16
ダンプとトニーはアパートの前に立って、湖が見えるアパートの前で周囲の様子を伺っていた。
トニーは周囲に人影が無い事を確認すると、安堵の息を吐いた。
「とりあえず、カミラ達よりは先に来れた……っぽいっすねー」
「ま、確信は無いんだけどな」
同じ様に、周囲を見回しながらダンプは頷いた。何故か騒ぐ気配も無く、やけに大人しい。それが不気味に思えて、トニーは思わず口に出してしまった。
「珍しく大人しいのが怖いっすよ」
「……お前、たまにきついのな。ま、考え事をしてるんだよ」
肩を竦め、アパートを見るダンプに、やはり騒ぐ様子は無い。本当に深く何かを考えていたらしく、その姿にトニーは背筋が寒くなった。
「いやもう、まったく似合わないんっすけど、それ。鳥肌物っすよ」
「分かってる、俺だって分かってんだよそんな事は。だが気になるから仕方ねえだろうが」
「その気になる事って、なんですか」
「絶対に教えねえ。まあ、アンが戻ってきてからなら教えてやるけどな」
じっと、アパートを見つめながらダンプは口元に笑みを浮かべている。
嫌な予感が脳裏にかけ巡っているトニーは、あえて地雷に突っ込む事はせずダンプの視線に合わせる事にした。
「なんていうか、あんまり良い物件じゃねえですけど……景色だけは良さそうっすよね」
「……ああ、そうだな。湖が見えそうだよな。こういう所に住むってのも悪くは無さそうだぜ」
「旦那に景色を楽しむ様な大人しい趣味、あったんっすね……あ、冗談ですから殴らないでください」
ダンプの瞳はトニーの言葉にある棘に対して何の反応もしなかったが、手は握り締められていた。慌てて補足したトニーに、ダンプは徐々に口元を吊り上げながら返事をする。
「ああ、そうだな。あぁ……ああ! よし! 気持ちが戻ってきたぜ幸福だなぁおい!」
普段の何倍も高いテンションで、ダンプは騒ぎだした。彼はただ黙っていたのではなく、気持ちを留めていた様だ。
それが分かったトニーは、ようやくダンプが騒ぎ出した事に安堵の息を吐いた。同時に、それを日常の事とする自分に自嘲の気持ちが沸いたが、それはすぐに収める。
「おお、やっと戻ってきたっすか。いやぁさっきまでの旦那はちょっと……ねぇ?」
「そうだな、ああそうだ。俺らしくもねえな、よし、じゃあ景気付けに一発殴らせろ!」
あまりに唐突に、ダンプはそれだけ言って拳を振るおうとする。
「ちょ……どうしてそうなるんっすか!?」
周囲には誰も居ない、明らかにトニーに向けられた急すぎる言葉の中の『本気』を感じて、傍目には哀れなほど首を振った。
「おお、さっき俺。色々言われた気がしたんだよなぁ。うん、まあ、そのだな。俺の幻覚かもしれん、なぁに最悪穴が開くだけだ、俺の気の性だったら許せ」
見事な程楽しそうな笑みで近づいてくるダンプから、トニーは思わず遠ざかろうと足を退いていたが壁にぶつかった事でそれは無駄になった。
その様子を確認するまでもなく、ダンプは拳を振り上げた。
「だから冗談ですってぇぇぇぇっ!?」
トニーの言葉になど耳を貸す様子もなく、ダンプは笑いながら拳を振り降ろし---轟音が響き渡った。
「よーし、スッキリした! いやぁ、痛いな。すげえ痛い。手が潰れるかと思ったぜ」
手を痛そうに『引き抜いて』、眉を顰めながらダンプは笑顔で言う。
「お、おぉぉぉ……今度ばっかりは死ぬかと思った……」
トニーは安堵と恐怖が入り混じった声を上げていた。ダンプが殴った物は人ではなく---その隣にある、壁だった。
コンクリートで出来たそれをダンプの拳は易々と貫き、巨大な穴を開けている。恐ろしい程の威力だったが、トニーは驚く様子は見せなかった。
むしろ、トニーは自分にそれがぶつけられなかった事に違和感を覚えている程だ。
「いや、やってみりゃ出来る物なんだなぁ……あ、やっぱ俺の幻覚だったみたいだ、壁が喋る訳ねえもんな」
片手を垂れ下げたダンプは意味有りげな顔でトニーを見た。そこには、あえて壁を殴った事の理由があった。
「次言ったら、お前がこうなる」、ダンプの目には冗談混じりにそんな物が含まれていたのだ。とはいえ、トニーも慣れた物だ。冷や汗一つ流す事もなく、話題を切り替えた。
「で、どうします? 突入でもします?」
「……どうすっかねえ。カミラが来る前に色々押さえておきたいが……」
うまく話題を反らせた様だ。ダンプは再びアパートを見つめて考え込み始めた。
出来るだけ急いで、一番近い道を通ったからか、何度周囲を探っても誰かが来るの予感は無い。だが、いつ来るか分からない状況であるのは確かだった。
「……さて、本当に……どうします?」
トニーは悩んでいた。目的はミアの確保だが、カミラと直接ぶつかるのは避けたかった。
そんなトニーの姿に、ダンプも同じ者を覚えていた。しかし、長時間考えている暇が無いのも確かなのだ。ダンプは髪を何度か適当に弄んで、笑った。
「……あぁ! 考えてもしょうがねえ! 突入だ突入! 走るぞ!」
「んな適当な……しかし、しょうがねえか……」
ダンプの後を考えない発言が、この時のトニーには頼もしく思えた。普段からダンプは何も考えていないが、不思議と、それが完全な失敗に終わった事は無かったのだ。
それは当然、周囲のフォローによる物だが、それでも失敗には終わらなかったのだ。
「よぉし! じゃあ、行くかぁ!」
ダンプはアパートに向かって走り出した。
だが、アパートの目の前まで行くと、そこに居る人間に---厳密にはその人間の持っている物を見て、足を止めた。
「……良かったなぁ、トニー」
「は?」
「俺達、カミラとやりあう様な事は避けられそうだぜ?」
その人物を見ながら、ダンプは楽しそうな顔をして近づいていく。嫌な予感を覚えたトニーが止めようとしたが、全ては遅かった。
+
それから数分後、三人---アベリーとカミラと、その腕の中のミアは偶然にもダンプとトニーが立っていた場所で足を止め、周囲の様子を伺っていた。元々人通りが少ない場所なのか、その時も人の気配は無い。
それを確認すると、カミラは目の前のアパートを見て、楽しそうな顔をしながらミアを立たせる。
「ん、ここだな。ご乗車ありがとうございます、終点、マーカスの部下の家、ってね」
優しく、ゆっくりと地面に立たされたからかミアは少しふらつきながらもしっかりと立ち上がって見せた。
安堵の息を吐いたミアは、足を小さく動かして感覚を確認しながらカミラに礼を言う。
「ありがとうございます。あの、良い乗り心地でした」
「いや、気にする様な事じゃない。私も楽しかったしね」
気楽そうに笑うカミラに、ミアは少し申し訳なさそうな顔をする。
彼女らがここまで来る事にあまり素早く動かなかった理由が、自分に負荷を与えない為だという事をミアは気づいている。
だが、気づいてはいても言葉にする事ではないとカミラの目が言っていた為、ミアはそれ以上何かを言う事は無かった。
「さて……どこからあの部屋に入ろうかな」
「迷う様な事か、それ?」
カミラの発言の意味が分からなかったアベリーは首を傾げた。アパートには窓があったが、特に正面から入らない理由も無い。
「そりゃもう、気分だよ、気分」
「……いや、そんな事だろうと思ってはいたけどな」
ふざけた調子のカミラに、アベリーは呆れて苦笑する。すると、カミラは失礼なとばかりに話を続けた。
「何だ、気分というのは大事なんだぞ? 人間、計画や目的ばかり見て生きてたら息が詰まってしまう」
「似た様な事を言ってた奴を知ってる気がするが……まあ、いいか。で、どこから入るんだ?」
「ん……そうだな。窓を破って入るのはちょっと、失礼な気がするし……」
悩み始めたらしく、カミラはアパートを見つめ続けて頭に片手を当てていた。
それを見たミアは小首を傾げつつ、カミラに質問する。
「普通に、正面から入るのでは駄目なのですか?」
「それも良いが……面白味に欠ける気がするんだよなぁ」
「こんな所で面白味も何も無いだろ」
「いや、そうでもないさ。私が楽しい」
極端な答えに、アベリーはため息を吐いた。今日のカミラは何を考えているのか、とても上機嫌に見える。
それとは関係無くカミラはアパートをじっと見つめ、稀にミアの顔を覗き込んでいる。それはどこか、親愛の様な気持ちが籠もっている様だった。
アベリーはその様子に、本当に戸惑う。カミラがミアに向けるそれは、まるで昔からの知人に向けるそれだったのだ。
「お前……もしかして」
「よし決めた」
アベリーがその質問をする前に、カミラの声がそれを遮る。明らかに、アベリーの質問を封じる意図が見て取れた。
「とりあえず、窓から進入してみないか?」
「……最上階だぞ? こっちの嬢ちゃんはどうするんだ?」
「あの、私は大丈夫です。カミラさんのお好きにどうぞ」
「だ、そうだ。何、こういうのは窓から飛び込むのがセオリーだろう」
無茶な言葉だったが、それが出来る事を二人は知っている。
アベリーはさも面倒だと言いたげな態度を取っているが、カミラを止める気はない。カミラの言葉の中に僅かだが存在する誤魔化す様な色に従う事にしたのだ。
「ま、ここで話していても仕方ないかな。行こうか?」
カミラはそれだけ言ってミアに手を差し出した。それはとても丁寧で、まるでお姫様を扱う様だとミアは感じた。
ミアが思わず手を取ると、カミラの表情は目に見えて更に明るくなる。
「ふふ、なんだか懐かしい」
「え? それは……どういう……?」
楽しそうに告げられた言葉に、ミアは首を傾げた。だが、カミラははぐらかす様に手を振ってただ笑うだけだ。
「さぁ、私も昔は色々あったのさ」
「その昔にはちょっとばっかし興味もあるんだがな」
「気にするな、そんな事」
アベリーの言葉に適当な返事をしつつ、カミラは手に取ったミアと共にアパートへ近づいていく。
「そういえば、マーカスの奴も待ち合わせだったな……それが『居る』としたら、とても嬉しい結果を招きそうだが……」
何かを期待する表情のカミラは、他の二人の疑問を無視して歩いていく。そのまま、カミラは最上階の窓へ近づいていき---その時、窓から人が飛び降りてきた。
「な……!」
アベリーは驚いて、反射的に懐の銃へ手をかける。そこに居たのはまったく予想外の人物だ。
「……あの方は…………?」
「あぁ、なぁるほど……」
カミラとミアは驚いていなかった。だが、それは『予想していた』からという反応ではなく、そこに居た人物に見覚えがあった為の物だという事がすぐに分かる物だ。
そこに居た二人の『子供』に、カミラは楽しそうな表情で挨拶をした。
「やあ恭助! それに……君は初対面かな? 初めまして、カミラ・クラメールだ」
「あ、その。初めまして。あたしは……名前は秘密で」
「わぁ! カミラさん、久しぶりー!」
2012/8/28




