第35話 彼なりの優しさ
「――――――さようなら」
「はーいさようなら。皆気をつけて帰るのよー」
帰りの会が終わったが、こんなこともあるのかと、ユウは僕に1回も話しかけてこなかった。いや、ユウから僕に話しかけてきた場面なんてゼロに等しいからそんなもんか。しかし、風邪で休んでいるって体なんだから少しは心配しろよと、僕は逆恨みに近い苛立ちを覚えた。
どのみち今日は誰とも話す気がしないし、悪いがユウを無視してじゃあねも言わずにこのまま帰ろうと、1歩踏み出した。1歩2歩3歩、廊下を早足で歩く僕の横には誰もいない。
「おい、一緒に帰ってもいいか?」
すると、階段の踊り場のあたりで、ユウが横からちょこんと顔を覗かせ話しかけてきた。その素朴な少年の声はユウから発声されたものではないんじゃないかと疑うくらい違和感を感じた。
いつもだったらその役目は僕で、あいつはグチグチと屁理屈を並べながらも横にくっついて一緒に帰っているという関係性だったのに、ユウの方から声を掛けてくるだなんて、本当に珍しい。こいつはこんな素直な人間じゃないはずだ。
それは、まるで僕を気にかけているかの様だった。僕の素性を知っているのかと考えれば考えるほど恐ろしい。
それにセンチメンタルな気分の僕は一刻も早く1人で家に帰りたい。ユウの存在なんて邪魔でしかなかった。
――――――お前なんて1人で帰っちまえ。
なんて悪意の塊のような言葉を投げつけてやりたかったけど、とてもじゃないがそんな挑発的な態度は取れなかった。だって、ユウの前では元気いっぱいのミナトでありたかったから。
「あぁ、そうだな。一緒に帰ろうか!」
僕はまた気持ちの悪い作り笑いを浮かべた。
2人並んで校門を出た。誘ってきたユウは何故か一向に口を開こうとしない。それどころか挙動不審で僕をちょろちょろ見たり、そうかと思えばそっぽを向いたり落ち着きのない園児みたいだ。
「あっ、あの…さ…」
ユウが作り笑いを浮かべながら何かを言いかけた。その笑った顔に対して無性に腹がたった。
「何?何笑ってんの?」
僕はちょっと棘のある強い口調で聞き返すユウの顔は曇った。本当は「てめぇが笑ってるとムカつくんだよ!」と言ってやりたかったが、ここはぐっと堪えた。なんでムカつくのか理由を言語化するのはとても難しい。
だが、多分ユウより僕のほうが立場が下になるような気がして、それが嫌だったからだと思う。
「いや、何でも…」
またこれだ。言いかけてはやめる。ユウの悪い癖だ。
こいつはクラス替えをしたばっかりの5年生の春にだってもじもじしているから「どうしたの?」と聞いたら答えは「何でもない」だった。結局後で知ったことだが共用の掃除用具を壊してしまってどうすればいいのか僕に相談したかったらしい。
―――――――――知らねえよ。そんな事!てめえで考えろよボケ!
僕は思い出したくもない思い出に浸りながら家が真っ直ぐ連なる長い道を歩いた。真っ直ぐ真っ直ぐ、夕闇に照らされる2つの影が並んでその果てへと進んでいった。
歩いて5分が経った頃、丘へと続く小さな横断歩道の信号が赤になった。
ここの信号は青になるまでが長い。こんな気まずい状況でユウと一緒に止まりたくない。僕は苛ついて貧乏ゆすりを始めると、またユウが口を開いた。
「あのさ、お前って漫画…好きだろ?俺の家に、面白い漫画あってさ。よかったら寄っていかねえか?」
僕は軽く頷いた。別に漫画を読みたいわけではなかった。だが、ここで断ったら元気なミナトではなくなるから仕方なく家を通り越して”ユウの家”へ向かった。
彼がこの先の丘の上にある市営団地に住んでいるということは登下校を共にするようになってから話の流れで知った。きっと、ユウの家を知っているのはクラスの中で僕だけなんだろう。
そこの団地に住んでいる子供を貧乏人だとか躾がなってないだとか噂する大人もいる。そんな噂を流すことは良くないことだと重々承知しているが、ユウが無愛想で無神経なのはその環境による影響が大きいのではないかと心の何処かで卑下していた。
ユウは、一生懸命真面目にやっている人間を横目に冷笑している。本人はそういう感情を心のうちに閉まって表には出していないつもりなんだろうが、はたから見るとユウが態度や言葉の節々からすぐに分かる。この場所が、そういうの人間を1人この世に生み出してしまったんだとバカにした。
そんなことを思いながら丘を登って団地に着いた。いつ見ても煤だらけで汚らしい団地だ。白いペンキは日焼けし所々剥がれ、いかにも「ボロいですよ」と自己主張している。こんなところに住んでりゃユウみたいな人間が形成されるんだろうなと、僕は鼻で笑った。
でも、ユウの家を知っているのはこの世で僕だけでいいと思っている。成績優秀容姿端麗なユウの小汚い側面を知っているのは僕だけでいいと。彼に腹を立てながらも彼を譲りたくない独占欲のようなものに支配されていた。
奥底から青い炎のように湧いてくる怒りが静まらない僕は、すぐ目の前にある団地を見上げた。すると、突然ユウの足が止まった。
「ねぇ、何?何止まってんの?早く進んで。家にあるんでしょ!?漫画っ!ここまで来てやったんだから早く貸してよ!」
「違う。あのさ。本当は貸したい漫画なんかなくて、やっぱ話が…あるんだ」
何なんだこいつは。
彼の言葉に僕の唇は緩み、嫌な予感がした。そんな話の切り出し方をするということはきっとバレているに違いない。
だって、学校に来てない僕を不審に思って八王子警察署に聞きに行けば分かってしまうはずだ。ババアや無神経なレイが僕を気遣って事件のことを内緒にしておくとは思えない。
「その、芝公園でさ…東京記念タワーの前で…事件があっただろ?…お前が学校にいないのおかしいなって思って警察署に聞きに行こうとしたら、乙神さんとおばさんが話してるのたまたま聞いちゃったんだ…俺…。その…悪気はなかったんだが、悪い」
やっぱりバレていたんだ。
「だからってお前自分自身をあんまり責めるな!今は、整理がつかない部分もあるかもしれないけど、それは…!」
何が自分自身を責めるなだ。何も知らない癖に綺麗事ばっかり吐きやがって、こいつの飾り気のない優しさにイラッとくる。
「――――――うるさいよ!だって、お前はあの場にいなかったじゃないか!」
「いや、俺が言いたいのは…違う…」
「お前は花之木が死んだ姿も、僕がどんなアホな行動を取っていたのかも知らないじゃないか!偉そうに色々口出すな!」
僕は溜め込んでいた鬱憤を吐き出すと心がスッキリした。そうなると今度は「言い過ぎた」って後悔する。言葉にしたらもう遅いのに、後悔だけは一丁前にする。やっぱりそんな自分が一番嫌いだ。
恐る恐るユウの顔に視線を向けると珍しく愕然とした面持ちになってその場に立ちつくしていた。
いつもだったら「じゃあ勝手にしろよ!」とか怒って殴りかかってきているはずだ。
―――――――なのに、どうして今日はそんな優しいんだよ。
「うぅ、こんな業なんかっ、力なんかあったって、何も変わらなかったんだっ!」
ユウに全てを見透かされ、それでも彼を傷つける自分のあまりの惨めさに絶望し、膝をガクンと曲げ跪いた。
「僕のせいで…花之木は死んだんだ!」
「違うっ!」
「違う訳無いだろ!僕が勝手な行動をしたから…!守ってやれなかったから…!」
「違うっ!」
僕は頑なに否定してばっかりのユウに嫌気が差した。違う違う違う違うって、否定していれば僕を励ませているって、そんな自分に酔ってるんだろう。
イライラする。腸が煮えくり返る。この際だ、指の骨が全部どうなったっていい全部全部砕けちまえという勢いで僕は左手を振り上げ、地面に叩きつけようとした瞬間だった。
―――――――――――――バシッ。
ユウが鬱血するほどに力強く握った僕の左手を掴んでいた。
「たしかに、俺から偉そうにどうこう言える問題じゃないかもしれない。花之木さんがどんな人だったのかも知らないし、お前がその時どんな行動を取ってたのかも知らない。だけど、ふざけんなよっ!何が僕のせいだっ!何でもかんでも自分のせいにしてんじゃねえよっ!―――殺したやつが全部悪いに決まってんだろうがっ!」
ユウの声は感情がこもりすぎて所々裏返っていた。
大人のふりして僕達の行いを教室の隅で冷笑しているような彼がこの時ばかりは年頃の少年のようだった。
ここまで感情を表に出した彼を見るのは初めてだったから、その言葉に気を取られて腕に入っていた力がフッと抜けた。
「どうしてお前が苦しまなきゃいけないんだよ!どうしてお前が全部背負わなきゃいけねーんだよ!最後まで花之木さんの味方だったのにっ!どうして泣くのを我慢するんだよ!俺の前だからか?苦しけりゃ、好きなだけ泣けばいいだろ!別に、お前が泣いたことを誰かに言いふらしたりなんかしないんだからさ!」
こんなに好き勝手暴言を吐かれたのに逆に僕を気遣うなんて、こんなに不器用だけど優しい言葉投げかけるのなんて。ユウらしくないけど、この言葉で本当に心が軽くなって知らない間に瞳から涙が溢れていた。
「その…お前が元気ないと俺まで調子狂って気分悪くなってくるんだよ…。泣けば…その…少しは楽になるだろ?それに、負けたままはお前らしくない」
不器用だが彼なりに励ましてくれてるんだ。そして、ウジウジしていた今までの自分が途端に馬鹿らしくなって、天国の花之木にこんな姿見せるのが申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
新しい気持ち、新たな心に入れ替え、そっと立ち上がると南南東から涼しげな風が吹き僕の金色の髪は靡いた。
「ありがとうユウ。そうだよな。こんなウジウジしてるの、僕らしくない。…って、お前なりに元気づけてくれてるんだよな」
「ま、まぁ、そういうこった…って違う!これはだな…!とにかく、お前の好きな道を選べっつー話だ。俺は関係ないからな」
相変わらず照れ隠しが下手なユウだ。でも、そんなユウを見てると不思議と元気が湧いてくる。
この世は正解か不正解かの2択だけで成り立っている訳じゃないんだ。別の答えにたどり着いてもユウが一緒にいてくれる。ユウが隣で一緒に笑ってくれる。ただ彼が傍にいてくれるという事実だけで心が楽になった。
「そうだよな。こうしちゃいられない!花之木の為にも僕が犯人をとっ捕まえてぶん殴ってやる!」
「決めたのか?」
「あぁ、決めた!もう絶対に花之木みたいな人を出したくないから!」
「そうか。まぁ…その…俺の力がどうしても必要っていうなら、協力してやらないことでもないぜ」
「…ユウ…ありがとう。じゃあさ、初めに行きたいところあるんだけど、付いてきてくれるか?」
※ ※
その頃の八王子警察署には窓から橙色の夕日が差し掛かり、町内のスピーカーから『7つの子』が5時の知らせを轟かす。
「係長、今からでもミナトとゆっくり話を…」
レイは、デスクに寄りかかり呑気に仕事合間のコーヒーを飲むニキータを諭していた。
「話すことなど無い」
「でもっ、こんな別れ方じゃ誰も良い気持ちにならないですよ!係長が一番そうでしょう!ミナトだって―――」
珍しく声を荒げるレイに他の職員からの視線が集まった。そんな視線から逃げるように下を俯き「こんな頑固な人に説得してももう駄目だ」と諦めた瞬間だった。
「失礼します!ニキータ・アバカロヴァ・戸越係長に用があって来ました須藤ミナトです」
バンッと叩きつけるようにドアを開け、僕は深呼吸してから大きく1歩踏み出した。すると、今さっきまで静かにパソコンのキーを叩いていた職員たちの視線が僕とユウに集まった。もちろん僕が視線を向けているのは奥に平然と座っているババアだけだ。ここまで来たらやってやんよ。
「…須藤!もう来るなっと言っただろう!貴様の耳は腐ってるのか!」
そんな事言われたって今更「はいはい。分かりました。じゃあ帰ります」と言って引き返すもんか。
僕の足は止まらない。どんどん彼女に近づいていく。彼女の顔に近づいていく。そして彼女と僕が対になった時、中指をズボンの縫い目に揃え、腰を90度に深々と頭を下げた。
「お願いします。雑用でも掃除係でも何でもやります。文句も言いません。以前、カッとなってあなたに殴りかかったりしてしまったことはこの通り謝ります。ですから、専属能力者を続けさせて下さいっ!」
「…顔を上げろ」
また殴られるのか、殴るんだったら何度でも殴ればいい。そんなもんじゃ僕の決意は決して折れないと覚悟を決め、ゆっくり顔を上げた。
「やはり、私は…大人として失格だ…。いつもこうやって空回りする…」
その言葉は意外の一言に尽きた。ババアは一つ深い溜息をつき飲みかけたコーヒーの入ったマグカップをデスクに置いた。
「須藤聞いてくれ…。私も、昔はこの仕事に就けば世界私の力でこの世界を良い方向に変えられると思っていた。しかし、あの頃の私は考えが甘かった。…後悔したことは沢山ある。説教臭い話ならいくらでもある。―――だが、貴様はまだ子供だろう!?今ぐらい、沢山ワガママ言え!」
その時、僕の心に絡みついていた棘だらけの蔦は太陽に照らされ枯れ果てた。そして、肩の荷が下りて石のように固まっていた足が崩れ落ちた。
「僕の…。僕の友達が殺されたんです。助けてください…」
その震え声を共に僕の頬には一筋の涙が零れ落ちていた。




