第九回
この日、祐介、彼は二度寝、三度寝した。
それでも時刻は午前九時だった。
一階からでも聞こえるボリュームで二階の動画の音が聞こえてきた。向かうと、香奈が美肌についての動画を観ていた。
「こらー、うるさいぞ、香奈」
「えっ、でも元々の音量と変わらないよ」
祐介は注意すると一階、書斎に向かった。香奈もついてきた。
「はい、これ」
祐介は厚い原稿を香奈に渡した。
「宿命、連載、全八回分」
「こんなにあるんだ」
と、言うと、香奈は持ち前の編集力で、あれや、これや、ビシバシ、とおかしな所を、シャープペンで直していった。
「これはなんて読むの?」
「いじっていた、だね」
このとき祐介は彼が飲んでいるコーヒーが不味い事に気がかりだった。淹れなおそうかと思った。
「わたしの小説について言及があるけど、純度が高いの?」
「純度、高いね」
「純度って何?」
祐介は困った。
「僕も、印象批評だからさぁ」
「印象批評って何?」
祐介は又、困った。
「うーん、まあ、印象で批評する・・・良い小説だったって事だよ」
「そう。ねぇそれよりさ、わたし二月の手当、祐介の口座に移したっけ?」
「いや、知らない。僕は、家計は知らない」
「うーん」
香奈は暫く考え込んだ。
「ごめん、小説途中だけれど、出かけてくる」
言うが早いが、彼女は外に出る準備を済ませ、さっさと外に出てしまった。
祐介は急に実際の、目の前の読者を失くしてしまった。拍子抜けして、まあ、それも良いでしょうと、二階キッチンに向かい、サーモスのカップにコーヒーを作りなおした。
肝心の氷ができていなかった。
そうして、くさはらのような小説を紡いでいると思っていたが、香奈のその読んでいる印象からして、彼女は、話題が、あちら、こちら、して迷子になっているのは確かであったし、大元の筋から言っても、彼の2008年頃からの東京生活、天国のようでもあり、地獄のようでもある東京生活を描く為に、どこか踏ん切りをつけて、書き出したい気持ちが増していった。
連載の幅は、それはネット発表で自由であったから、今、起きている現実の事をある程度書ききってしまえば、そちらに移りたいと思った。それでもイラン、アメリカ間の戦争の風に吹かれない事は不可避。
そもそも、東京の蒲田の寮に荷物を車で運んでくれたのは母方の祖父であった。先日、亡くなった祖母は、祐介、彼に黄色いリボンを贈ってくれた。戦いに出る者に送る慣習があったようである。
ともかく、祐介は2000年代のある時期、祖父の車に荷物を載せてもらって、東京、蒲田の寮に向かったのであった。
その寮というのが、専門学校の寮であったが、高校時代、一身、何も用意はせず、彼は入学試験を受けに行った。
入学試験は、面接試験だけだった。しかし面接試験が、ビートルズを好きな講師と、また、中学校時代からビートルズを愛聴していた祐介だったので
「ビートルズが好きです」
と、彼が伝えた途端、ちょっとしたディスカッションみたいになってしまって
ビートルズの未来〜彼らはこれからも聞かれつづけるのか?、みたいなものになってしまった。
その講師は、祐介から、色々ビートルズについて知っている情報を聞き出そうとして、そうしてくれたのであろうが、もう今後、ビートルズは聞かれない派として意見してくれた。
「それでも、ポップスとして優秀でありながらも、時代が繰り上がってゆくごとには、段々聞かれなくなってゆくでしょう。段々と」
と、そう講師が言ったとき、彼は
「現在のアーティストに対する、希望的観測みたいものが大きいのではないでしょうか」
と、食らいついた。
講師は、ちょっとやられたな、と言う顔をして
「いいよ、この子、合格でいいでしょう」
と言うことになって、祐介、彼は、専門学校で音響を学ぶ事になったのであった。
寮に入る前の持ち物検査のときに、彼はギターを持ち込んでいたのだが寮長に
「おっ、ギターか、ギター、絶対弾かないな、寮では」と念押しされた。
「はい。ギターを弾く時は近くの公園に行って弾きます」
と応えて寮の部屋に案内されたのであるが、まず気になったのが、網戸が引き裂かれていた事であった。
そうして、CDプレイヤーで、祖母がプレゼントしてくれた、ジェットストリームとの番組の音源を聞きながら、眠りに就こうと思ったのだが、当日から、上の学年の寮生がガガガ、っと、エレキギターを弾く音が聞こえて
「あ、ギター弾いていいんだ」
と思った。
ともかく寮長の采配によって、良い、悪い、判断がされる、狭く、かたっくるしい価値観で動いているコミュニティであった。
入学祝としてビールが振るわれたのであるが、誰かの保護者からクレームが入ったようだ。それから寮長は、お酒を目の敵にして
「お酒を飲むと駄目な人間になるぞ」
という意見を強く言いだすように変わってしまった。
ふとスマホを見ると、香奈から「今から帰るね」とだけメッセージが来ていた。




