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一方、自分の親代わりが殺されているとは露知らず、アンは涙目でミアを抱きしめていた。
「あ、ぁぁぁ……だ、だい……大丈夫。大丈夫です、よアン。私、は……私……」
「いいの、良いから……隠さなくたっていいから。気づいてる、から……」
アンの腕の中で、ミアは痙攣しながらも必死で声を絞り出す。何とかして、安心させようとするその仕草。それが分かったアンは自分の腕に力が加わった事を自覚する。
それを理解したミアは苦しみと悲しみが入り交じった表情と共に儚く笑い、震えながら口を開いた。
「実、は……あの部屋に入った辺りでもう……限界だったのです。あの、ダンプさんは……きっと、きっとそれを、理解したので、しょう……」
そうだ。アンは何故気づかなかったのかと自分を攻めた。考えてみれば、ミアは部屋に入った時には様子がおかしかったではないか。
「ミアは病弱だから」、とアンはそれを見逃して、いや、その可能性から目を背けてしまって居たのだ。
アンが後悔している事はミアにも伝わったらしく、ミアは必死の思いでアンの手を握り、微笑んだ。
「あなたは、私が死にそうになったらきっと自分の命を捨ててしまう、優しい人……ですから……ダンプ、さんは……それが分かっていたから、私に、トドメを……」
「馬鹿……あたしは、あたしはそんな人間じゃ……!」
「いい、え、あなた……はとても、優しい人で、すよ……」
苦しそうに告げられた言葉が、アンの心を抉る。
「私……あなたに生きて欲しい、です。命は大事、だから……私……の、命が……尽きる、なら……せめ、て……」
言葉は、最後まで告げられなかった。だが、それが何を意味するかくらいはアンにも分かる。そう、ミアはこう言おうとしたのだ。「せめて、あなたには生きて欲しい」と。
それはこちらの台詞だと言いたい気持ちを、アンは何とか堪えて、より強くミアを抱きしめる。
だが、それは他方で混乱と絶望感に支配されていたアンの頭を無理矢理に沈める事に繋がって----
----その時、だった。アンの心に火がついたのは。
「----あたし、決めたよ」
言葉を吐き出すのと同時に、アンは完全に覚悟を決める。心で燃え上がる炎とは対照的に、アンの言葉は静かで、優しかった。
その言葉で全てを察したミアは目を見開き、悲しそうにアンの手を握りしめて静かに首を振る。
「アン……それは、だめ。だめ……」
その声は自分を止めているのだと、アンは気づいていた。
だが、アンはそれに対して反応はしない。もしも、ここでミアの言葉を聞いてしまえばアンはそれ以上何も言えなくなる事が分かっていた。だから、アンは聞かなかった事にして話を続けたのだ。
「もう時間切れなんて知らないし言わせない、あたしは……あなたの一部になりたいんだ」
それはつまり、『ミアが生きる代わりにアンが死ぬ』という事だった。
冗談ではない、とミアは必死に体を動かそうとする。
「く、う……」
だが瀕死の体ではただ震える事しかできず、自身に残された選択はただ黙ってアンの声を聞く事のみだという事をミアは実感していた。
その様子は当然、アンにも伝わっている。ミアの事を心配そうに見つめる彼女は、それでも話を止める事はしない。
「あたしさ、分かったんだ。生きる意味と、死ぬ意味って奴がさ。やっと、分かったんだ」
言いながら、アンはビルからミアをと共に落ちていた時の事を頭に浮かべた。
あの瞬間、確かに二人は死ぬと思った。だが、同時にアンの心には長年見つけられなかった何かが唐突に、現れていたのだ。
「だから、あたしはあなたになりたい。あなたの体の一部になって、あなたの心になりたい」
そこまで言うと、アンは一度深呼吸をする。これ以上無い程、幸せな気持ちだった。
「----だから、お願い。あたしを、あなたにさせて?」
もはや、彼女を迷わせる物などミア本人の言葉を除いては他に無いのだから。
だが、そうではない。それ以外にも、居るではないか。アンの決意もミアの覚悟も台無しにする存在がその場に、一人----
「ぷっ……クク、ふ、アハハはははぁははあ!」
アンが真剣さと慈しみの溢れる表情でミアに言葉を告げ終えた瞬間から、その存在は今まで堪えていた笑いを一気に放出する様に吹き出していた。
二人の少女の耳に届いたした時には、既に声は周囲に響き渡っていた。一度聞けばすぐに分かるだろう、それがアン達の言動をあざ笑う声だという事が。
少女達、特にアンはその存在へ不快そうな目を向けている事を隠そうともせずに睨みつける。それが伝わったのか、それは少しだけ苦笑して笑い声を徐々に落としていった。
「ふ、くく。あ、アハ、アハッ……おぉっと、笑いすぎちゃったかなぁ。ごめんねぇ……ふふ……」
子供らしい高めの声でその存在は一言謝罪を入れる。だが、すぐに異常に高いテンションで腕を広げて二人へ微笑みかけた。
「いやぁ、良い物見せてもらっちゃったなぁ! うんうん、美しきかな姉妹愛! 互いが自分の命の代わりに相手に生きて貰おうってこの思考! 感動的だなぁ、胸が暖かくなるなぁ!」
その存在の口から溢れ出ているのは紛れもない賞賛の言葉だった。
だが、アンにはその言葉の中にある嘲笑、というよりも『喜劇を誉め称える様な』色が見えていた。状況を面白い物として見ているその態度にアンは眉を顰めたが、すぐにハッとした顔で『それ』から目を離す。
「はっ、ァ……だ……め……」
「ミア? ミア! 待ってて、すぐに助けるから、逝っちゃ駄目だからね!?」
そうしている間にも、ミアの体調はどんどん悪くなっているのだ。最早、一刻の猶予も無い様に思えた。
その存在に構っている暇が無い事に気づいたアンはすぐにミアを抱き抱えて走り去ろうとしたが----その一言だけは、我慢ならなかった。
「あっはっはー。無意味だし無駄無駄、彼女は君じゃ助けられませーん。ああ、でもそんな無駄な事をする君はかわいいね!」
背後から聞こえたその言葉に、思わずアンは振り返って問いかけた。
「あたしがミアを生かそうとするのが、そんなにおかしいの? ねえ----恭助? そんなに、おかしいの?」
その時だけは、アンは正確にその名前を発音していた。
アンを馬鹿にする様な発言をした存在----恭助は向けられた殺気混じりの言葉を静かに受け止めて、その上で満面の笑みを浮かべている。
その様子をアンは怪訝そうに見つめたが、すぐに余裕が無い事を思い出して走り出す。
だが、アンの足は恭助の一言によって止まる事となった。
「僕さ、治せるんだ」
「……は?」
まったく予想していなかったその言葉が耳に入って、アンは呆けた様な声を上げながら足を止めて、恭助を凝視していた。
恭助が言った事の意味を受け取るのには暫くの時間を必要とした。が、それでも恭助が何を言っているのかは理解できて、アンは目を見開いた。
そう、治せる。治せるというのはつまり----
「僕さ、ミアさんを治せるんだよね」
アンの決意も、ミアの覚悟も、全てが無駄になるという事だった。同時に、それはこれ以上無い程幸せな事でもあるのだが。
「……でも」
だがアンはそれを信じたいと思う一方で、やはり信じられずに居た。自分の命を捨てねばならない程の病が、目の前の少年に治せるというのは想像出来なかった。
それが分かっているのか、恭助はいつの間にか二人の目の前に立ってミアの頭を撫でていた。
「……でも、ミアの病気は」
「体を入れ替えなきゃいけないくらいの病? ああ、そうだった。そんな病気だったね。でもさ、僕は治せるんだ。第一ね……」
----僕は、空を飛んだり、頭をぶち抜かれても生きてる奴だよ?
強烈な、説得力だった。
むしろ今まで思い至らなかったのが不思議なくらいで、アンは目を見開きながらも恭助の言葉に『真実味』を感じさせられていた。
恭助の言葉を真実とする理由は他にもある。彼がミアの頭を撫でた時から、ミアの青ざめた顔色は一転して健康そうな物に変わっていたのだ。
それを見たアンは、恭助の言葉が嘘ではない事を理解して----思わず、恨めしそうに恭助を睨んでいた。
「……本当に、治せるなら……どうして、どうして今まで……?」
そうなのだ。そんな事が可能であるならば、此処に至るまでで幾らでも機会があった筈だ。だというのに、恭助はミアに何もしなかった。
睨まれた恭助は、思わず苦笑していた。決意が無駄になったアンは、だがそれに関しては何の感情も抱かず、ただただミアの事だけを考えているのだ。
少し羨ましそうに二人を見つめた恭助は、一度深呼吸をするとアンの言葉を無視してミアへ目をやった。
全てを、話す為に。
「ああ、ミアさん? まだ聞こえてる? 聞こえてるみたいだね、じゃあ、一つ……いや、もうちょっと話すべきかな? ま、とりあえず話す前に問いがあります」
恭助は楽しそうに、嬉しそうに、達成感に溢れた表情で笑っていた。
「そもそも、あの手術料は----誰に渡る予定だったでしょうか!」
ご都合なのは分かっています。ですが、この『「今まではなんだったのか」という顔であ然とする』シーンを書くために私はこの作品を書き始めました。 2012/8/28




