第八回
真夜中、一時頃起きた彼は、サーモスのカップにネスカフェゴールドブレンドの粉、砂糖、氷水を入れて、それを書斎に持っていこうと考えたのだが、運ぶ際、階段でこぼしてしまって、雑巾でそれを拭く羽目になった。
体中が何か痛かった。やはり喫煙の影響とも考えられた。今日こそは鈴木内科医院に電話をする、残りのチャンピックスを処方してもらう準備をしてもらおうと願った。
彼はハイライトの残りを喫った。そして風呂に湯を張ろうと思った。
そうして、昨日頭を掠めた思想の片鱗のようなもの、死から距離をとる事が生きる目的、について考えようと思った。
この定義を色々な事に当て嵌めていけば、自分を粗末にする、自殺、売春、戦争への介入、は駄目であった。そもそも論、死と距離をとる事が生きる目的なんだよ、と、若い人に諭す事は、あっけない考えの帰結で、インパクトには足らない、とも考えられた。そのあっけなさに、困惑されるかも知れない。そこで彼は、この思想の片鱗に、接ぎ木する事にした。
曰く、日本人というのはわらべが弱々しくも、健気にくさはらを走っているようなものだ──そんな憧憬をこの思想に接ぎ木、したのであった。
よくもまあこの世に生まれたものぞ、というのは、よくもまあこんなに健気に走りまわって、と響き合う。
一方で、わらべ、子供が遊んでいる姿を見る事は、彼にとって少なくなっていたし、この郊外も開拓されて、くさはらも少なくなっていた。
くさはらで走りまわって遊ぶわらべの姿は、祐介、彼自身の原風景のように感じられる。
そうして、その原風景を、どこか、掴んでいる限り、大丈夫。彼はそう思った。
くさはらを走っている。
いっしょに遊びまわっている友人も若い。
そこはとうに売られている土地になっていて、構いやしないで走りまわる。
虫達がいる。
そうして、ハッと気づくと、草で肌が切れて、鮮血が流れている。
くさはらで遊んで健気に走りまわっているわらべ、を一方で置くとして、しかし、好む好まざると関係なく、死、対して距離を置かず、縮めてしまったモデル、として祐介、彼は芥川龍之介を想起した。
芥川の「歯車」は何回も、何回も読んでいた。そうして「或阿呆の一生」序文に於いて、彼が「都会人という僕の皮を剥ぎさえすれば」という一節を差し込んでいる点に彼は着眼した。
芥川も、本来的にくさはらで走りまわって遊ぶわらべ、だったのである。それが都会人になってしまった事で駄目な方を向いてしまった。極端にすぎるが、祐介、彼はそう判を決したのであった。
彼は腹が減ってきて近くコンビニまで行ってチーズバーガーを買って食べようと思い立った。ティーシャツに外は寒かった。コンビニ前にライダーズの男達がたむろしていて、煙草を喫っていて、その匂いが届いてきた。
コンビニの深夜番はインド人の背の高い男性が行っていた。チーズバーガー、ポテトチップス、チャイラテを清算する際に、チーズバーガーを温めてもらった。
帰宅するとチーズバーガ―をがっついて食べた。そうしてまず、ハイライトを喫いきる、そうして風呂に入る、と算段を決めて、その実行に移した。
香奈はすやすや眠っていた。祐介にとって香奈はバックボーンを知れば知るほど、不思議な女性であった。
彼女の実家のお父さんが、政治信条として保守を掲げて、三島由紀夫を愛読していた。
それに影響されてか、皇室の話題が大好きで、祐介が、皇室プリンセス・カレンダーを買ってあげた時には喜んでいた。寡黙にいつもだらだら思考しては、書かなきゃ考えられない祐介と違って、彼女は口が達者で、例えば外国人に関する問題に関しては過敏になって、危惧を表明する事が度々あった。
しかし一方で、生活の実務を主に担う彼女にとって、苦しい生活状況に陥っても、それは個人の責任だと考えている節があった。
祐介、彼は障がい者であるというバックボーンを真剣に捉えていたし、根が単純であったから、どちらかと言えばリベラルであった。
生活苦が結局、生活のお金の心配だと考えると、現行の障害年金の額に不満を感じていたし、それが制度上、難しいとわかっていても、「富の再分配」というものは、国に対して行ってもらわなければならないと強く考えていた。
彼は社会制度上のセーフティネットはフル活用していたものだから、自然、そのセーフティネットを強化してもらいたいと素直に考えていた。
そうして、香奈の政治信条を鑑みるに、障がい者であっても、決してそれが決まりきったように、リベラルを支持するのではないという現実に、どこか、人間の謎、と不可思議を想いつつ、彼女の意見には意識して耳を傾けていたのであった。




