第6話:外より届く言葉は、時に武器となる ――お守りの文――
その朝。
彼女は、課長へ心中を告げる覚悟を胸に、
いつもよりわずかに早く、御殿へ向かう戸を開きました。
御殿へ入る前の廊下。
震える指先に、ひとつの光が宿ります。
外の世界より届いた、一通の文。
送り主は、 かつて 同じ場で 教えを成し、
肩を並べて立っていた女。
今は、 この御殿の外に 在る、 得難き友にございます。
昨夜、彼女はその友へ、
「一年、様子を見ようと思う」と伝えていたのでございます。
石の上にも三年――
そう己に言い聞かせ、
耐える道を選ぼうとしていた、その矢先でございました。
彼女は 立ち止まり、
画面を開き、
静かに読み進めました。
「返信 遅くなって ごめんね。
一年、
楽しく暮らせないと 分かっている 場所にいることを、
『仕方ない』と思わなくていいと、 私は 思う。
私ならどうするかなって 考えてみたんだけど、
今のところで 働きながら 他を探すか、
それか、 今回のことは無かったことにして、
一からやり直すかも しれない(笑)」
友の言葉は、 飾ることなく続きます。
「決まるまではあった『希望』が、
決まった途端に 消える現象、 あるよね。
だから 一度、 全部忘れてもいい。
希望も、 一から持ち直していい。
この短い間で、 こんなに 不安になるなんて、
それはあなたらしくない。
……あなたは、もう一度
『自分に ふさわしい場所』を
選び直していい人だと 思ってる」
――無かったことに。
あな、をかし。
重苦しき顔で「石の上にも三年」と唱えていた彼女の横を、
友がスキップで通り過ぎていったかのような、あまりの身軽さ。
彼女は悟りました。
この御殿が恐れているのは、 怒りでも 反抗でもない。
「外の世界の、あまりにも軽やかな正気」なのでございます。
ここでは、眉間にしわを寄せることが「誠実」の証。
だが外では、合わぬ場所をさっさと去ることが「知性」の証。
――ともとは、 何て 良きものか。
暗き御殿に 閉じ込められ、
呼吸を 忘れていた己の肩を、
外の 陽だまりから 叩いてくれる。
その温かさに、
彼女はしばらく 画面を 見つめたまま、 動けませんでした。
そして、 震える指で返信を 打ち始めたのです。
「おはようございます。
○○さんの言葉、お守りに します。
その考え方、 私には ありませんでした。
半年 経たねば
有給がないのが 難ですが、
工夫の余地は いくらでも ありますね。
自分のことのように 考えてくださる言葉、
本当にありがたく思います」
送信し、 端末を伏せる。
彼女は 一度、深く 息を 吸い込みました。
この「半年ルール」さえ、
今の彼女には、入会したてのジムの規約ほどに、
どうでもよく思えたのでございます。
続けるか、 辞めるか。
その二枚札しか 持たされていなかった 盤上に、
――やり直す。
という もう一枚の札が、 静かに 置かれたのでございました。
合わぬ場所を離れることは、
弱さではなく、
ただの「判断」にすぎない。
彼女は その言葉を 胸の奥へ 納め、
課長の 待つフロアへと 向かいます。
こののち、 霧が晴れる朝が 来ることを、
この時の彼女は まだ 知りません。
だが、 確かなことが 一つ。
人は、一人で 戦わずともよいので ございます。
外の世界から 届く、 己の価値を 正しく知る者の声。
それは時として、 どんな制度よりも、
どんな圧よりも、
戦況を 根底から 覆す「武器」と なるのでございます。
清少納言、ここに 記す。
「御殿にて 最も恐ろしきは、刃にあらず。
外より 届く、 正気の言葉なり。
己を尊ぶ心を 思い出させる 一通の文、
それこそが、 闇を裂く破魔の矢とならん」
次回予告
「――次回、
御殿の主が 浮かべた 微笑みと、
『気にしなくていい』という甘き抱擁。
その裏に隠されていたのは、
救いではなく、 新人を 静かに 壊してゆく
『管理という名の放棄』にございました」




