19
ライアン・ファミリー所有の高層ビル
「ふん……トニーとダンプの奴はまだ戻らないのか」
アンが監禁されていたビルの最上階近く、自身の執務室の中でハーベイは苛立ちを込めて机に拳を叩きつける。
それなりに大きな音がしたが、ハーベイは不満そうなっ顔をしている。
「チッ……やはり他の連中も動かした方がいいらしい」
護衛が言った言葉に従っておくべきだったとハーベイは後悔していた。
「奴らに任せれば無茶をしやがるが、奴ら以上の適任がいねえ……こんな事なら、人材を色々雇っておくべきだったか……いや、そんな連中、信用できねえ」
彼は滅茶苦茶な速度で組織を拡大していった性か、まともに信用出来る部下がほとんど居ない。
その例外がダンプとトニーだ。この二人は、組織を拡大する前、つまり、妻が死ぬ前からの部下だった。
「遅せぇぞダンプ、いやジャック……」
ふと、ハーベイはダンプがまだ周囲からジャックと呼ばれていた頃の事を思い出していた。
だが、何時も変わらず騒がしかった事が脳裏に浮かぶと、嫌そうに眉を顰めて思い出す事をすぐに止める。
「トニーの奴、ちゃんとあいつを止めてるんだろうな……」
昔から、ダンプにブレーキを掛けられる唯一の存在がトニーだった。トニーはそれなりに常識もあり、仕事もこなせる部下だ、ハーベイはトニーの事をかなり評価していた。
「……そういや、あの二人……昔はどこで何をしてたんだったか……まあ、どうでもいいか」
そう言って、ハーベイは一息を吐く。その時だった、執務室に置いてある、電話が鳴り響いたのは。
ハーベイは受話器を奪い取る様に、凄まじい勢いで電話に出た。
「ハーベイだ、そっちは誰だ?」
不機嫌そうなハーベイの声は相手にも届いただろう、少し焦る様な声が、受話器からは響いてくる。
その声の主を知っているハーベイは目に見えて機嫌が良さそうな顔になった。
「トニー! 連絡を寄越すって事は……ああ、金は回収出来たのか、よくやったぞ」
電話の相手が報告してきた『嬉しいニュース』に、ハーベイは機嫌良く賛辞を送る。だが、相手の話はまだ終わっていなかったらしく、そのまま言葉を続けてきた。
その内容を聞きながら、ハーベイは手元の紙に場所を書いて、まるで重要書類を扱うかのようにそれを置いた。
「……そうか、ご苦労。俺の部下をそこへ向かわせてやる。お前らだけじゃ不安になってきた……あ?」
報告を終えた部下の声が止まり、ハーベイはまた賛辞を送る。
そして、そこで受話器を置こうとしたが、それより早くハーベイの頭痛の種が電話越しに声をかけてきた。
「お前はお呼びじゃねえよダンプ。耳が痛いから騒ぐな。あ? 今はビルの執務室だ。分かったらさっさと戻って……そうかよ」
部下の相変わらずの騒がしさを鬱陶しそうな顔でハーベイが受け取っている。
だが、騒がしい部下が告げた言葉を受けて、ハーベイは少し機嫌が良くなったらしく、一度頷いて部下の行動を許可する事に決めた。
「ああ、分かった。さっさと『パーツ』を連れて戻ってこい」
それだけ言うと、ハーベイは話し続けるのも面倒だとんばかりに受話器を置いた。
「はぁ……ま、トニーもダンプも仕事はしたか」
通話を終えたハーベイがため息混じりに呟いていた。部下二人を信じていなかった訳ではないが、少し不安に思っていたのも確かなのだ。
だが、部下二人はきちんと仕事をしたらしく、必要なほとんど全てを遂行出来ていた。
「……全部やれってのは、無理があったな」
それでも、全てが終わった訳ではなかった。最も肝心な部分を、二人は部分的にしか解決してしないのだ。
それを解決させるのは、自分なのだろうとハーベイはため息混じりに理解して、受話器を取った。
二人の部下への連絡の為ではなく、内線で『信用出来ない』部下達へ命令をする為に。
「俺だ。至急、今から言う場所に向かって、そこに居る赤毛のガキを連れてこい。ああ、絶対に生かして連れてこい。いいな? 今から言う場所だ……」
ビル内部に居る部下の一人に、ハーベイはとある場所を教える。
電話越しに、部下が了解の意を伝えた事を確認すると、ハーベイは受話器を置いた。
「さて、俺は待っていようかねぇ……」
ようやく落ち着いたハーベイは椅子に深く座り、安堵の息を吐く。それは、マフィアのドンでも父親でも夫でも無い、何かを思わせる雰囲気だった。
「……娘が生まれてすぐ死に至る病を患った、なんて言われた時は死のうと思ったが……はは、世の中、捨てた物じゃねえ」
苦笑しながら手元の飲み物を流し込むハーベイの姿を見ていた者が居たならばすぐに気づいただろう、その目に、紛れもない狂気が宿っている事に。
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アン達が消えてから一時間後、マーカスの部下達が住むアパートの窓の前で、ミアは体から湯気を放ちながら憂鬱そうな、だが小さいため息を吐いていた。
「……」
一時間も経った為、外の太陽は既に夕日になる直前まで来ていた。湖の水と反射した光は確かに美しかったが、ミアの目にそれは写っていない。
ベッドにはマーカスの部下が包帯だらけで寝ている。
一時間前、怪我だらけで飛び込んできたマーカスの部下は、手慣れた様子のアベリーと必死で動き回るミア、ミアをフォローするカミラの三人によって完全に治療が済んでいた。その素早さたるや、マーカスに手を出させない程だった。
「……はあ」
それに関して、ミアに不満は無い。むしろ達成感すら覚えている程だ。その為、ミアの憂鬱はそこから来る物ではなかった。
「気になるのか?」
そんなミアが気になったらしく、カミラが気安げな態度で近づいていく。彼女もまた、体から湯気を発していた。
マーカスの部下への応急処置を終えた二人は既にシャワーを浴びている。途中、室内でミアが倒れそうになってはカミラに支えられていたのだが、何とか浴びる事は出来たのだ。
そのカミラが近づいてきた為に、ミアは無理矢理笑顔を作って答えた。
「いえ、大丈夫です。あの方が私のクローンだというのは驚きましたが……」
「嘘を言うなよ、ミア。気になるんだろう?」
ミアの嘘を見抜いたカミラは、鋭い口調で言葉を止めさせる。あまりにも素早く見抜かれた事にミアは少し驚いたが、すぐに本心を話す事を決めた。
「ええ、気になります。あの方が何を考えていたのか、とか……今までどんな風に生きてきたのか、とか……」
「……まあ、気になって当然だな。良いんだよそれで、そうじゃなければ、私が嫌だ」
自分勝手な事を言うカミラの姿をミアは何やら不信に感じた。
思えば、カミラが自分に対して話す時は---アベリーが言うには『カミラらしくない』行動をしているそうではないか。
思えば事前に自分を知っているとしか思えない程、カミラはミアに慣れた雰囲気で接してきていた。ミアが疑問に思うのも仕方のない事だった。
「……話は変わりますが、私の事を、知っていたのですか?」
思わず、ミアはその疑問をカミラに投げかけた。すると、カミラは意外そうな顔でその身を硬直させたのだ。
明らかに、図星の反応だった。
「……いや、知っていたか知らなかったかで言うと、知らなかった。だが、ある意味知っていたというのも本当だ」
カミラは窓の外を一瞬眺めたかと思うと、普段浮かべているらしい不敵な笑みと共にミアの質問に答える。
それが嘘ではない事がミアには理解できた。数時間程度の付き合いだったが、もうそれくらいの事は読みとれるくらいに二人は相手を分かり合っていた。
「そうだな……一度、話しておこうかな?」
カミラは思いついた様に、言ってみせる。提案する様な口調だが、既に行動する事を決定しているかの様な色が含まれていた。
そこに存在する意味を見抜こうとミアは努力したが、どうしてもそこまでしか見えてこない。
「よし、ちょっと外に出て話さないか?」
ミアがカミラの顔を見つめている間に、カミラは話を続けてきた。やはり、話したそうな顔だ。
「……話を聞かせてください」
どうしてもカミラの言葉が気になって、ミアは憂鬱な気持ちを一旦消し去り、カミラの提案を承諾した。
すると---
「じゃあ、ちょっと行こうか!」
「あっ、わっ、きゃあ!」
カミラはミアをまた抱き抱えて、窓から外へ出ていく。
勢い良く飛び出した為にミアの小さな悲鳴が微かに響いていたが、カミラはそれを気遣いながらも楽しそうに外の屋根を走っていった。
「行ったか……」
「行ったみたいだね……」
その二人の姿を見た二人---アベリーとマーカスは消えていくカミラの影を見つめながら、安堵とも呆れとも付かない息を吐いていた。
「ふむ……やはり、カミラ君には色々と思う所があるようだね……」
「……ニルって奴以外で、カミラがあそこまで普段の姿から外れるとは思わなかったぜ。まあ、去年の今頃に一度見た事あるんだけどな……」
納得したという顔で頷くマーカスとは対照的に、アベリーは意外そうにしている。普段のカミラは不敵な笑みと共に生きる女だ。それと接しているアベリーの困惑は当然だろう。
そんな二人の手には、写真が握られている。そう、二人はその写真に写る者が『誰なのか』を理解して、その上で写真を手に取っていた。
「にしたって、あいつにあんな過去があるとはなぁ……」
アベリーの声には困惑が見て取れた。無理もない、とマーカスは笑う。
「人に歴史有り、そういう物さ。私にエィストさんが居る様に、カミラ君にはニルさんが、しかしそれだけではない、という訳だ」
「いや、あいつにとってはお前等のエィストがニルなんだろ? もう一人居る、ってのはおかしくねえか?」
「そうでもない、私は確かにエィストさんを敬愛しているが……勿論、共に歩む同胞の事も愛しているよ。例えば、友と恋が違うようにね」
マーカスは何度も頷きながら言ってみせる。自分より何もかもが格上の老人が、この時だけは尊敬する人を語る少年の様な顔をしていた。
それをあえて口にする事はせず、アベリーは窓の外を眺めた。
「そういう、物かねぇ……」
「そういう物さ」
マーカスもまた、窓の外を眺める。夕日になりかけた太陽は、相変わらず光輝いている。
ふと、アベリーはアンと言う名前の少女を思い出した。ミアの言葉に動揺して、震えながら逃げていった少女の事を。
様子を見てすぐ、ミアに追わせてはいけない事だけは理解できたが、それ以上をどうするべきなのかはアベリーにも分からなかった。
「あのアンってガキ……大丈夫なのかねぇ」
「まあ、不安ではあるね、元気付けるのは恭助君なら得意だろうが……肝心な所で、彼はこの『二人』の力にはなれないと思うよ」
不安と言いつつも、マーカスはあまり心配していない様に見えた。マーカスにとっては、あまり考える必要のある話ではないらしい。
だが、それを理解しつつもアベリーは首を傾げた。
「なぜだ? あれはお前やビルの大好きなエィストの……」
「ああ、何でも出来る子だ。だけどね、今回のアン君とミア君の心の根本にあるのは『生きる』とか『死ぬ』とか、そういう物だから……」
「最初も最後も無い論外たる彼らには、彼女らの苦悩は理解できないと思うよ」
2012/8/28




