ッ、げほっ……!」
キャルルの、ひどく苦しげな咳き込み。
そして、床にポタポタと落ちる、生々しい血の音。
月光薬の精製や、対象の限界を超えた過剰な回復は、キャルル自身の命を削る。
自分が血を吐いてでも、敵味方関係なく手を差し伸べてしまう、救いようのないお人好し。
損得抜きの、純度百パーセントの善意。
それがキャルル・ムーンハートという少女の『無償の愛』だった。
――かつて俺が死にかけた時、俺の命を救ったのも、その馬鹿げたお人好し精神だった。
胸の奥で、どす黒い怒りの炎が爆発した。
俺の頭の中で、常に冷静を保つためにパチパチと弾き続けていた算盤の糸が、ブチリと音を立てて千切れる。
「……義正さん」
「キャルルちゃんが、いじめられてるよぉ……!」
背中の服の裾を強く引かれ、俺は後ろを振り返った。
そこには、同居人のリーザ(人魚姫)とルナ(エルフ)が、涙目で俺を見上げていた。
二人とも、今にも村長室に飛び込んでいきそうなほど震えている。
「心配すんな」
俺はスーツのポケットから新しいコーヒー飴を取り出し、口の中に放り込んだ。
「俺の女(村長)を泣かせる奴は、神様だろうが大統領だろうが、違約金で首括らせてやる」
俺は一歩下がり、姿勢を低くした。
そして――。
バンッッッ!!!
遠慮もクソもなく、特注の革靴で村長室の重厚なオーク扉を蹴り破った。
木端微塵に弾け飛ぶ扉の破片。
部屋の中に突風が吹き荒れる。
突然の爆音に、モニターの向こうで醜く言い争っていたトップたちが一斉に言葉を失った。
俺は土足のまま村長室に踏み込んだ。
見れば、執務デスクに手をついたキャルルが、口元を鮮血で染めながら、ふらりと体を揺らしていた。
俺は無言で大股で歩み寄り、床に崩れ落ちそうになったその小さな体を、片腕でしっかりと抱きとめる。
「はぁっ、はぁっ……義正、くん……? みんな……」
キャルルが、血に染まった唇で弱々しく微笑む。
長いウサギの耳が、安心したように俺の胸元でペタンと垂れ下がった。
「喋るな。馬鹿ウサギ」
俺はキャルルの口元の血を、親指で乱暴に、だが極力優しく拭ってやった。
それから、背後に控えていたリーザとルナに目配せをし、彼女を預ける。
キャルルの安全を確保したのを見届けてから、俺はゆっくりとモニターに向き直った。
画面の向こうでは、突然乱入してきた俺に対し、超大国のトップたちが不快感を露わにしていた。
「だ、誰だ貴様は!」
「警備は何をしている! 名を名乗れ、不審者め!」
ガリッ!!
俺は、口の中のコーヒー飴を、奥歯で思い切り噛み砕いた。
その乾いた破砕音が、やけに静かな村長室に響き渡る。
俺が本気でブチギレたときの、処刑の合図だ。
「はぁ、全く……」
俺は、モニター越しに並ぶ、この世界で最も権力を持つ男たちを、路傍の石ころでも見るような目で見下ろした。
「どいつもこいつもよぉ……たった一人の小娘に色目使いやがって……。あ~気に入らねぇ。最高に気に入らねぇ!!」
俺の放つ異常な殺気と威圧感に、画面の向こうの要人たちが一瞬息を呑むのが分かった。
スーツのポケットに手を突っ込み、俺は不敵に笑う。
商社マンとしての完璧な愛想笑いではない。
相手のすべてを毟り取り、絶望のどん底に叩き落とすときの、極悪人の笑みだ。
「俺か? 俺の名前は力武義正。この村の、しがない財務担当だ」
俺は、自身の持つ最凶のユニークスキル【義契取引】のパスを、彼らとの通信回線に密かに乗せながら、ゆっくりと宣告した。
「てめぇらのその傲慢な喧嘩――俺が、買わせて貰うぜ」
異世界と地球。
二つの世界を巻き込んだ、壮大な『搾取』と『逆襲』の契約が、今ここに結ばれた。
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